包丁彼女
「包丁彼女」
サヤカ 高校二年生 女子
タカシ 高校二年生 男子
ミサキ 高校二年生 女子
ナツミ 高校二年生 女子
アカネ 高校二年生 女子
担任 全員の担任 女性 二十四歳
一場 教室
下手側に教卓。生徒たちの机は下手に向かって並べられている。
ミサキ、ナツミの2人が座って、どうでもいいような話をしながら笑っている。
サヤカのみ一人で座って本を読んでいる。サヤカ、眼鏡に三つ編み。スカートが長い。一番前の席。
タカシ、上手から登場。おびえたように教室に入ってくる。
ナツミ、タカシの顔を見てゲラゲラ笑い出す。
タカシ、笑われたことに傷つきながらも、何も言えずにそっと一番後ろの席につく。
ミサキ (ナツミに)あんたこいつの気持ちの悪い顔を見てよく笑えるねえ。
ナツミ だっておもしろいんだもん。顔もヘンで面白いけれど、女子に何にも言えずにくやしそうにしてる顔がものすごくおもしろい! なにその顔!
ナツミ、またゲラゲラ笑う。
ナツミ ねえねえ、どんな気持ち? やっぱりくやしい? 毎日毎日笑われてからかわれて、バカにされてくやしい?
ミサキ (タカシに)おいっ、質問されてるんだから答えろよ!
タカシ いや、別に…。
ナツミ そんなことはないよねえ。はらわたが煮えくりかえってるのがよくわかるよ。だけど何にも言えないんだよねえ。そんなにくやしかったら泣いたら? もっとおもしろくなるし。そうだキミ、前にウチが、タッパーに肉を入れて持ってきたのをうれしそうに食べてたじゃない。それがドッグフードだって聞かされた時の泣きそうな顔! あの時の顔にそっくりだよ、いまのキミ!
ミサキ あの時のことを思い出すと今でもむかつく! うれしそうに食べやがって! だれがおまえなんかにまともな食べ物をくれてやるか! おまえみたいな気持ち悪い奴が毎日ものを食ってると思うだけでむかつく!
タカシ 食べないと、死んじゃうから…。
ミサキ 死ねって言ってるんだよ! この地球上には食べられなくて飢えている人がいくらでもいるんだ! なんでおまえみたいな奴が平気な顔して食って寝て生きてるんだ! だいたい、なんで女ばっかりのコースに入ってきたんだ! 男ひとりだからモテるとでも思ったのか!
ナツミ (タカシに)へえ、そうなの?
タカシ いや、ただ希望の進路に沿っただけで…。
ミサキ えらそうに言うな! おまえ、専攻の成績もほかとおんなじでいっつもビリじゃねえか!
ナツミ (タカシに)だったらこのクラスでだれがいちばんいいの?
ミサキ (ナツミに)くだらないことを聞くな! あたしのことが好きとか言われたら、あたしは本当に吐くぞ!
ナツミ まあまあ、ウチの名前を出したら今まで以上にバカにしてあげるよ。
ミサキ 絶対にあたしの名前なんか言うんじゃねえぞ!
ミサキ、タカシの机を蹴飛ばす。大きな音を立てて机が床に倒れ、タカシがおびえて椅子に座っている様子が丸見えになる。
ナツミ それでだれなの? だれが好きなの? 教えてほしいなあーっ。
タカシ サヤカ…。
サヤカ、びくっとする。
ナツミ えーっ。きこえないー。
タカシ サヤカっ!
サヤカ、本から顔を上げて呆然とする。逃げるように上手に退場。
ミサキ (タカシに)おまえ、今何をしたかわかってるのか! サヤカは今のことが一生のトラウマになるぞ! よりにもよっておまえなんかに告白されたんだぞ! ゴキブリに愛された方がずうっとマシだ!
ナツミ そーだ、そーだ!
タカシ すみません、すみません!
ミサキ あたしたちに謝ってどうする! おまえが傷つけたのはサツキだ!
ナツミ (笑いながら)キミは、ミサキの名前を出せば怒られる。ウチの名前を出せばバカにされる。それでサツキの名前を出したんだよ。そんなことをすればサツキがいやがることがわかっていながらね。サツキだったら自分が損をしないっていう自分の都合でね。本当に人間のクズだねえ。
アカネ 上手から登場。
アカネ おはよーっ…て。あれ、サツキはどうしたの? いつも早いのに。
ナツミ (笑いながら)聞いてよ…。タカシがねえ、サツキの告白して、サツキがいたたまれなくて出てっちゃって…。
ミサキ 笑い事じゃない! まさか気持ち悪さのあまり、自殺なんかしないだろうな。
ナツミ (笑いながらタカシに)だってさ。どーする? 自分の気持ち悪さのせいで女の子が死んだら?
二場 教室
サヤカ走って上手から登場。三つ編みをほどき、眼鏡を外している。手にはでかい包丁を握っている。
サヤカ、笑っているナツミの頭を包丁の背でぶん殴る。
ナツミ 痛いっ! いきなり何を…。(怯えて)それ包丁じゃないの!
サヤカ (片手で包丁を水平に構えて)タカシの敵は、それがどこの誰であろうとわたしの敵。彼の心にかすり傷でもつけるようなマネは、わたしがさせない!
ミサキ どっからそんなもの持ってきたんだ! あんた、タカシに告白なんかされて傷ついたんじゃなかったのか!
サヤカ そんなわけないじゃないの。わたし男の子に告白されたのって初めて。(タカシに)タカシはわたしのこと好きなんでしょわたしだけが居ればそれでいいでしょだってタカシとわたしは相思相愛だもんね恋人だもんね夫婦だもんねううんもう一心同体くらいだよね。前世からつながってるもんね。後生でもつながるもんね。今からわかってるもんね。いや、今から決まってるもんね。だってタカシは私が好きで私はタカシが好きだもんねタカシ大好き…。
一同、あっけにとられて言葉が出ない。
タカシ (サヤカに)あの、ぼくはそこまでは…。
サヤカ いいのよ照れなくて。あとでメルアドと携番の交換をしましょう。
タカシ そういうことじゃなくて!
サヤカ そうね。わたしが間違ってたわ。
タカシ わかってくれたらいいんだけど。
サヤカ わたしたちは、基地局が中継した電波なんかじゃなくて、魂でつながってるんだよね。
タカシ サヤカってたしか、電気屋さんの娘で、お母さんも電気技師で、家の商売の手伝いもしてるんだよね。そういうことを言うのはまずいんじゃ…。
サヤカ あの二人は仮の両親。真実のわたしは、あなたの同胞…。
タカシ どうしたらいいんだ…。
サヤカ あなたは何もしなくていい。いやなことやめんどくさいことは、全部わたしがしてあげる。あなたはただ、わたしを可愛がることだけを考えていればいい。わたしはいつ、どんな場所でもあなたの味方。…浮気さえしなければ。
タカシ もし、浮気したら?
