22 鬼教師ジワル
「うがーっ! 離れて離れて離れて! 離れてぇーーーーーっ!!」
まわりの称賛にガマンの限界となったわたしはヒステリックに叫び、レットイットさんを王子から引き剥がす。
するとレットイットさんは余裕たっぷりの流し目をわたしに向けた。
「ヤキモチは、女をブスにするわよ?」
「それをさせているのはあなたでしょう!? もうこれ以上、王子にくっつかないで!」
「いやよ。あなたになんと言われようと、くっつくのは止めないわ。だって……」
レットイットさんは歌劇役者のような動きで、大仰にポーズをキメながら言う。
「ありのままに……! 思いのままに……! それが私の生きる道だから……!」
天窓から差し込む光がスポットライトのごとく彼女を照らし、ここは舞台の上かと錯覚してしまう。
日陰にいた生徒たちはさながら観客のようで、誰もが感嘆の溜息を漏らしていた。
「か……かっこいい……!」「本当に、なにをやっても絵になるのね……!」「それに見た目だけじゃなく、生き方も素晴らしいなんて……!」「私、ファンになっちゃいそう!」「きゃーっ、レットイットさまーっ!」
その声援をいいことに、レットイットさんはひとり舞台のように振る舞いはじめた。
わたしの反論を観客からのヤジのようにあしらって、恋人同士のように身体を寄せる。
「恋愛は、いつだって自由。王子もそうお思いですよね?」
しかも、王子は嫌そうじゃなかった。
「うん、そうだね」
「思想もピッタリ、そして見た目の相性もピッタリ。これは運命の出会いだと思いませんか?」
「そうかもしれないね」
「では、いまここで婚約破棄をなさって」
「えっ……ええええええええーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」
まわりの雰囲気に流されてわたしは観客同然になっていたけど、この爆弾発言には舞台に飛び乗るほどに叫んでいた。
「そ……そんなのダメだよっ!? 絶対にダメっ! 婚約破棄なんて……!」
「いまさらなにを言っているの?」とレットイットさん。
「王子が靴を履き替えるように婚約破棄してきたことは、ソレイユさんも知っているでしょう?」
「うっ……!」
「王子を初めて見た時、私は思ったの。この人は私と同じだって。自分に合わない靴だとわかったらすぐに脱ぎ捨てる、ありのままに生きる人だって」
レットイットさんはわたしを批判的に指さしながら、王子に告げる。
「こんなにダサくて安っぽい靴、王子には似合いません! いますぐ脱ぎ捨ててください!」
王子はVIP席にいる賓客のようにわたしたちのやりとりを眺めている。
いや……王子はずっと、レットイットさんだけを瞳に映していた。
ぐうぜん靴屋の前を通りかかり、ショーウインドウにオシャレな靴を見つけたかのように。
「僕が求めているのは、すべてが完璧な靴なんだ。見た目だけじゃなくて、機能性や耐久性、もちろん履き心地も抜群のね。キミがそれを証明できるのなら、僕は喜んで靴を履き替えるよ」
その言葉を待ってましたとばかりに、自信満々に頷き返すレットイットさん。
「では次の『実力テスト』の成績で、1年女子のトップになってみせましょう。1年トップの男女が結ばれるのはごく自然なことですから、王子も履き替える口実としてはピッタリでしょう?」
「そうかもしれないね。……じゃ、僕は行くから」
王子はわたしを一瞥したあと、背を向けて歩きだす。
そのあとを追いかけ、腕を組まんばかりにひっつくレットイットさん。
廊下に鳴り渡るチャイムは、ふたりの行く末を暗示しているかのようだった。
「あのふたり、やっぱりお似合いねぇ……! ああしてると、まるでバージンロードを歩いてるみたい!」
ある女生徒の一言が、ひとり取り残されたわたしの胸にグサリと刺さる。
わたしは、これから首を斬られる落武者のようにヒザから崩れ落ちていた。
