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旅行先で目を覚ましたら武田勝頼になっていた私。どうやら自分が当主らしい。そこまでわかって不安に覚える事が1つ。それは今私が居るのは天正何年?  作者: 俣彦『短編ぼくのまち』
第一部長篠ー方針ー

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買収

私(武田勝頼)「奥平親子はいつ頃から家康と通じていたかわかるか?」

山県昌景「これは大岡弥四郎からの情報でありますが、御館様が亡くなられた直後であります。」

私(武田勝頼)「それを知ったのはいつの事だ?」

山県昌景「高天神を攻囲している最中。先方から

『内通したい。』

の便りの中にその内容が記されていました。その事は殿にも報告しましたが。」

私(武田勝頼)「(中身が変わっていますので……。)失念していた。申し訳ない。改めて教えてくれないか。」

山県昌景「わかりました。亡き御館様の体調悪化に伴い甲斐に向け兵を動かしている最中。家康の居た吉田城内で

『もしかして信玄の身に何か?』

との疑念が生じたとの事であります。家康は巻き返しを図り、うちに転じました奥三河の国人衆に再属を打診。その中で手を挙げたのが奥平貞能と貞昌でありました。」

私(武田勝頼)「即座に内応したのか?」

山県昌景「いえ。最初は

『御厚意に感謝します。』

と言った社交辞令であったとの事であります。

『あいつ頼りにならないからな。』

ぐらいの扱いでは無かったかと。」

私(武田勝頼)「では何故奥平は徳川に奔ったのだ?」

山県昌景「家康が信長に相談したとの事であります。」

私(武田勝頼)「それに対し信長はどのように返答したのだ?」

山県昌景「『お前の実の娘を奥平に提供せよ。』との事でありました。」


 徳川家康の妻の母は今川義元の妹。今川家は将軍になる資格を持つ家。


私(武田勝頼)「家康の身内になっても価値は無いか……。」

山県昌景「源氏の家系図を繋ぎ合わせ体裁を整えていますが、家康の出は何処の誰だかわからない遊行僧でしかありませんので。」

私(武田勝頼)「家康は信長の勧告を受け入れた?」

山県昌景「はい。加えて家康は奥平に対し領地の加増及び奥平の娘と徳川重臣本多広孝の次男との婚姻を提示。これを受け奥平は御館様の死を伝えると共に、徳川への帰参を約束したとの事であります。」

私(武田勝頼)「それはいつの事だ?」

山県昌景「(元亀4年)6月の事であります。」

私(武田勝頼)「長篠が攻囲されたのはいつだ?」

山県昌景「7月末の事であります。」

馬場信春「確かその時奴も?」

山県昌景「はい。援軍に加わっていました。」

私(武田勝頼)「その時既に奥平は家康と通じていた?」

馬場信春「疑いは生じていました。しかし証拠を挙げるまでには至りませんでした。」

山県昌景「痛恨の極みであります。」

私(武田勝頼)「その時の長篠どうだったのだ?」

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