サヤカ 切り落とす。
タカシ (おびえて)何を?
サヤカ (照れて)女の子にそんなことを言わせたら、ダメ。
タカシ、さらにおびえる。
サヤカ あなたの心も体も、髪の毛一本までもわたしのもの。もし奪われたなら、死体にしてでも取りもどす。
タカシ 怖いよ!
サヤカ 大丈夫。わたしがいる限り、決してあなたを怖い目になんか会わせない!
三場 教室
担任が下手から入ってくる。サヤカ、包丁を背に隠す。
担任 さっさと席につけ。始めるぞーっ。
生徒たち、自分の机の前に立つ。
サヤカ (気合いが入っている)気をつけ!
担任、つかつかとミサキの席まで歩いていき、ミサキを怒鳴る。
担任 しっかり立て。
ミサキ、ふてくされたようにそっぽを向く。
担任 なめてんのか、てめえ!
担任、 ミサキの机を蹴飛ばす。大きな音を立てて机が床に倒れる。ミサキと担任の間をしきるものが何もなくなる。
ミサキ、姿勢を正す。
担任 よーし、いい子だ…。と言いたいところだが、最初からそうしろ!
サヤカ 礼! 着席!
生徒達、座る。
担任 サヤカがいやに元気だな。他のやつらは元気か? (いちばん後のタカシに目をつける)タカシ、顔色が悪いようだが元気か?
タカシ あまり元気じゃないです。
担任 元気じゃないのは自分が悪い! 自分が不幸なのは自分が悪い!
タカシ そうなんでしょうね。どんなときでもぼくが悪い。いつでもどんなときでも、悪いのは、ぼくだけ。
担任 開き直るな! なぜ元気になろうとしない! なぜ幸せになろうと努力しない! おまえはそんなことだから、部活を途中でやめたりするんだ!
タカシ あれは、お母さんが、勉強ができないから部活をやめろと言ったから…。
担任 言い訳するな、みっともない! だいたい部活をやめて成績が上がったか? ずうっとビリのままじゃないか! わたしを見てみろ! ハンドボールでインターハイに出た後、死にものぐるいで勉強して、地元の国立の教育学部に合格した! 努力すればなんでもできる! 何かできないことがあるのは努力が足りない証拠だ。勉強ができない奴はできないんじゃない。やらないだけだ! 運動ができない奴はできないんじゃない。やらないだけだ! いじめられてる奴は弱いんだ。弱い奴は弱いままでいいわけじゃない。なぜ勇気を持って抵抗しない! 勇気がないわけじゃないんだ。勇気をふりしぼらないだけなんだ! 勇気を持って強くならなきゃいけないんだ! 運命は、どんな時でも勇者の奴隷だ!
担任、自分の演説に満足したように辺りを見回す。
担任 授業を始める!
暗転。
四場 教室。その日の放課後。
ナツミとミサキが座っている。
ナツミ ねえミサキ、朝のことを先生に相談しようと思うんだけど…。
ミサキ 朝のこと?
ナツミ 忘れたの! ウチがサツキに包丁で殴られたこと!
ミサキ あいつに相談? やめて!
ナツミ なんで? あんなことされたのは生まれて初めてだよ!
ミサキ あんたがサツキのことをあいつに言えば、当然サツキがあいつに呼び出される。サツキが呼び出されれば、きっとあんたがタカシをどんな風に扱っていたかをしゃべるだろう。そうなれば、あたしがタカシをどう扱ってたかっていう話も出てくる! あんたは朝のことで被害者になれるけどあたしはそうじゃない!
ナツミ あんたまさか、タカシが朝自分のことを好きだと言わなかったから機嫌を悪くして…。
ミサキ、立ち上がる。
ミサキ おもてへ出ろ!
ナツミ 冗談だよ! そんなにマジにならなくてもいいじゃん!
ミサキ 冗談でも言っていいことと悪いことがあるだろう! あいつに好きだとか言われて喜ぶだなんて、女として失格だ!
サヤカ、上手から登場。
サヤカ あ、二人ともちょうど良かった。相談したいことがあるのよ。
ミサキ、気まずそうに座る。ナツミ、おびえる。サヤカ、立ったまま話し始める。
サヤカ あの先生はタカシのためにならないから、なんとか追放しようと思うの。
ミサキ 先生を?
サヤカ 協力して!
ミサキ そんな簡単にいくとは思えないぜ。
サヤカ もちろん簡単じゃない。わたし一人ではできないから、みんなの協力が必要なのよ。
ミサキ わかった。協力しよう。
ナツミ ミサキ!
サヤカ ありがとう! これにはクラス全員の協力が要るから、アカネにも話しておくね。(凄むように)もちろんナツミも協力してくれるよねぇ…。
ナツミ はい…。
サヤカ 具体的にどうしてほしいかは、また連絡するから。
サヤカ、上手に退場。
ナツミ ちょっと、あんな約束して大丈夫なの!
ミサキ もともとあたしはあの担任が嫌いだ。最初にあたしに目をつけたせいで、あたしにばっかりからんできて! 朝もそうだったろ。ちょっと姿勢が悪い奴なんかいくらでもいるだろ! それに女の子の机を蹴飛ばすなんておかしいだろ! あいつはね、大きな音を立てて人を脅かすしか能がないんだ!
ナツミ 相手は先生だよ! こっちが損をして終わりなんじゃないの!
ミサキ その時は、サヤカに脅されたってことにすればいい。実際あんた、さっき脅されてたじゃないか。
ナツミ だったらうまくいったとしても、ウチはサヤカに脅され続けることになるんじゃないの! うまくいくってことは、先生はもういないんだよ!
ミサキ 代わりの担任が来るだけだろ。
ナツミ だれが来たとしても、あのヒトより生徒を従わせられる先生が来るとは思えないよ!
ミサキ サヤカが包丁を持ってきたとき、あたしには何もせずにあんただけを殴った。
ナツミ それは、あの時笑っていたのがウチだけだったからじゃ…。
ミサキ さっきも、あんたには「脅して」いたのに、あたしには「頼んで」いた。サツキはあたしにビビッてるんだ。大丈夫だ。ナツミはあたしが守ってやる…。
暗転。
五場 翌日の教室。
授業中。生徒は全員席につき、担任は机間巡視をしている。タカシの机のそばで立ち止まる。
担任 タカシ、相変わらず元気がないな。
タカシ まあ、いつものことですし。
担任 いつもいつもこんな後ろの席にいるからそうなるんだ。たまには前の席を希望してみたらどうだ? わたしは生徒にうるさく言う方だが、席だけはおまえらの言う通りにしているぞ。どんな席になろうがおまえらに私語をさせたりしない自信があるし、他の先生の授業でうるさかったりしたら、わたしがただじゃおかないからな!