「このままじゃ、レットイットさんに王子を取られちゃう……! ど、どうしよう……!? どうしよぉぉぉぉぉぉーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
王立ヴェルソ学園には入学試験というものがない。
中学での成績か、それぞれの中学が実施しているテストによって入学できるかが決まる。
そのため一年生にはわりと早い時期に、能力を見るための『実力テスト』を受けさせられる。
わたしは入学当初は落第しない程度にやっとけばいいや、って思ってたんだけど、そうはいかなくなってしまった。
王子の婚約者になった以上、おバカだと笑い者になってしまう。
それだけならまだしも、さらにレットイットさんという比較対象まで現われしまった。
テストの結果、もしレットイットさんが上位で、わたしが下位だったりしたら……。
「は……履き替えられちゃうっ……!?」
わたしはバカで運動も苦手だ。でもそれで後悔したことはいちどもなかった。
「後悔しないからバカなんだよ」
「そんなこと言わないで、ジワルくん! 勉強教えてよぉ!」
わたしは裏庭のウッドデッキで数学の問題と格闘してたんだけど、通りかかったジワルくんに泣きついていた。
ジワルくんはソリタリオ王子の弟だけあって、メチャクチャ頭がよかった。
「わたしが何時間考えてもわからなかった問題を、通りすがりにさらっと解くなんてすごいよ! だから教えて! ねっねっ!」
「なんで中学生のボクが高校生のお前に教えなきゃなんないんだよ。普通逆だろ、ジワるんだけど。っていうかお前、いっしょに勉強する友達もいないのかよ」
わたしはえぐえぐとジワルくんにすがる。
「うん……! ダンスパーティで新しい友達ができたと思ったんだけど、なぜかわたしを見ると逃げちゃうの……! 田舎の友達を頼ろうにもみんなF組だから、テスト前でもぜんぜん勉強しようとしないし……!」
「だったら兄上……。あ、兄上はトップを目指してるから、こんなバカにジャマされるわけにはいかないか」
「だからジワルくんだけが頼りなの! お願い! お願いお願い、お願いぃぃぃ~~~~っ!」
「ボクのジャマならしていいってのかよ!? お前と違って、ボクは忙しいんだ! はなせ!」
「ああっ、ジワルくーんっ!?」
わたしを振りほどき、ぴゅーっと逃げていくジワルくん。
途中に一度だけ振り返ると、さらなる捨て台詞を吐きかけてくる。
「っていうかさっさと落第して、婚約破棄されちまえ! バーカバーカ!」
「ひ……ひどい……!」
ひとり残されたわたしは、さめざめと泣く……わけにはいかなかった。
だって、ジワルくんはわたしにとってのクモの糸。手離したら地獄へ真っ逆さまだ。
わたしは最後の望みを掛け、声をかぎりに叫ぶ。
「教えてくれなきゃソリタリオ王子のところに行くんだから! 未来の国王のジャマをしてもいいのーーーーっ!?」
「へ……へんな脅し方すんなーっ!」
わたしの気持ちが通じたのか、ジワルくんは渋々戻ってきて家庭教師を引き受けてくれた。
「しょうがねぇなぁ……。でも言っとくけど、ボクは兄上みたいにやさしくないぞ。わからなかったらビシビシやるから覚悟しとけ」
「うん! ぜひビシビシやって、ジワル先生っ!」
なんだか熱さを感じさせるジワル先生にわたしも乗ってみたんだけど、フタを開けてみたら想像以上のスパルタだった。
熱血教師というより鬼教師。なにせ少しでもわからないと、丸めた新聞紙で頭をどつくんだ。
「違う、何度言ったらわかるんだ! その計算はさっき教えた公式の応用だろ、このバカっ!」
「い……いったぁ~! そんなにポコポコ叩かないで! 覚えた公式を忘れちゃうよ!」
「どうせいままで使ってなかった頭なんだから、刺激があったほうがいいんだよっ!」
「あ……その言い方、もっと王子っぽく言ってみて……」
「なに?」
