17 最高の夜
ソリタリオは月のような穏やかな笑顔でソレイユを照らす。
手にしていた小瓶が、月明かりに輝いていた。
「じっとしてて」
「そ……それは……?」
「魔法石に木炭、木酢液、にんにく、唐辛子を混ぜた忌避剤だよ」
小瓶の中身がソレイユの腕輪に垂らされると、腕輪は実体のヘビとなったがすぐに干からび、灰となって消えていく。
ヘビが一匹、また一匹とソレイユの身体から離れていくたびに、苦しみはウソのように軽くなっていった。
しかし身体は思うように動かない。まだ茫洋としている瞳で、ソレイユは尋ねる。
「これは……なんなの……?」
「呪術によって作られた呪いのアイテムさ。キミを破滅させたいヤツらがこぞってプレゼントしたみたいだね。これは、誰からもらったの?」
「最初にロップさんが……そのあとは、初めて会った子たちから……。みんな、呪いのアイテムだって知らなかったのかな……?」
「その可能性はゼロだね。だって、ソレイユに贈られたのはぜんぶ呪いのアイテムだし。そんな偶然あるわけないでしょ?」
「じゃあ、みんなわたしを呪うために……? どうしてそんなことを……?」
「これを贈った者たちはキミに毒を盛らせたかったんだろう。会場にはたくさんの記者がいるんだ。キミが毒を盛る姿がスクープされれば、簡単に処刑台送りにできるからね」
ソリタリオは「それだけじゃない」と続ける。
「それにキミは僕の婚約者だから、話をこじつければ僕も共犯にできる。失脚の材料のできあがりってわけさ」
借りてきたチワワのように震えるソレイユ。
騙されて呪いのアイテムを身につけさせられたことはショックだったが、それ以上に信じられないことがあったからだ。
「王子は最初からぜんぶ……知ってたのね……? 宮殿で、わたしのドレスを見た時から……。なら、なんでその時に教えてくれなかったの……?」
「キミが、ここまでなにも知らないとは思わなかったから」
「えっ……?」
「この国の社交界……特に裏のほうでは、蛇蝎の呪いはありふれたものだよ。ヒ素と同じくらいにね。主に相手を貶めるために使うんだけど、なかには毒の力が欲しくて、すすんで身につける者もいるくらいなんだ」
「そうなの……!?」
「キミがこのドレスを着てきた時はちょっとびっくりしたよ。悪女になるつもりなんだ、って」
「ち……違う、わたしは……!」
「わかってるって。パーティ会場で呪いのアイテムをじゃらじゃら身に着けてるキミを見て、二度びっくりしたから。あんなことをするのは何も知らないか、呪い殺されたい人間くらいだよ」
「……そういえばヘビさんたちも、ビックリしてた……」
「あの時のキミを見たら、悪魔だってビックリするさ。おかげで忌避剤を用意するのが大変だったよ、おかげでダンスどころじゃなかった」
大きく息を吐くソリタリオに、ソレイユは「ごめんなさい……」と恐縮する。
「べつにいいよ。言っただろ、別の意味でパーティが楽しくなる、ってね」
いつもの小悪魔のような微笑み。いつもは憎たらしいはずなのに、いまだけはソレイユの心に染みた。
ソレイユは、捨てられた子犬が不良少年を見上げるような心細げな瞳をソリタリオに向ける。
「王子は、わたしのことをどう思ってるの……?」
「なんとも思ってないよ」即答だった。
ソレイユは、立ち去ろうとする不良少年に最後の望みをかける子犬のようにすがった。
「じゃ、じゃあ、なんで助けてくれたの?」
「なりたての婚約者にパーティ会場で死なれるなんて、けっこうなスキャンダルだからね。しかも呪いによる変死なんて。……さて、これで終わりだ」
ソリタリオが小瓶に残った液体をソレイユのドレスにぶちまけると、ドレスは燃え上がるように消えていく。
「ひゃっ!? み、見ないで!」
「そんなペチャパイ見てどうするの、ほら」
ソレイユが一糸まとわぬ姿になる前に、ソリタリオはあらかじめ脱いでいたロングコートを覆い被せる。
ラベンダーの香りがする抱擁はソレイユを死の恐怖から解放する。冷えきった身体も解きほぐすようなぬくもりに包まれていた。
「あ……あったかい……」
「春でも、王都の夜は冷えるからね」
それは言葉にできぬほどの、圧倒的安心感。
まるで天使の腕に抱かれ魂まで救われたかのような、とてつもない安らぎであった。
ソレイユがホッとした途端、瞳に大粒の涙があふれる。
瞳がキラキラと輝くたび、天の川のような光の筋が頬をつたった。
「わ……わたし……わたし……!」
「どうしたの?」
「王子のことが……好き……!」
星屑がちりばめられた夜の海を思わせる瞳が、ハッキリとなにかを悟ったかのように見開かれる。
揺れる水面には、ソリタリオの顔が月のように映っていた。
「やっぱりどうやっても、嫌いになれない……! どんどん好きになってく……! もう王子のことが、好きでたまらなくなっちゃった……!」
月は、クスリと笑う。
「そんなこと、わざわざ言わなくてもわかってるって」
「ううん、わかってない! 王子が思ってるより、わたしは王子のことが好き! ずっとずっと、ず~っと! ずっとずっと、ずぅぅぅぅ~~~~~~っと!!」
ソリタリオの腕のなかで、涙を迸らせながら叫ぶソレイユ。
まるで赤子が、初めて芽生えた感情を泣き声で訴えるかのように。
「わたしは入学式の時からずっと王子に『片想い』してた……! でもいまからは『全想い』なの!」
想いを言葉にするたび、気持ちがどんどん昂ぶっていく。そんなソレイユを、ソリタリオはただじっと見つめていた。
「決めた! この気持ちが王子に伝わるまで、わたしはアタックし続ける! いままで以上に、すっごく、たくさん! どんなに冷たくされたって、ぜったいにあきらめないから! いいよね!?」
異性からこんな風に思いを伝えられるのは、ソリタリオにとっては日常だった。
その場合、彼はいつもこんな風に返している。
『ダメって言ってもするんでしょ? 僕に片想いするな、っていうのは息をするなって言ってるのと同じだからね』
しかし、今回は少し違っていた。
「う~ん、なんか息苦しくなりそうだからヤダ」
「ええっ!? そんなぁ!?」
ソレイユの悲鳴は口からだけでなく、お腹からも同時に鳴り響く。
「あっ……。そういえば晩ごはん、なにも食べてなかった……。おなかすいた……」
穴の開いた風船のように、しおしおとしおれていくソレイユ。
めまぐるしく変わるその仕草に、ソリタリオも思わず笑みをこぼしてしまう。
「ふふっ、ホントの赤ちゃんみたいだね。じゃ、これでも食べたら?」
サンドイッチの入ったバスケットを差し出され、ソレイユは目を輝かせた。
「わぁ、魔法みたい! それに、中身は宝石みたい! これ、どうしたの?」
「おみやげに作らせたんだ。グッド、サンドイッチが好きだから」
それは犬のおみやげ用のサンドイッチ。といっても、キャビアやフォアグラ、ローストビーフやサーモンなどの具がぎっしり詰まった豪華なものだった。
そしてふたりは、遅めのディナーにありつく。
サンドイッチふたつを両手で持ってニコニコ顔でパクつくソレイユ。やれやれ顔でサンドイッチをつまむソリタリオ。
ソレイユは思った。
このまま時が止まってくれたらいいのに、と。