タカシ ひとが後ろにいると落ち着かないんです。
担任 ゴルゴ13みたいだな。
タカシ あんなに強くないです。
担任 デューク東郷みたいに、後ろに立つ奴はだれでもぶん殴っちまえばいいのに。
タカシ 無理です! だからなるべく背中に壁があるように座ります。
担任 だから、そういう消極的な考えがダメだと言ってるんだ! 昼休みに教室に来ると、必ずおまえだけ黒板を向いて食べているだろう! まわりが女子ばっかで中に入りにくいのはわかるけれど、だったら他のクラスの男子といっしょに食べればいいだろう!
タカシ ご飯はひとりで食べたいです。正面に人がいると落ち着きません。何か話さなきゃならないのかという義務感で食事どころではないです。それに、話しながら食べると口の中の食べ物が見えて気持ち悪がられているんじゃないかとか、そんなことばかり頭に浮かんで、ご飯がおいしくないです。…小学校のころ、給食の時間は地獄でした。
担任 あのな、給食のおばさんが心をこめて作ってくれたんだぞ!
タカシ すみません!
担任 わたしじゃなくて、給食のおばさんに謝れ!
サヤカ、立ち上がる。
サヤカ 待って下さい先生。タカシは給食のおばさんに感謝していないなんて言ってないじゃないですか!
担任 そういうことを言ってるんじゃないんだ!
サヤカ どういうことを言ってるんですか?
担任 心を込めて作ってくれた以上、好きなものであれそうでないものであれ、おいしくいただけと言ってるんだ!
サヤカ だったら心をこめて殴ってくれた以上、痛くても痛みを感じるなっていうことですか?
担任 違うな。愛の鞭と思って感謝して痛みを受けろっていうことだ。
サヤカ だったら、心をこめて殺してくれたら、感謝して死ねってことですか?
担任 いやにおまえ、タカシの肩を持つじゃないか。まさか、つきあい始めたのか?
サヤカ いいえ!
担任 そうなのか? だったら男子の前でカッコつけたいだけなのか?
サヤカ つきあい始めた(・・・)んじゃありません。わたしたちが恋人同士であることは、ふたりが生まれる前から決まっていたことです。
担任 何を言ってるんだかわからん!
サヤカ あなたに理解できないことなんか、世の中にいくらでもあります。
担任 ガキの恋愛ごっこに付き合っていられるか!
サヤカ 恋愛ごっこではありません。
担任 (心からバカにしたように)なんだぁ? 「わたしたちは本当に愛し合っているから、大人の汚い恋愛とは違います」とか言うつもりか?
サヤカ 大人たちだけではありません。この世のどのカップルとも違います。わたしは彼の、魂の護衛なんです。
ミサキ (担任に)いい加減にしてほしいんだけど! いつまでこんな下らない話を聞かなきゃならないんだ。
アカネ (担任に)わたしもそう思います。
ナツミ (担任に)ウチも…。
担任 なんなんだおまえら。おまえらもタカシを好きになったのか?
ミサキ (担任に)そういうからかいは不愉快だ!
担任 (ミサキに)なんだその言葉遣いは!
ナツミ (担任に)ウチもミサキと同じです。
アカネ (担任に)あたしは少し違います。私の親は、タカシのお父さんにたくさんお金を借りていて、しかも返却を待ってもらっています。タカシの敵になるわけにはいかないんです。
担任 (タカシに)親の金で女の子に守ってもらってるのか? 情けねえなぁ!
サヤカ タカシはアカネに守られてなんかいません! 彼を守っているのはわたしです!
担任 そういうことを言ってるんじゃないって、何回言えばわかるんだ!
サヤカ どういうことを言ってるんですか!
担任 そんなに守られてばかりいたら、社会に出て通用しないって言ってるんだ! (タカシに)親は先に死ぬぞ。強くならなくてどうする。わたしは女に生まれたけれど、男に守られたことなんか一度もないし、守られていると感じたことも一度もない! 自分が強くならなければと…。
サヤカ あなたの自慢話を聞くことが、タカシになんの救いになるんですか!
担任 自慢してるんじゃないんだ! 人生の教訓を与えてるんだ!
タカシ うちの親もよく先生みたいなことを言います…。
担任 そうだろう。大人だったらだれでも思うことだ。
タカシ 大人たちの言う通り、ぼくは何年かしたら、社会っていう地獄に放り込まれる! それをどうすることもできない! 今でもこんなに苦しいのに! 勉強も専攻も運動もできない。小学校のころはひどい偏食家で、給食の時間は地獄だった。給食だけじゃない。体育の時間に二人組みを組まされるのが本当にいやだった。出席番号順に組まされるけれど、いつもぼくと組まなきゃならない子は、ぼくが鈍さのあまり彼の足を踏んだり、倒立の補助を失敗したりするのが本当にいやだった。彼はぼくの顔を見るといつもいつも不機嫌そうにしていた。ぼくはいつも小さくなって謝っていた。だけどどんなに謝っても、彼がぼくに笑いかけることはなかった…。
担任 謝ってどうなるんだ! おまえが努力して人並みに運動できるようになれば…。
サヤカ (担任に)ひとの話をさえぎってしゃべるのはやめて下さい!
担任 悪かったな。わたしは性格が悪いんだよ。
サヤカ 悪いことを自慢してどうするんですか? 恥ずかしいと思わないんですか?
ミサキ (だれにともなく)性格が悪いんじゃなくて、気持ち悪い性格なんだよ…。
アカネ あたしもそう思う。
ナツミ ウチも…。
担任、ミサキたちに何か言おうとする。
サヤカ タカシ、続きを話してちょうだい。
タカシ たいした話でもないよ…。
サヤカ あなたの声ならなんでも聞きたい。
担任 授業中だ。自分の都合を押し付けるな!
サヤカ (タカシに)早く!
タカシ わかった。だけどぼくは、一つだけ救いを見つけた。ぼくはいつか死ぬ。いつかはわからないけれど、かならず死ぬ。今が地獄のようでも、死ねば全てが終わりだ。この地獄は永遠に続くわけじゃない! いつか終わりが来るんだ!
担任 (タカシを怒鳴る)甘ったれるな! この世界にどれだけ生きたくても生きられない人がいると思って…。
サヤカ そういう人たちがいるからといって、タカシが救われるわけじゃありません!
担任 こいつが自分がどんなに恵まれているかを教えてやろうと…。
サヤカ あなたはタカシに「常に自分より下の人間を見つけろ」とか言うんですか?
担任 下だなんてだれが言った! もっと不幸せな人たちがいる。そういう人たちのことを思えば、自分はどんなに幸せだろうと…。
サヤカ あなたは、虐待やイジメに苦しんでいる子供に「おまえはご飯が食べられるから幸せだ。世の中には食べられない人がたくさんいる」とか言うんですか?
