14 婚約者いびり
ソリタリオ王子がヒビの入った花瓶に手をかざす。
「リールペリア」
そう唱えると花瓶は青い光に包まれる。しばらくして光が消えると、花瓶のヒビはすべてなくなっていた。
わたしはもう、何度この言葉を王子に言ったかわからない。でも、言わざるをえなかった。
「す……すご……!」
わたしは今更ながらに、王子のすごさをひしひしと噛みしめていた。
「王子って、本当にすごいね……。剣術も魔術もできるなんて……」
もしかしたら悪役令嬢の息子だから、チートみたいな能力があるんだろうか。
あれ? でもそれだったらヒロインの娘であるわたしにもその能力があってもいいような。
「ひょっとして、誰も見てないところですごく努力とかしてるとか?」
「いや、全然。修復魔術を使ったも今日が初めてだし」
王子の返事はあっさりしたものだったけど、わたしは髪の毛が逆立つくらいビックリしていた。
「えっ、初めて!? 初めてでなんでこんなにうまくできちゃうの!?」
「うまくもなくも、魔術書に書いてあったとおりにやっただけだよ」
「ま……魔術って、何度も練習しなきゃできるようにならないのに……」
わたしも静電気が出せるようになるまでは、サングレロを何年も練習した。
基礎魔術でそれなのだから、高等魔術ともなれば気の遠くなるような努力が必要なはずだ。
「普通はそうみたいだね。でも僕からすれば、こんな簡単なことがなんでできないのか不思議だよ。でもいまはそんなことより、キミとした約束のほうが気になるかな」
「え? 約束?」
「花瓶を直したら、僕の魔術のことは秘密にするって言ったでしょ」
「あ……そうだったね! じゃ、指切りしよっ!」
わたしは嬉々として小指を差し出したんだけど、王子は指を絡めてくれるどころか鼻で笑っていた。
今回ことで王子のことが少しわかって、ふたりの間の壁も少しだけ取り払えたような気がしたんだけど……。
王子は相変わらずの塩対応。しかし塩は塩でも、素敵なハーブソルトだと思いはじめている自分がいる。
「あ、そうだ、お礼を言うのを忘れてた。花瓶を直してくれたのもそうだけど、自己紹介の時にも助けてくれて」
ちょうどその時、外の廊下にグッドくんが通りかかり、王子を見つけて嬉しそうに駆けよっていた。
わたしは物置の床に正座して、ペコッと頭を下げる。
「ありがとうございます、王子」
ちぎれんばかりにシッポを振るグッドくん、王子はその頭を撫でながら横目だけをわたしに向けていた。
「本気でそう思ってるのなら、もっと必死にシッポを振りなよ。キミが捨て犬になるかどうかは僕次第なんだから、ね」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
物置を飛びだしたソレイユは、蒸気を噴いていそうなほどに鼻息荒く廊下を歩いていた。
――ときめく度にからかわれて……! もう、わたしったら、なんど懲りたら気が済むの!
あの人はわたしのことを、公然と石ころだっていってのける悪魔なのに!
しかも今度は犬扱いするなんて! あの人にとってわたしは、グッドくんと同じってこと!?
……あれ? でも、愛犬のほうが石ころよりマシよね?
もしかして、あの人のなかでわたしの地位も少しはあがったのかな……?
そのうちグッドくんみたいに、頭をナデナデしてくれたりして……!
懲りたそばから、懲りない妄想に浸るソレイユ。
自室である来客用の寝室に戻ろうとしていたところ、メイドから声を掛けられた。
「ソレイユ様、ヘビイチゴ様がお呼びです。ヘビイチゴ様はドレッサールームにおられます」
ソレイユは王妃用のドレッサールームに針路を変更する。
そこは本来はマザーロウが身だしなみを整える場所であるが、マザーロウはめったにこの宮殿には来ないのでヘビイチゴが使っていた。
ソレイユがドレッサールームに入ると、ヘビイチゴは部屋にいたメイドたちを下がらせる。
ヘビイチゴは鏡台に向かって厚化粧を直しながら、新人女優をイビる大女優のようなポジションで言った。
「聞きましたよ、ソレイユさん。マザーロウ様の花瓶を割ってしまったんですってねぇ?」
鏡ごしに絡みつくような視線を向けられ、ソレイユはヘビに見つかったカエルのようにビクリとなる。
ヘビイチゴは長細い舌をチロリと出していた。
――さぁて、この大根娘はどんな言い訳をするんでしょうねぇ?
