02 宮殿に引っ越し
そのあとのわたしは心ここにあらずで、入学式の間じゅうずっと抜け殻のようになっていた。
やがて入学式は終わり、新入生退場の合図とともに講堂をあとにする。
流されるままに列に沿って歩いていると、少しずつ魂が身体に戻ってきたような気がしたので、さっきの出来事を思い返す。
他人の婚約破棄を見物してたらいつのまにか王子をブッ叩こうとしてて、気づいたらその王子と婚約してた……。
う……うそだよね……? わたし、ソリタリオ王子と婚約しちゃったの……?
ソリタリオ・ヴェルソ・アルクトス。
このヴェルソ小国の次期国王とされる王子。
ヴェルソ小国はアルクトス帝国の国のひとつ。
アルクトス帝国は十二の小国から成り立っていて、現在は帝王の側近である十二賢者たちが国王をつとめている。
ソリタリオ王子が成人したら、現国王にかわってこのヴェルソ小国を治めることになっていた。
ソリタリオ王子の母親は、アルクトス帝王の正室であるマザーロウ様。
でもマザーロウ様は入学式にはおらず、乳母のヘビイチゴ様が保護者がわりに来ていた。
その場に居合わせたヘビイチゴ様が反対しなかったということは、わたしは本当に婚約者に……?
あの、超絶カッコイイ王子と……?
危うく頬がゆるみかけてハッとなる。
……って、なに喜んでるの!?
あの王子はイケメンだけど、性格は悪魔じゃない!
しかもわたしを次の婚約者に選んだ理由が『面白いから』なんて、完全にバカにしてる!
パパに言って、この話は無かったことにしてもらわなきゃ!
講堂から出ると保護者たちが出迎えてくれたんだけど、パパは真っ先にわたしに抱きついてきて、おいおいと泣きはじめた。
「お……おおっ……! おおおっ! よ、よくやった、ソレイユ! これで我が家は救われる! おーいおーい!」
そうだ、そうだったんだ。
パパはヴェルソ小国の片隅にある、カンパーニュ領の領主。
もともと貧しい領地だったんだけど、わたしのドジが原因で大損害を出してしまい没落寸前だった。
わたしは『地獄に咲くヒマワリ』なんて呼ばれるくらいにトラブルメーカーで……って、そんなことはどうでもいいか。
それからパパは借金をしてまで、わたしを王都にある『王立ヴェルソ学園』に入学させてくれた。
わたしが上流貴族の子息といい仲になれば、没落を回避できるからだ。
パパは涙でテカテカになった顔を上げると、感極まった声でわたしに言う。
「お前が王子に手を上げた時は心臓が止まるかと思ったよ! 爵位の剥奪どころか一族の処刑も覚悟した! でもまさか、王子のハートを射止めるなんて! お前は最高の娘だっ! おーいおーいっ!」
周囲の目もはばからず声をあげて泣くパパを前に、とても「婚約やめたい」とは言い出せなかった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
わたしは王立ヴェルソ学園の寮に入ることになっていので、パパとは入学式で別れ、パパだけ田舎に帰る予定だった。
でも王子との婚約が決まったので、わたしもいったん田舎に帰ることにする。
ママに、婚約の報告をするだめだ。
ママの名前はプリシラといって、その名前に負けないくらいキレイな人。
しかし病気がちで入学式には来られず、わたしの婚約報告もベッドの中で聞いていた。
「まあ、いきなり婚約なんて……ソレイユちゃんって男の子に興味ないと思ってたのに。やっぱり、都会の男の子はカッコよかったのね」
「ま、まあね」
わたしは昨日まで男の子をカッコイイと思ったことなんて一度もなくて、将来は親が決めた男の人と仕方なく結婚するんだと思っていた。
でもソリタリオ王子を初めて見た時、身体がビビビッと痺れた。こんな人と結婚できたら、どんなに幸せだろうなぁとまで思った。
入学式での出来事はわたしの初めての婚約だけでなく、初めてのひと目惚れでもあったんだ。
これまで浮いた噂ひとつない娘だったせいか、ママはことさら興味津々だった。
「で、そのカッコイイ男の子の名前はなんていうの?」
きた、とわたしは思う。
小さな頃のわたしの夢は、『白馬の王子様と結婚したい』だった。
女の子なら誰しも夢見ることだと思うんだけど、わたしがそう言うたびにママは『いけません!』とわたしを厳しく叱った。
ママはいつもやさしいのに、その時だけは鬼が乗り移ったみたいに怖くなるので、次第にわたしはその夢を口にしなくなった。
ソリタリオ王子との婚約が決まって、わたしが真っ先に心配したのはママへの報告だった。
それはパパも気にしていたみたいで、パパは帰りの馬車の中でわたしにこう言った。
『ソリタリオ王子と婚約したことは、ひとまずママには内緒にしておこう。ソレイユからは、貴族の殿方と婚約したと話しておきなさい。大丈夫、パパが頃合いを見計らってママに打ち明けるから』
わたしはパパと決めた、ウソの婚約者の名前をママに告げる。
「えっと……そ……ソリタール、様……」
するとママは「ううっ」と苦しそうに胸を押さえた。
「ママ、大丈夫!?」
「だ、大丈夫よ。この国の王子様と名前が似てて、ちょ、ちょっとびっくりしただけだから……。お、おめでとう、ソレイユちゃん……。ご、ごめんなさい、ちょっと、横になるわね……」
すっかり血の気を失った顔でベッドに横たわるママ。
まさかママの王子アレルギーがここまでだとは思わなかった。王子と似た名前が出ただけで病状が悪化するなんて……。
もしソリタリオの名前を口にしてたら、即死してたんじゃなかろうか。
おかげでわたしはますます不安になってしまう。
こんな調子で……王子の婚約者としてやっていけるのかなぁ……?