担任 屁理屈を言うんじゃない! わたしはこいつを見てるとイライラしてくるんだ! 男のくせにウジウジウジウジしやがって!
サヤカ それこそ自分の都合を押し付けてるじゃないですか! 自分がイライラするから授業をつぶしてるんですか!
ミサキ あたしもそう思う。
アカネ あたしもそう思います。
ナツミ 授業を続けてください…。
担任、しばらく立ち尽くす。教卓にもどる。サヤカ、座る。担任、プリントを取り出す。
担任 これをまわしてくれ…。
サヤカ、担任から渡されたプリントを汚いものであるかのように、人差し指と親指の先でつまんで後にまわす。ミサキ、アカネ、ナツミも同様に指先でつまむ。
担任 おまえら!
タカシの前でプリントがなくなる。
タカシ あの…。
サヤカ 待って。あなたにこんなものを触らせない!
サヤカ、一枚のプリントをつまんだまま立ち上がり、いちばん後のタカシの席まで行ってタカシの机の上に載せる。
担任 …席を出歩くな!
サヤカ (担任に)さっきタカシが一人でご飯を食べていると言っていたけど、今日からは違います。わたしと一緒に食べます。
担任 今はそんなことはどうでもいい!
サヤカ 言わないんですか? さっきみたいに。「ガキの恋愛ごっこに付き合っていられない」って。
担任 知らねえよ。
サヤカ だったらだまっていてください!(タカシに)あなたは死ななくてもいい。死んだりしなくても、あなたは必ず救われる…。
タカシ そうだね。小さいころはあんなことを考えたけど、今はぼくも死ぬのが怖いよ…。死んだら楽だなんて考えて、自分が自殺したりしないかって、たまらなく怖くなることがあるんだ…。
担任 また甘ったれたことを!
サヤカ (タカシに)大丈夫。そんなことはわたしがさせない。あなたがどんなに死のうとしても、わたしが必ず邪魔をする。わたしがいる限り、あなたは死ねない!
暗転。
六場 その日の昼休みの教室。
サヤカとタカシ、机をつけて座っている。サヤカ、カバンから弁当を取り出す。
サヤカ お弁当作ってきたの。
タカシ へえ、おかずは…。
サヤカ、弁当箱のフタを開ける。
サヤカ カレー!
タカシ 何もお弁当にカレーでなくても。
サヤカ まだ、カレーしかつくれないの。だけどもうすぐハンバーグとか作れるようにするから…。
タカシ 楽しみだね…。
サヤカ ハンバーグなら、カレー以上に、色んなものが混ぜられるし。できあがった料理が、ますますわたしに近くなる…。
タカシ は?
サヤカ どうしたの? 早く食べて!
タカシ ぼくは、女の子が持ってくる食べ物にはトラウマがあるんだけど。
サヤカ このカレーは私と同じ遺伝子によって作られている。言ってみれば、わたしそのものなの!
タカシ 一応聞くけど、何を入れたの?
サヤカ ニンジン、タマネギ、ジャガイモ、牛肉、市販のルー、…それに隠し味。
タカシ 隠し味って何を入れたの?
サヤカ 言ったら隠し味にならないわ。
タカシ 言ってくれないと怖くて食べられないんだけど。
サヤカ 食べて!
タカシ あの…。
サヤカ 食べて!
タカシ、スプーンを取り、おそるおそるカレーを食べる。
タカシ 普通においしい。
サヤカ よかった。
タカシ だけどなんだかときどき、鉄っぽい味がするんだけど。
サヤカ 鉄分は成長に不可欠だから、隠し味にほうれん草を入れてみたのよ。
タカシ 全然ほうれん草の形が見えないんだけど。
サヤカ ミキサーでジュース状にしてから入れたのよ。だからこのカレーは全く怪しくない!
タカシ 力説しなくても、おいしくいただくよ。
しばらく二人で食事をする。
タカシ (意を決したように)ねえ、先生のことなんだけど…。
サヤカ タカシはわたしのこと好きなんでしょわたしだけが居ればそれでいいでしょだってタカシとわたしは相思相愛だもんね恋人だもんね夫婦だもんねううんもう一心同体くらいだよね魂から繋がってるよそうでしょだってタカシはわたしが好きでわたしはタカシが好きだもんねだけどなんでかななんでタカシはわたしの前で他の女の話をするのかな蹴られたいんだったら私が蹴ってあげるよタカシの足が粉々になって立ち上がれなくなるくらいそうすればタカシはわたし無しじゃ生きていけなくなるよね大丈夫わたしが一生面倒見てあげるからね毎日タカシの好きなご飯作って食べさせてあげるから何の心配もないよタカシの好物はカレー?それともハンバーグ?なるべくいろんなものを混ぜやすい調理法のものがいいね二人でそういうものを食べて一生一緒に生きていこうねああでもタカシそうしたらタカシの目玉も必要ないよねだって他の女を視界に入れちゃうんだもん今目の前にわたしの顔があるから今目玉を抉り取っちゃえばわたしの顔がタカシの最後に見た顔だよねそれいいねすごくいいよタカシの最後がわたしなんだよ凄いことだと思わないだってタカシは二度とわたしの顔しか思い出せないんだよタカシそうしようよそうすべきだよタカシいいよねだってわたしたち相思相愛だもんねタカシ好きだよ愛してるだから私以外の女に触れないで見ないで喋らないで。わたし以外の女の話なんかしないで。タカシ大好き…。
タカシ (悲鳴)サヤカっ!
サヤカ ごめん! タカシが他の女の話なんかするから変なことを口走っちゃったわ。だけど、ヤキモチやいてるわたし、可愛かった?
タカシ 怖いよ!
サヤカ は?
タカシ いえ、カワイイです…。
サヤカ、いきなり下を向く。タカシ、のぞきこむ。
タカシ うつむいてにやけてるよ、この人…。
サヤカ、いきなり顔を上げる。
サヤカ だけど敬語はやめて!
タカシ あっ、うん…。それで担任の授業のことだけど、サヤカは先生に何かしようとしてるんじゃないの?
サヤカ それをタカシは知らなくていい。
タカシ だけど!
サヤカ 前にも言ったよね。全部わたしがやるって。あなたはただ、わたしのお弁当を食べていればいいの。そんなことより…。
サヤカ、ポケットから小さな布の袋を取り出す。
サヤカ 肌身離さず持っていて!
タカシ お守り?
サヤカ え? そう、お守り。これは絶対にタカシを守ってくれるわ!
暗転。
七場 放課後の教室。
アカネ、ミサキ、ナツミの三人が座って菓子を食べている。
アカネ いいねぇ、こういうの。また、いっしょにお昼ご飯も食べてくれる?