ジワルが婚約者に仕掛けている、花瓶を割らせるイタズラ。
ヘビイチゴはいつものこのイタズラに乗っかり、婚約者をいびっていた。
――いままでの婚約者の言い訳は、すっとぼけるか使用人に罪をなすりつけるかの二択。
しかしどちらを選んだところで、ウソを付いた時点で詰みは確定。
ウソをごまかすためには、さらにウソの上塗りをするしかない……。
必然的に、ヘビに絞め殺される獲物のようにじわじわと追いつめられていき……。
最後は鬱血したような紫色の顔で、泣き叫びながら罪を白状する……!
ホホホ……! 人間の本性が暴き出されるようなこのいびりだけは、何度やっても格別なのよ……!
さぁ、せいぜい見苦しく言い訳をして、このヘビを楽しませてちょうだい……!
しかし鏡越しに飛び込んできたのは、前屈のごとくこれでもかと腰を折って頭を下げるソレイユの姿だった。
「ご……ごめんなさーいっ! つい転んじゃったんです! どんな罰でも受けますから、許してくださーいっ!」
それはヘビイチゴがまったく想像していなかった、第三の選択肢。
カウンターパンチが顔を掠めたかのように、厚化粧にピシリッ! と稲妻のようなヒビ割れが走った。
――な……!? なんの言い訳もせず、認めるなんて……!?
なにこの大根!? おバカだとは思っていたけど、まさかここまでおバカだったとは……!
ヘビイチゴの座右の銘は『正直者はバカを見る』である。
驚きはしたもののすぐに落ち着きを取り戻し、口元をねじ曲げていた。
――これが計算じゃなくて天然なら、もっと楽しめそうねぇ。
ここでいびって泣かせるどころか、処刑台の上でマジ泣きさせることもできそうねぇ……!
ヘビイチゴは「まぁ……!?」とことさら明るい声を装う。
「正直に罪を認めて謝るなんて、ヘビはとっても嬉しいわぁ。正直者にはご褒美をあげなくちゃねぇ」
ヘビイチゴは鏡台から立ち上がると、少し離れた場所にある衣装棚へと歩いていく。
他の衣装棚とは大きく異なるドクロマークの付いた扉を開け、中から一枚のドレスを取りだしていた。
「これをあげましょう。これはね、マザーロウ様から頂いたドレスなのですよ」
それはヘビが全体に巻き付いているようなデザインの、深紅のドレスであった。
ソレイユは怒られると思っていたのにまさかのご褒美。しかしご褒美といえば飴玉のイメージしかないのでポカーンとしていた。
「え……いいんですか? こんなにすごいものを、わたしが頂いても……?」
「いいのよ。ヘビが着るよりずっと似合うと思うわぁ。それに、今夜はダンスパーティがあるでしょう?」
王立ヴェルソ学園では新学期になると、新入生を歓迎するためのダンスパーティが催されるのが恒例となっていた。
そのパーティでは、これから社交界を賑わすことになる王族や貴族の子息や令嬢が揃い踏みするため、ヴェルソ小国においては注目度の高いイベントのひとつでもある。
ヘビイチゴに言われるまで、ソレイユはダンスパーティのことをすっかり忘れていた。
「あ……そういえば、そんなのもありましたね」
「その様子じゃ、ドレスを用意してなかったみたいねぇ。だったらこれを着ていくといいわぁ。パーティには多くの記者が集まるから、このドレスなら注目間違いナシねぇ。明日の新聞が楽しみだわぁ」
「あ……ありがとうございます、ヘビイチゴ様! わたし、このドレスでパーティに行きます!」
ヘビイチゴの笑みはこびりつくようであったが、ソレイユは打ち解けられたと勘違い。
彼女はまだ知らない。その笑顔に、月の裏側のような醜い企みが隠れているのを。




