01 婚約破棄の季節
「春は婚約破棄の季節。そして今日は、絶好の婚約破棄日和。……夢から覚めるには、うってつけの日だと思わないかい?」
今年の『王立ヴェルソ学園』の入学式はいつもとひと味違っていた。
なにせこのヴェルソ小国の次期国王といわれているソリタリオ王子と、その婚約者が入学するのだから。
わたしも新入生のひとりだったんだけど、入学式での新入生の挨拶の時にそれは起こった。
新入生の男子代表であるソリタリオ王子が、静かに奏でられるハープのような声でこう言ったのだ。
「おはよう、そしてさよなら」
王子は背後に控えていた、新入生の女子代表に視線を移す。
「ロップ、キミを愛することは二度とないだろう」
女子代表のロップさんは、この場に似つかわしくない悲惨な有様だった。
頭の上からぶっかけられたみたいに全身生ゴミまみれ。真新しいはずのブレザーの制服はあちこち切り裂かれている。
いったいどんな酷いことをされたらこんな風になるのか想像もつかない。しかも、着替えるのも許されないなんて……。
ロップさんはこらえていた涙があふれたように、「わあっ!」と顔を押さえて泣きだした。
修羅場と化す壇上。そのすみっこではわたしたち新入生が控えていたんだけど、最前列にいたわたしは「リアル婚約破棄だ!」と前のめりになる。
最初は物珍しさでいっぱいだったんだけど、ゴミまみれで泣きじゃくるロップさんにソリタリオ王子があまりにも冷たかったので、だんだん怒りがこみあげてきた。
婚約者がこんなになっているに気づかいの言葉のひとつも無いなんて、あまりにも酷すぎる。
……ひょっとしてソリタリオ王子が自ら、ロップさんをズタボロにしたの……!?
しかしそれは想像でしかないから、わたしはガマンする。だいいち、ふたりの間になにがあったのかなんてわたしは知らないんだから。
「お……お願いです、王子……! どうか、捨てないでください……!」
ロップさんはまだあきらめきれないようで、未練たらたらの幽霊のような顔で王子にフラフラと近づいていく。
そんな彼女にわたしはとても同情したけど、王子はそんな気持ちは微塵もないようで、払いのけるように手をひと振り。
たったそれだけの仕草でも、王子に掛かればはためく蝶のように優雅だった。
同時に不思議なことが起こる。わずかな風に煽られたみたいに、ロップさんの肩に乗っていたバナナの皮が床に滑り落ちたんだ。
ロップさんは運悪く、バナナの皮を踏んで盛大にすっ転んでしまう。
「ぎゃっ!?」
憐れとしか言いようのない格好で這いつくばるロップさん。でもそれすらも王子は路傍の石でも見るかのようだった。
「キミはもう、蹴る価値もない石ころだ」
ついに、わたしの悪いクセが出る。新入生の列から飛び出してツカツカとソリタリオ王子の元へと向かう。
王子がわたしに気づくより先にそのニヤけた横っ面めがけ、背伸びしながら手を振り上げていた。
「目には目を、歯には歯を、愛には口づけをっ!」
バシッ!
それは会心のビンタだった。しかしソリタリオ王子の頬に炸裂する直前であっさりと受け止められてしまう。しかもノールックで。
「うそっ!?」
驚きに目が飛びだしそうになるわたし。ソリタリオ王子はわたしの手首を掴んだまま、片手で軽々と持ち上げる。
わたしの両足は床から離れ、完全に吊り上げられてしまった。
まわりに警護の人たちが集まってきたけど、ソリタリオ王子は一瞥で制する。
彼はわたしを苦もなく持ったまま、横目だけをわたしに向けた。
「キミは誰?」
いまのわたしは猟師につかまったウサギ状態だったけど、オオカミのように猛然と食ってかかる。
「わたしが誰かなんてどうでもいいです! なんてひどいことをするんですか!? 泣きすがる女の子を払いのけるなんて!」
「彼女が勝手に転んだだけだけど」
「でも、払いのけるような仕草をしたでしょう!?」
「そりゃするよ。ハエにたかられようとしてるのに、じっとしてるヤツなんていないよ」
「ハエ!? ひどい……!」
「ひどい? 心外だな、僕は彼女に生涯最高の片想いをさせてあげたんだ。それに、彼女の家が王家と繋がりを持てるというプレゼントもあげた。感謝されても批難されるいわれはないと思うけど」
「か……片想い!? 王子は、ロップさんのことを好きじゃなかったんですか!?」
「うん、ちっとも」
「ええっ……!? だったら、なんで婚約なんてしたんですか!?」
「そんなこと、キミに言う必要はないよね。そもそもキミ、なんの関係もないでしょ?」
「そ……それはそうですけど……! でも、ロップさんにはやさしくしてあげてください!」
「やさしく? なぜ? 僕はもう飽きたんだよ?」
王子はハープのような声音もさることながら、返答のひとつひとつが浮世離れしていた。
なんだか、残酷な天使と話してるみたい。
「王子はさっきからひどすぎます! ロップさんは、こんなにも王子のことを想ってるんですよ!?」