ミサキ いいぞ。
ナツミ (笑って)もちろんいーよーっ!
アカネ 女の子どうしっていいね。男子がいるとなんかガサツな感じがしていやになっちゃう。
ミサキ ガサツなだけで強いわけじゃない。タカシを見ていると、本当に「男ってたいしたことないな」っていう気持ちになる。
ナツミ (笑って)ほんとほんと!
ミサキ 女の腐ったような奴っていうけれど、女が腐ったのが男になるんじゃないかな?
ナツミ (笑って)ほんとほんと!
アカネ だけど、最近先生が機嫌悪くて、教室が殺伐としてない?
ナツミ しょっちゅう、サヤカにからまれてるからねえ。
アカネ 前にもいったけど、あたし、親の仕事の関係でサヤカに逆らえないんだけれど…、
ナツミ 親の仕事? サヤカの家は電気屋だよね。
アカネ サヤカの家っていうより、タカシの家だけど。とにかくタカシの敵にはなれないからサヤカの言う通りにするしかないんだけど、じつはあたしも、先生にわざわざ逆らいたくないんだよね…。
ミサキ 大丈夫だ。あいつは機嫌が悪いように見えるけれど、余裕がなくなっているだけだ。最近は、サヤカに何か言われるたびにビクッとしている。もうすぐだ。もうすぐあいつは逃げ出す…。
ナツミ そうだねえ。ウチも先生がやりこめられているのを、声を出して笑えるくらいの余裕ができたし。
ミサキ あいつに余裕を持たせたらだめなんだ。とにかく全員が奴を尊敬していないし、信頼もしていないことを見せないと効果がない。とにかく、反抗的な態度はわたしがとるから、アカネは「あたしもそう思う」って言ってればいい。
ナツミ あはははっ。
ミサキ ナツミは笑ってればいい。
アカネ だけど、先生がいなくなったら、サヤカがまた何か言い出すかもしれないよ。
ミサキ あたしは、担任がいやだから反抗してるだけだ。サヤカの言いなりになってるわけじゃない。あいつがいなくなるまでサヤカを利用してるだけだ。だけどアカネとミサキは友達だ。このあとどう転がっていっても、この三人は同じように行動しよう。
アカネ ありがとう。
ナツミ ウチもそれがいいと思うよっ。
アカネ ありがとう。本当にうれしい。さっきまでちょっと不安があったけど、ミサキとナツミの話を聞いて、それがきれいになくなったよ。
ミサキ 女どうしっていいよな!
アカネ うんっ!
八場 教室。授業中。
担任は黒板に向かって授業をしている。生徒の方を見ようとしない。
ミサキ、顔を横向きにし、机の天板に頬をくっつけて寝ている。アカネ、雑誌を机の上に出して読んでいる。ナツミ、机の上に菓子の袋を出して食べている。サヤカとタカシのみ姿勢良く黒板を見ている。
担任 普仏戦争は一方的なフランスの敗北に終わり、パリは何重にもプロイセン軍に包囲された。フランス臨時政府はプロイセンと休戦しようとした。しかし、戦争を続けようと考える馬鹿どもがいた。ようやくパリに平和がやってこようとした時に、パリの城壁のみを恃んで闘うという。そんなもので、当時ヨーロッパ最強といわれたフランス軍を鎧袖一触にしたプロシア軍に抵抗できるわけが…。
サヤカ 待ってください。
担任、ビクッとする。
サヤカ「馬鹿ども」っていうのは、死者に失礼なんじゃないですか?
担任、黒板を向いたまま。
担任 いや、せっかく戦争が終わろうとしているのにな…。
サヤカ 当時の人の気持ちは当時の人にしかわかりません。今の我々の尺度で考えるのは間違いです。どんな時代でもみんな、必死に生きてるんです。
担任 そうか。そうだな、すまんな…。
サヤカ わたしにではなく、パリ・コミューンの勇士たちに謝ってください。
ミサキ (顔をふせたまま)そーだ、そーだ。
アカネ あたしもそう思います。
ナツミ (クスクス笑いながら)ウチもです。
担任 …コミューンで死んだ人達、すみません。
ミサキ (顔をふせたまま)あんたさあ、「他の先生の授業でうるさかったりしたら、わたしがただじゃおかない」とか、他の先生を下に見るようなことを行ってたけど、本当は自分がいちばん下なんじゃないの?
アカネ あたしもそう思います。
ナツミ (クスクス笑いながら)ウチもです。
担任 そののち、パリコミューンは…
ミサキ (顔をふせたまま)質問したのに答えてくれないんだ。ふーん。
担任 確かに、他の先生たちに失礼なことを考えていたと思う…。
ミサキ (顔をふせたまま)謝ればぁ?
担任 先生方、申し訳ありませんでした…。
ミサキ (顔をふせたまま)あんたって人はね、自分の学歴とか、スポーツの実績とか、そういったものを人に自慢したいだけの、本当につまらない人間なんだよ…。
暗転。
九場 放課後の教室。
サヤカとミサキが立ったまま話している。サヤカ、上手側。アカネ、下手側。
ミサキ 聞いた? 担任が鬱で休養するんだってさ。
サヤカ まあ、毎日毎日、何か言う度にしつこく論破されて、毎度毎度何か言ったり、何かしたりするごとに人格を否定するようなことばかり言われたらね…。最初こそ抵抗してたけど、だんだん諦めてきて、最近は完全にこっちの顔色をうかがっていたわね。
ミサキ しかもクラスだけじゃなく部活でも完全に孤立していて…。
サヤカ もともとうちのハンドボール部は、指導者もいなくて、「そんなにきつい練習はできないけど、それでもスポーツをしたい」って子が集まってたからね。いきなり担任が来てきびしい事を言い始めたから、やめる子が続出しちゃったのよ。しかもやめた子のことを、ことあるごとに罵倒していたから、さらには残った部員全員でストライキはじめて休部状態。ついには父母会が「あの人が顧問である限り子供を部活に出さない」って言うまでになって。クーデターが起きたみたいね。
ミサキ いやにハンドボール部の実情にくわしいけど、まさかあんた、クラスみたいに部活の生徒も煽ったんじゃないだろうな。
サヤカ さあ?
