18 王子と前婚約者
ダンスパーティが行なわれている学園の庭園は、広大な面積を誇る。
会場内にはダンスのための広場だけでなく、様々な娯楽施設が用意されていた。
敷地内を流れている河川のナイトクルージング、フルオーケストラによる歌唱広場、巨大カジノ、ミニゴルフ場、そして人間チェス大会。
人間チェスは、白銀チームと漆黒チームに分かれ、兵士や騎士の扮装をした生徒たちが駒となる等身大のチェスのこと。
通常のチェスとはサイズ感だけでなく、ルール自体も大きく異なる。
相手の駒を取るためには斬り結んで勝つ必要があるため、戦術だけでなく剣術も必要なゲームであった。
『さぁ、決勝戦もいよいよ大詰め! 優勝候補ナンバーワンのアイン様が圧倒的な強さを見せています!』
魔導拡声装置による司会のアナウンスが場内に響き渡る。
盤面はアインがキングを務める漆黒チームが優勢で、あと少しで優勝を手にするところであった。
一手ごとに盛り上がりを見せる会場、そのそばには小高い丘のコテージがあった。
パーティ中はバーラウンジになるコテージ、その片隅のベランダにふたりの男女がいる。
女のほうは両手を広げるほどに歓喜していた。
「ああっ……! まさかソリタリオ王子が、私をお誘いくださるなんて……! 感激です! ささ、この記念すべき瞬間に乾杯を……!」
ボーイを呼ぼうとする女を、男は手で遮った。
「いらない、キミとのんびり話をするつもりはないよ。ソレイユを待たせてあるんだ。彼女はキミと違って、なかなか手が焼けるからね」
すると女は口に手を当て、大げさに驚いてみせる。
「まさか、ソレイユさんになにか……?」
「いや、なにも。衛兵に取り押さえられたりはしてないよ。残念だったね、ロップ」
貼り付いたような笑みのロップに、ソリタリオはさらに告げる。
「現場であるダンス会場から離れ、少しでも嫌疑を逃れる。離れたところで結果を待つのは実にキミらしいやり方だね」
「あの……王子? さっきから、なにをおっしゃって……?」
本気でわからないような素振りをするロップを、ソリタリオは鼻であしらった。
「もしかして、僕が知らないとでも思ってる? だとしたらピュアだね。キミが悪女なのはとっくにバレてるよ」
「私が悪女だなんて、ひどいです! どこにそんな証拠が……!」
ロップは悲痛に顔を歪めながら、両手両足を大の字に広げて言う。
「な……ならばこの場で、私を裸にでもなさってください! やましいものなどなにひとつ持っておりませんから!」
「いつもそうやって疑いを逃れてきたんでしょ? 他人を貶めるアイテムを、使う時以外は持ち歩こうとしないなんて用心深いよね。でもその程度のことを陰で狡猾ぶるのは滑稽でしかないよ」
「ひ……ひどい……! こんなにも無垢な私を、悪女呼ばわりするなんて……!」
両手で顔を覆って「わっ!」と泣きだすロップ。ソリタリオはつまらなそうに鼻を鳴らした。
「それ、もうやめない? キミの涙なんて、僕にはヨダレにしか見えないんだけど」
「ううっ……! ひどすぎます……! なにがあったのかは存じませんが、証拠もないのに疑うなんて……! 王子は心が汚れています……!」
「たしかにそうかもしれないね。僕にとってこの世界は、汚れた水槽みたいなもんだから」
ソリタリオは視線をロップから外し、眼下に広がる巨大なチェス盤を眺めまわす。
「チェスのプロってさ、百手先くらいまで読んでるんだって。子供の頃に知ってびっくりしたよ、たったそれだけなんだ、って」
ロップは指の隙間から目だけ出して問い返した。
「お……王子は、百手先以上も読めるというんですか……?」
「うん。百手どころか、最初から最後までぜんぶわかるよ。この勝負は白銀チームの勝ちだね」
ロップもつられてチェス大会の盤面に視線を移す。
「王子はチェスがあまり得意じゃないんですね。私も多少チェスをたしなみますが、この状況で白銀チームが勝つのは不可能です」
「ううん、白銀チームが勝つよ。僕にはわかるんだ。いや……僕がそうする、と言ったほうが正しいかな」
「まさか……王子の権限で、勝敗を捻じ曲げるおつもりですか?」
「ううん、その程度のことをするのに権力なんて必要ないよ」
ソリタリオは冗談めかすように、クスリと笑った。
「『蝶のはばたき』って知ってる? ある場所で蝶が羽ばたくと、その効果によって遠くの地で竜巻が起こる、ってやつ。僕はそれを操れるんだ」
そしてウインク。
「正確には、『王子のまたたき』かな。僕が後ろにいるボーイにまたたきをすると、キミの悪女の正体が公になる。それも、キミが二度と立ち直れなくなるほどの内容でね」
「は?」
「あ、それだけじゃないよ。ズタボロになったキミを見たことで、今夜ソレイユをイジメた悪女たちが震えて眠ることになるかな」
それは、あまりにも荒唐無稽な話であった。
ロップはそれまでしおらしくしていたが、顔を覆っていた手をいないいないバァのようにしてパッと開く。涙ひとつ出ていない目を挑発的に剥いていた。
「そうやって作り話で脅して、やってもいない罪の自白を迫ろうとしても無駄ですよぉ」
「ううん、脅すために僕の『力』の話をしたんじゃないよ」
「えっ……じゃあ、なんのために?」
「僕がこの力の話をキミにした時点で、もうひとつの効果が乗るんだ。……『キミは悪女として捕まったあと、山奥の病院に送られる』ってのがね」
「……オホホホホホ! やっぱり、ただの脅しではないですか! 王子のまたたきで、なにがどうなったら私が病院送りになるんですか!? 私に罪を着せられないからって、そんな苦し紛れのヨタ話をして! オーッホッホッホーッ!!」
「じゃあ、やってみせようか。僕も最初からそのつもりだったし。……飽きた石ころでも、たまに蹴飛ばすのも悪くないだろうし、ね」
ケラケラと笑うロップを横目に、ソリタリオは背後を見やる。
またたきとともに向けられた視線に気づいたボーイは、準備していたトレイを持っていそいそとふたりに近づいてきた。
トレイの上には飲み物の入ったグラスふたつと、ムードを盛り上げてくれそうなキャンドルがひとつ。
「お待たせしました、特製のカクテルで……あっ!?」
ボーイはベランダのウッドデッキのわずかな隙間で躓いてしまい、ドリンクとキャンドルをロップにぶちまけてしまう。
ドリンクにはアルコールが入っていたのであろう、キャンドルが引火し、ロップのドレスはあっという間に燃え広がった。
「……ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」
熱さでロップは大暴れ、ベランダの柵を突き破り、丘を転がり落ちていく。
ロップは火のついた車輪のようにチェス盤を横断、駒の生徒たちを蹴散らしたあと、場外にいた白銀チームのポーンの生徒とぶつかって倒れる。
そこで火は消えたのだが、黒コゲとなった令嬢の乱入に、あたりは大騒ぎとなった。