「なんだかそのほうが勉強に身が入るような気がするの! お願いお願い!」
すると、ジワルくんはコホンと咳払いをひとつした。
薄目の薄ら笑いの表情を作ると、斜に構えた流し目をわたしに向けた。
「……どうせいままで使ってこなかったんでしょ? なら、刺激があったほうがいいじゃない?」
「に……似てるぅ~! さすが兄弟!」
わたしは思わず拍手してしまった。
王子に似てると言われるのはジワルくんには嬉しいようで、鬼教師の顔がわずかにほころぶ。
わたしはここぞとばかりに、ずっと気になっていたことを尋ねた。
「ねぇ、ジワルくんのその髪型、王子が中学生の頃にしてた髪型だったりするの?」
「そうだよ、悪いかよ」と言いつつも、どこか得意気なジワルくん。
ジワルくんはマッシュルームカットなんだけど、大人しくしてると頬ずりしたくなるくらいかわいい。
「ジワルくんってモテるでしょ?」
「まぁね、兄上ほどじゃないけど」
「好きな子とかいるの?」
「いないよ。兄上といっしょで、女に興味ないんだ」
「ジワルくんは、本当にソリタリオ王子のことが好きなんだね」
「当たり前だろ」
ジワルくんはテーブルに頬杖をつくと、宮殿のほうに目をやる。
視線の先にあるのが王子の私室だというのを、このときのわたしは知らなかった。
「ボクの夢は、兄上とずっといっしょにいることなんだ。国王になった兄上の補佐をして、兄上の役に立ちたいんだ」
「わぁ、素敵な夢! ってことは、大臣とか将軍とかを目指してるんだね! ジワルくんならきっとなれるよ!」
「当たり前だろ。なれるじゃなくて、なるんだよ」
「すごい……! だったらわたしもソリタリオ王子の補佐をしたい! そしたら3人でずっといっしょにいられるよ、ねっ!?」
わたしがニッコリ微笑むと、ジワルくんはなぜかプイと目をそらした。
「……って、なんでボクと兄上の間に入ってこようとするんだよ。ジワるんだけど。だいいち、お前みたいなバカが宮廷職になれるわけないだろ」
「そんなことないよ! 女賢者とか、わたしにピッタリだと思うんだけど……」
「中学生に勉強を教わる女が賢者になんてなれるわけないだろ! あ、そういえばひとつだけお前にピッタリな宮廷職があった」
「えっ、なになに!? それにする!」
「道化師」
「も……もう、からかって! あ、でもいまの、王子っぽく言ってみて」
「……道化師なんていいんじゃない?」
「あはははは! 似てる~! もう1回、もう1回やって!」
「道化師……って、調子に乗るな! もう教えてやらないぞ!」
「あっ、ウソウソ! ごめんジワルくん! これからは、マジメにやるから……!」
「お前は兄上に婚約破棄されて、未練たらしく宮廷道化師になりたいのか!?」
「はっ……!?」
ジワルくんのその一言で、わたしの脳裏に王宮の光景が浮かび上がる。
そこには玉座に座るソリタリオ王とレットイット王妃。その前でおどけながら玉乗りをしているピエロなわたしの姿があった。
「そ……そんなの、絶対いやっ!」
「だったら死ぬ気で勉強しろ! 朝も昼も夜も、寝る間も食う間も惜しんで勉強しろ! お前が休んでいいのは、死ぬ時だけだ!」
「は……はいっ!」
それからわたしはジワルくん指導のもと猛勉強にはげむ。通学途中やおトイレの中でも教科書を手離さなかった。
時には厳しすぎて泣いちゃうことすらあった。しかし、わたしはくじけない。
『道化師』という言葉が汗をエネルギーに変え、わたしのペンを走らせる。
前世のわたしはOLだったけど、こんなにもなにかの職業を強く意識したことはない。
『婚約破棄』という言葉が涙をニトロに変え、わたしの中で燃え上がる。
こんなにも力を与えてくれた四字熟語は、『焼肉定食』以来かもしれない。
「王子の婚約者の座は……ぜったいに渡さないんだからぁぁぁーーーーっ! ……うぉぉぉぉぉぉぉぉーーーーーーーーーっ!!」