ミサキ まあいい。それよりも、次に来る担任がむかつく奴だったら、また同じ方法で追い出そう。
サヤカ 誤解があるみたいね。わたしは別に、あの先生が嫌いなわけじゃないのよ。ただ、あの人が担任のままではタカシが救われないと思っただけよ。だいたいあの方法が効いたのは、あの人がくそまじめで、「生徒に負けちゃいけない。生徒から逃げちゃいけない」って思い続けてたからよ。だから「負けている。逃げている」自分が許せなかった。それにプライドが高くて、ひとに相談できないから、味方がどこにもいなかった。あの方法は、「負けてもいい、逃げてもいい」っていう人には何の効果もないわ。
ミサキ …タカシが救われないと思ったら、あたしたちでも追放するのか。
サヤカ もちろん。
ミサキ ナツミには手を出させねえよ。
サヤカ 先生は強敵だったから、クラス全員の力が必要だったけど、あんたならわたしひとりで十分よ。あんたが教室にいると、タカシはいやなことばかり思い出す…。
ミサキ おまえ、ナツミの頭をぶっ叩いていたけど、わたしには手を出せなかった。ナツミは脅してたけど、わたしには頼んでいた。
サヤカ もう先生はいない。あんたを守る人なんかいない。あんたなんか、家庭科室から拝借した包丁一本でじゅうぶん…。
サヤカ、カバンからさらしを巻いた包丁を取り出す。
ミサキ オモチャを振り回すんじゃねえよ。本当はあたしにビビッてんだろ?
ミサキ、背を向けて下手に去ろうとする。
サヤカ、その背に向けて包丁を思い切り振り下ろす。
ミサキ、気配に気づき上手を振り返る。怯えながらもかろうじてよける。
ミサキ お、おまえいま、本気であたしを殺そうとしただろ!
サヤカ、答えずに全力で左から右へ水平に包丁を薙ぐ。
ミサキ、かろうじてよけるが体のバランスを崩し、後に倒れそうになる。
サヤカ、左手ののど輪で、アカネの背を机の天板に押しつける。
サヤカ、右手の包丁を振り上げる。
不安をかき立てるような照明、音楽。
サヤカ あんたはこの教室に要らない…。
ミサキ (必死)こんなことをしでかしたら、そっちもただじゃすまないぞ…。
サヤカ、包丁をアカネの顔に近づける。
ミサキ、顔を横にしてなんとか包丁から逃れようとする。
サヤカ 今日はおまえの片目だけをえぐる。もちろんわたしは捕まる。少年刑務所に送られるだろう。だけど傷害では絶対に死刑にならない! 何年後か、十何年後かに刑務所を出てきたら、おまえの、無事だった方の目もえぐりとってやる!
ミサキ いやぁぁぁっ!
ミサキ、かろうじてサヤカの手から逃れると、泣きながら上手に退場する。
暗転。
十場 朝の教室。
ナツミがひとりで座っている。そわそわとして落ち着かない。タカシ、上手から登場。
タカシ おはよう…。
ナツミ、ビクッとする。
ナツミ ああ、タカシ、おはよう…。
しばらくの間。
ナツミ ねえ、何でミサキが学校に来なくなったか、知ってる?
タカシ 全然知らない。
ナツミ 一度だけメールが来たんだけど、「もうメールしないでほしい。サヤカに何をされるかわからないから」って。
タカシ ふうん。
ナツミ サヤカにひどく脅されたんじゃないかな…。
タカシ そうかもしれないね。
ナツミ あれからウチも、ひどく落ち着かなくて。こうしていても,サヤカがいきなり現われて、ひどいことをしてくるんじゃないかと…。
タカシ その気持ちはよくわかるよ。
ナツミ そうでしょ、だから…。
タカシ 廊下を歩いていても、自分を馬鹿にする声がいきなり聞こえてくるかもしれない。今日はそんな声が聞こえてこなかった、とほっとした所で,「なあにー、あいつ、気持ちわるーい、ゴキブリじゃないの?」って聞こえる。次に「おいっ、ナツミ、いくらなんでもひどいだろう…」と聞こえたところでちょっとほっとする。だけどその次にこんな声が聞こえてくる。「ゴキブリに謝れ!」ほんの少し期待をしていただけに、胸がきいんと痛くなる。いつこんなことが起きるかと、いつもびくびくしながら生活しなくちゃならない。どんなことにも希望がもてない。「どうせうまくいくわけないんだ」って、心に保険をかけるようになる。誰に何をもらっても素直に喜べない。もしかしたらこの人も、ドッグフードかなんかを食べさせて、ぼくを笑いものにしようとしているのかもしれない。そんなことを考えてしまう。そんな人間がいない自分の家にいても、自分がドッグフードを食べた奴、みんなの笑いもの、いじめられっ子であることばかりが頭の中をぐるぐるまわって、いつでも何をしても楽しめない…。
ナツミ わ、わかった! 悪かったよ! だからお願い、何でもするから、サヤカに「ナツミに手を出すな」って言ってちょうだい! あの子はあなたの言うことなら聞くでしょう!
タカシ なんでも…。
ナツミ 土下座でもなんでもするから!
間。
タカシ、立ち上がってナツミに丁寧に頭を下げる。
タカシ じゃあ、明日までに死んでください。お願いします。
ナツミ ふざけないで! 立場が変わったからって、調子に乗ってるんじゃないの!
タカシ 何も変わっていない。ぼくが喜んで犬のエサを食べた奴で、君がぼくに犬のエサを食べさせた奴であることは変わらない。ぼくがたとえこの後幸せになったとしても無駄だ。ことあるごとに思い出す。いじめられていた、みじめな自分を思い出す。自分が、女の子たちに何の抵抗もできなかった弱虫であることを思い出す。だからぼくは、自分をひどい目にあわせた人間の葬式に、笑って出てやることだけが心の支えなんだよ。もし君が明日死んでくれれば、何年も待たないですむ。
ナツミ (立ち上がり、むなしく笑いながら)そうか。ウチもあんたと同じになったわけか。ハッハッハッ…、アッハッハッ…。
サヤカ、下手から走って登場。手には包丁を握っている。ナツミ、サヤカに気がつかない。サヤカ、後ろからナツミの包丁の背で頭を殴る。
サヤカ 笑うな…。
ナツミ (ふりむいて)サ、サヤカ…。やめてえ! ウチは今、タカシのことを笑ってなんかいない…。
サヤカ (頭を殴りながら)その汚い笑顔を二度と見せるな…。
ナツミ、手を頭にのせる。サヤカ、手の上から包丁でぶっ叩く。
ナツミ いたい…、痛い! 手が…、頭が…。
サヤカ (殴りながら)おまえをもう二度と笑えないようにしてやるよ。
ナツミ いやぁぁぁっ!
ナツミ、泣きながら上手に退場。サヤカ、包丁をしまう。
アカネ、下手から登場。
アカネ おはよーっ。あれ? ナツミは?
タカシ 来たけど帰ったよ。
サヤカ 頭が痛いって言ってたわ。
タカシ 手が痛いとも言ってたね。
アカネ そうなの…。
暗転。
十一場 放課後の教室
タカシがひとりで座っている。下手に、何気なくビデオカメラが隠すように置かれている。アカネが上手から入ってくる。
アカネ タカシくん、ひとり?