わたしは、わたしの足元でさめざめと泣くロップさんを指さす。
しかしソリタリオ王子はクスリと笑うだけ。いまさらなにを言っているんだという感じで。
「僕を想わない女など、この世にはいないんだけどな」
「ぐっ……ぐぬぬぬっ……!」
ビンタを受け止められた時にわたしの頭は少しだけ冷静になり、王子を殴ろうとしたことを後悔していた。
しかしこうやって話しているうちに、やっぱり殴っておけばよかったと後悔する。
そしてほんの一瞬でもこんなヤツを「いいな」と思ってしまったことも後悔していた。
わたしは田舎の学校から王都に進学した、俗にいう『田舎グループ』のひとり。
ソリタリオ王子を生で見たのはこの入学式が初めてだったんだったけど、ひと目見た瞬間、田舎グループの女子の目は全員ハートになっていた。
みんなと同じで、わたしもファンクラブ入りを即決したほどだった。
悔しいけど、それほどまでにソリタリオ王子はカッコ良かったんだ。
天使の輪ができるほどに輝く金髪、王家の秘宝のような青い瞳、通った鼻筋にいたずらな笑みを絶やさぬ唇。
顔のパーツすべてが整っていて、お互いを引き立て合うように完璧に調和している。
高校1年生にしては大人びた顔立ちで、背も高く脚も長い。特別仕様の制服も反則級に似合っている。
そしてそれ以上に驚きだったのは、オーラがあったこと。
オーラなんて迷信だと思っていたけど、ソリタリオ王子は背後から後光が差しているかと思うほどに神々しく、美しかった。
一言で言い表すなら、神様がパーフェクトな人間、すなわち天使を作ったらこうなるだろう、みたいな感じ。
しかし目の当たりにした性格は、悪魔みたいに最悪だった。
飽きたからって、婚約者をオモチャみたいに捨てるなんて。
苛立ちのあまり歯を食いしばるわたしを見て、王子は人の心を見透かした悪魔みたいにニヤニヤ笑っていた。
「婚約破棄は喜ぶべきことなんじゃないの? キミも、僕のことが好きなんだから」
い……言い切り口調がムカつくっ! しかも図星なのが余計に腹立つ!
「さ……最低っ! ほんのちょっとでも好きになったわたしがバカだったわ!」
「いまも好きなくせに」
「そんなことないっ!」
「僕を嫌いだという女がいたら会ってみたいね」
「こっ、ここにいるわよぉぉぉーーーーっ!!」
わたしは完全にブチギレ、気づくと空いていたほうの手をソリタリオ王子に手を振り上げていた。
……バシッ!
会心のビンタふたたび。しかしそれはまたしても止められてしまう。
しかも王子の手によってではない。振り上げたわたしの手には、ロップさんがしがみついていた。
「ソリタリオ様に乱暴しないで!」
「ろ……ロップさん、どうして……!? ソリタリオ王子は、あなたに酷いことを……!」
「どんなに酷いことをされても、好きなんです! 婚約破棄されても、大好きなんです!」
ロップさんは涙で瞳をキラキラさせながら、王子に言った。
「ソリタリオ様……私は今日をもって、お暇をいただきます……。ですが、あなた様に片想いを続けることだけは、お許しくださいませんか……?」
「ダメって言ってもするんでしょ? 僕を好きになるなっていうのは、息をするなって言ってるのと同じだからね」
「なにそのキザすぎる台詞! うがーっ!」
部外者というのは百も承知だったけど、わたしは暴れた。
手が使えないなら噛みついてやるとばかりに、王子に向かって歯をガチガチ鳴らす。
王子は檻の中の子虎を見るような目で微笑んでいた。
「キミ、名前なんていうの?」
「お……教えるもんですか!」
わたしのささやかな抵抗。しかし新入生の列にいる田舎グループからすかさずわたしの名前が飛びだした。
「ふぅん、ソレイユっていうんだ。ああ、キミがあの『地獄に咲くヒマワリ』か。たしかキミのドジで、カンパーニュ家は滅亡寸前なんだってね」
「な……なんで知ってるの!?」
ソリタリオ王子は呆気に取られるわたしの手を離すと、金色の紗のような髪をかきあげる。
それは悔しいほど、絵になる仕草だった。
「僕はなんでも知ってるんだ。でも、こんな風に迫られたのは初めてだよ」
「えっ?」と我ながらマヌケな声を漏らしてしまうわたし。
「キミ風に言うなら『目には目を、歯には歯を、婚約破棄には婚約を』ってカンジかな」
「えっえっ?」
「面白かったから夢を叶えてあげるよ。いまからキミが僕の婚約者だ」
「えっえっえっ?」
「おやすみソレイユ、そしてこんにちは」
夜空の星がすべて落ちてきたようなウインク。
次の瞬間、入学式の行なわれている講堂じゅうに、わたしの絶叫が響き渡っていた。
「えっ……ええええええええーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」
新連載です! 完結まで書き上げているので順次掲載していきます!
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