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
現実味がなくても現実は待ってはくれない。
次の日には最低限の花嫁道具だけ持たされ、わたしはヴェルソ小国の王都にある宮殿にいた。
宮殿は王族だけでなく、有力貴族の住居も兼ねている。
そのため、敷地はちょっとした街みたいに大きく、建物は贅を尽くした作りになっていた。
柱は金箔で窓はステンドグラス。差し込む光でどこもかしこもキラキラしていて、まるで夢の中にいるようだった。
わたしはひとりで上京した田舎娘、いや実際そうなんだけど、都会が初めての娘みたいに「はえー」と室内を見回していた。
「すっごい。こんなキレイな所、初めて見た……ママはキラキラしたものが好きだから、ここに来たら大喜びだろうなぁ……」
でもわたしはひとりで宮殿に来るように命じられていた。
普通は婚約したら婚約者の一家ごと宮殿に引っ越してくるものだけど、ソリタリオ王子の場合はそうではないらしい。
わたしを案内してくれた執事さんが教えてくれた。
「すぐに、おいとますることになるからですよ。ソレイユ様で13人目の婚約者ですからね。ソリタリオ様は12歳の頃から婚約を繰り返していますが、1年……いや、半年も持った方はおられません」
それでわかった。入学式の時にあんなにもあっさり婚約破棄し、そしてわたしと婚約をしたのかを。
あの悪魔王子は結婚する気なんてさらさらなくて、娯楽感覚で婚約をしてるだけなんだ。
女の子をさんざん弄んでおいて、飽きたら捨てる。
しかも12歳の頃からということは、1年で3人ペースじゃないか。
ぐぐぐっ……! なんて最悪な男なのっ……!
しかし、こんな言葉がある。
『最悪だと思っているうちは、最悪じゃない』
そう。わたしはこのあと、最悪の事実を突きつけられることとなった。
執事さんによって案内されたのは、王妃の謁見室。
そこにはてっきりマザーロウ様がいるのかと思ったら、玉座には乳母のヘビイチゴ様が座っていた。
ほっそりした体つきに白塗りの壁のような顔、ガラス玉のような赤い瞳は白蛇を思わせる。
玉座の傍らには、中学生になりたてくらいの背格好の男の子がひとり。
髪型はマッシュルームカットで、ソリタリオ王子を小さくあどけなくしたような雰囲気の子が大型犬とたわむれていた。
最初が肝心だと思ったわたしは渾身のカーテシーをかます。
スカートをつまんで顔を伏せ、深々と膝を折って挨拶した。
「は……はじめまして、ソレイユ・ナヴェ・カンパーニュです。どうぞ、お見知りおきを……」
しかしヘビイチゴ様はわたしの挨拶を遮り、「あらぁ、そう」とせせら笑うような声を飛ばしてきた。
「でも見たところ、あなたは一週間ってところねぇ。そんな使用人よりも短いあいだしかいない者の名前なんて、覚えてもしょうがなさそうねぇ」
いきなりのイヤミ攻撃。なんて返すのが正解なのかわからなかったので、とりあえず「は……はは……」と愛想笑いで誤魔化す。
するとそれが気に入らなかったのか、ヘビイチゴ様は眉尻がとぐろのように丸まっている細眉を吊り上げていた。
「あら、このヘビが乳母だからといってバカにしているのかしら?」
「えっ、そんな!? バカになんかしてません!」
「この際だからハッキリ言っておきますけど、ヘビは帝都におられるマザーロウ様からすべてを任されています。この意味がおわかり?」
ヘビイチゴ様がパチンと指を鳴らすと、玉座の背後にあった幕が開く。
幕の向こうから現われたのは、天井まで届きそうなほどの巨大な肖像画だった。
ヘビイチゴ様は、虎の威を借りたキツネのように笑う。
「この国でのヘビの言葉は、マザーロウ様のお言葉と同じなのですよ! あらあら、どうやら恐れ入って言葉もないようですねぇ、おーっほっほっほーっ!」
肖像画の人物と目が合った瞬間から、わたしは衝撃のあまりメデューサの目を見てしまったかのように固まっていた。
「ろ……ロウレンスっ……!?」