タカシ (振り返って)ぼくはいつでもサヤカといっしょだよ。今はお腹の中にいる。
アカネ え?
タカシ 胸ポケットにもいる。
アカネ 何を言っているのか、わからないけれど。
タカシ どうかしたの?
アカネ、座る。アカネ、上手側。タカシ、下手側。向き合う。
アカネ ちょっと話してもいいかな…。
タカシ ぼくはかまわないよ。サヤカはともかく。
アカネ その、サヤカのことなんだけど、あなたを束縛しすぎてるんじゃないかな…。
タカシ 好意でやってくれることだから気にならないよ。ぼくは悪意にばかりさらされてきたから。
アカネ その考えそのものがちょっと危ういと思う。うまく言えないけれど、愛ってああいうものじゃないんじゃないかな…。
タカシ ぼくは、女の子と付き合ったことなんかないから、わからないよ。
アカネ 「女の子と付き合ったことがない」っていうのは、今もサヤカとつきあってないっていうこと?
タカシ そういう意味じゃないよ…。
アカネ 残念。
タカシ えっ…。(左胸に)サヤカ…、今ここに来ないでくれよ…。
アカネ もう一度言うけど、残念だな…。
タカシ どういう意味?
アカネ どういう意味も何も、そのままの意味だよ。
タカシ 何を言ってるかわからないよ。
アカネ 察してよ。あんまり女の子に恥をかかせないで!
タカシ はぁ…。
アカネ ねえ、あたしみたいな女の子は嫌い?
タカシ そうじゃなくて、実感がわかないっていうか…。ぼくみたいな男子を好きになる女子がいるとは思えないし。勉強も運動も何もできないし。みんなに馬鹿にされてるし。
アカネ 彼女持ちのくせに何を言ってるの。タカシくんはやさしいと思うよ。サヤカもあなたのやさしさが好きなんだと思うよ。
タカシ 全然実感がわかないな。
アカネ だけど、あなたはサヤカにやさしいけれど、サヤカはあなたにやさしくないんじゃないかな。
タカシ そんなことはないよ。毎日お弁当を作ってくれているし。
アカネ 女の子が出したものを食べて、前にひどい目にあったんじゃないの?
間。
アカネ ごめんなさい。いやなことを思い出させて。だけどさっきもいった通り、サヤカのあの態度は愛とは言えないとあたしは思う。
タカシ よくわからないよ…。
アカネ あたしだったら、もっとあなたを大事にする。怖い思いもさせないし、あんなふうに束縛したりしない…。
間。
アカネ ごめんね。彼女がいる人にこんな話をして。だけど、ひとつだけお願い!
タカシ えっ…。サヤカ…、今は来ないでくれよ!
アカネ キスして…。
タカシ 一生に一度のお願い! たったひとつの思い出にしたいの! これ以上あたしに恥をかかせないで!
アカネ、目をつぶる。間。タカシも目をつぶって顔を近づける。
アカネ、目を開いてスマフォを取り出す。シャッター音。
アカネ、身を翻して後に飛び退く。
アカネ かかったな。バーカ! おまえなんかにキスされてたまるか! 鏡を見て自分の気持ち悪い顔をよーく見てみろ!
タカシ (ポカンとしている)あれ? もう終わり?
アカネ 当たり前だ! つづきがあってたまるか! (スマフォを見て)おーおー。間抜けな顔しちゃって! 「笑える」っていうより、気持ち悪いねえ、これは。キスしてほしいとか言われて本気にしちゃって! 自分がイケメンにでもなったつものか! おまえなんか、殴られて地面にでもキスしているのがお似合いだよ! ねえねえ、どんな気持ち? くやしい? くやしいよねえ。ミサキもナツミもくやしかったんだよ。教室から逃げなきゃならなくなってくやしかったんだよ! あの二人がどうしておまえをイジメていたかわかるか? おまえみたいな奴に親切にしたら、女としての格が下がるんだよ! おまえをひどい目に合わせ続けない限り、他の女子にナメられるんだよ! 「あの子タカシみたいな奴にやさしくしてるーっ。そんなに男の子に媚びたいの? いくらなんでもタカシだけはごめんだわ」って陰口を叩かれるんだよ! そんなおまえにキスなんかされたら、あたしは一生立ち直れないくらいに傷つくんだよ! それなのに本気にするなんて…。
タカシ 本気にしていなかったとしたら?
アカネ カッコつけてんじゃねーよ。この間抜け顔は、どう見ても本気じゃねーか!
タカシ、胸ポケットから小さい布の袋を出し、袋から小さな機械を取り出す。
タカシ これ何かわかる?
アカネ しらねーよ。
タカシ 盗聴器。
間。
タカシ 普通、こんなものを持たせる彼女なんかいないだろうけど、サヤカだったらありえると思わない?
アカネ …ふん。ただのオモチャだろう。もしそれが盗聴器で、今の話を聞いていたとしたら、途中でサヤカが乱入してきたはず…。
タカシ、盗聴器に向かって話す。
タカシ サヤカ、ちょっと来てくれ。
十二場
タカシ、椅子にふんぞりかえって両手をポケットに入れる。
サヤカ、下手から走って登場。
サヤカ、タカシのそばによりそうように立つ。サヤカとタカシ、下手側。アカネ、上手側。対峙する。
サヤカ タカシ…、やっとわたしを呼んでくれたね。
アカネ (サヤカに)今の話を聞いてたの?
サヤカ もちろん。
アカネ 乱入してこないなんて、やっぱりあんたもこいつが好きなわけじゃないんだ!
サヤカ、ポケットからスマフォを取りだして、なにやら操作する。しばらくした後、スマフォをポケットに入れる。
サヤカ よし、完了! (アカネに)さっきなんて言ったの?
アカネ 「乱入してこないってことは、あんたもこいつを好きじゃないんだ」って言ったの!
サヤカ だって、「今は来るな」ってタカシに命令されちゃったし。二回も。
タカシ (アカネに)盗聴器を通してね。
サヤカ (タカシに)だけどなんで、これが盗聴器だってわかったの?
タカシ 昨日、ナツミと話していたとき、君の現われるタイミングが絶妙だったからだよ。
(アカネに)これでぼくが本気にしてなかったってわかったかな。何しろもし誰かとキスしたなんてサヤカに知られたら…。
サヤカ 切り落とされるもんね。もしそうなったら、わたしが一生介抱してあげる♪
アカネ 盗聴器を持たせるなんて…。たいした監視系彼女ね。
サヤカ 監視? そうじゃないわ。これはお守り。今もまたタカシを守ってくれた。
アカネ そのお守り、効かないみたいね。だってほら!
アカネ、スマフォを掲げるように二人につきつける。
アカネ こんな間抜けな写真を撮られたんだから!
アカネ、スマフォを下ろす。
アカネ この写真をネットにばらまかれたくなかったら…、ミサキとナツミを学校に来させろ!
サヤカ へえ、女の友情?
アカネ あんたたちにとっては、あの二人はただの悪人かもしれないけれど、あたしにとっては大事な友達なんだ! こんなことをしたくはなかったけど、ミサキが「なんでもする」って言ったのを、あんたたちは無視して教室から追い出した! こうするしかなかったんだ!
いきなり、アカネのスマフォの着信音が鳴る。アカネ、動揺する。その隙にサヤカがさっとスマフォを取り上げる。
サヤカ、着信音にかまわずスマフォを操作し、画面にそっとキスする。さらに操作する。サヤカ、スマフォをアカネに突き出す。スマフォから男の声。
スマフォ おいっ! 神崎アカネ!
アカネ だっ、だれよあんた!
サヤカ 「非通知設定」さん。
スマフォ おまえ、本当に人間のクズだな! 他人の心をもてあそんで楽しいか? おまえみたいな甘ったれたガキは…。
アカネ、サヤカからスマフォを奪って、通話を切る。再び着信音。サヤカ、再びアカネからスマフォを奪う。サヤカ、スマフォをアカネに突き出す。スマフォから女の声。
スマフォ おまえみたいな女がいるから、女はバカだって言われるんだよ! 世界中の女が、おまえみたいなバカだって思われたらどうするの!
アカネ、サヤカからスマフォを奪って通話を切る。
サヤカ 世界の半分があんたの敵になった。もう半分も、別にあんたの味方ではない。
アカネ 何をしたの!
サヤカ さっきわたし、携帯を操作してたでしょ。わたしがタカシのいるところでスマフォをいじるなんてありえないんだけど、すぐにやらなきゃならないことがあったから…。
アカネ だから何をしたの!
サヤカ (指さす)あそこにビデオカメラが隠してある。
アカネ、ビデオカメラに駆け寄る。
アカネ (振り向いてサヤカに)盗聴してたのに、盗撮?
サヤカ 予備。
アカネ だから何をしたんだ!
サヤカ さっきのあんたとタカシのやりとりを、動画サイトに投稿した!
アカネ そんな…、SDカードも回収していないのに!
サヤカ 無線でデータをわたしのスマフォにとばした。電気屋と技師の娘をナメないでね。盗聴器のバックアップなんだから、それくらいしなきゃ意味ないでしょ。
アカネ …そんなことをしたらタカシのプライバシーも!
サヤカ ちゃんと、タカシの個人情報を保護して、あんたが完全に悪者になるように編集したわ。オマケとして、あんたの本名と住所、固定電話の番号と両親とあんたの携番も公開したわよ。あらかじめ、職員室に忍び込んで、家庭調書をコピーしておいたの。
アヤカ なんてことするの! あたし女の子なんだよ! あんたも女の子でしょ!
サヤカ タカシならともかく、あれだけのことをしたあんたを、わたしが許すはずがないでしょう? 性別は同じらしいけど、あんたへの連帯感なんてひとつもない。わたしにとって世界とは、タカシとわたしとそれ以外!
間。
サヤカ 女どうしの連帯なんかにこだわるから、女子にどう見られるかばかり気にする。「女としての格」なんていうくっだらないことにとらわれる! 言っておくけれど、さっきのタカシの写真は削除しておいたから。ちょっともったいなかったけど、あの顔を見ていいのはわたしだけ! 消す前に、我慢できずにキスしちゃった♪ 消去復活ソフトを使えば呼び戻せるかもしれないけど、そんなものを公開しても、あんたの敵が増えるだけよ。
アカネのスマフォからさっきの二回とは別の着信音。アカネ、スマフォを見て耳を当てる。
アカネ あっママ…。いまとりこんでるから…。
スマフォ 今、タカシくんのお父さんから電話があって、今日中に借金を返さなければ差し押さえをするって言ってきた!
アカネ ええっ!
スマフォ たまたまYouTubeであんたとタカシくんを見たらしい…。
サヤカ わたしもそこまでは想定外だったわ…。
スマフォ 自宅が担保になってることは知ってるよね! あんたのイタズラのせいで、家がなくなるんだよ! このバカ娘は…。生まなきゃよかった!
アカネ そんな…。
スマフォ とにかくすぐに帰ってこい!
アカネ はいっ!
アカネ、上手に退場しようとする。
タカシ、立ち上がる。
タカシ (アカネに)待って…。これから君はいろいろとつらい目にあうと思う。だけどそれが永久に続くわけじゃない。…だれにとっても死は救いなんだよ。
アカネ (ふりかえってタカシに)バーカ!
十三場 教室。
タカシがひとりで座っている。サヤカが下手から入ってくる。
サヤカ 先生がお休みだからこの時間は自習だって。
タカシ ふうん。
サヤカ お弁当を食べましょう。
タカシ 授業中なんだけど。
サヤカ どうせわたしたちしかいないんだから、いいのよ。
サヤカ、弁当箱を取りだして開く。
サヤカ 今日はハンバーグ。しかも牛肉をミンチすることから始めた本格派!
タカシ …昨日長かった爪が短くなっていることと、ハンバーグの調理法は関係ないよね。
サヤカ タカシったら、わたしの爪まで見ていてくれるなんて、うれしいっ!
タカシ そういうことじゃなくて…。
サヤカ 食べて。
タカシ うん…。
タカシ、食べ始める。
サヤカ おいしい?
タカシ うん。おいしい。
サヤカ うれしいっ!
タカシ、食べ続ける。サヤカにスポットライトが当たる。サヤカ、立ち上がって観客に話し始める。
サヤカ アカネは学校に来なくなっただけでなく、退学してしまいました。ミサキとナツミには、もしわたしがやったことを人に言えば、アカネと同じ目にあわせると言ってあります。
…物語はこれでおしまいです。和解も大逆転もありません。
ごめんなさい、みなさん。こんな後味の悪い話をご覧に入れて。
だけど大丈夫です。みなさんは、来週までの課題とか、親との折り合いとか、彼氏や彼女の機嫌とか、スマフォの電池切れとか、晩ご飯のおかずとか、ご自分のことにせいいっぱいで、わたしたちのことなど、会場を出たら三時間以内に忘れてしまうでしょう。
暴力、脅迫、策略、窃盗、個人情報晒し。わたしがしたことが許されないことだと分かっているつもりです。
しかし、いじめられた方が退学せざるを得ない現状が正しいとも思いません。
わたしたちの居場所を守るためには,そうするしかありませんでした。
そして、タケシとわたしの居場所はこの教室以外になかった。
もうすぐあなたたちが忘れてしまう、この古びた教室だけがタケシとわたしの全世界なのです。
では、あなたが、わたしたちのことを少しでも早く忘れることができるように祈りながら、お別れをしようと思います。
ライトが消える。
了