欲張りかもしれませんが
高坂昌信「欲張りと言われるかもしれませんが、両方であります。野田に牛久保。そして吉田はそれぞれ岡崎から浜松へ連絡する道の拠点となっています。」
吉田は江戸時代。東海道の宿場町。牛久保の北東部には同じく江戸時代。東海道の脇往還であった姫街道。野田からは今の国道301線を南東方向に進むと静岡(遠江)に入る事が出来ます。
高坂昌信「3ヶ所を手に入れる事が出来て、初めて徳川領を分断する事になります。しかしこの3つの城を手に入れるのは容易ば事ではありません。」
山県昌景「亡き御館様の上洛戦の際、野田城を攻略するのに3ヶ月の月日を必要としました。予定していました吉田城攻めは途中で打ち切り。牛久保城に至っては手を付ける事も出来ませんでした。そこでの4ヶ月の足止めにより御館様の体調は悪化。道半ば。甲斐への帰国を余儀なくされました。同じ失敗を繰り返す事は出来ません。」
高坂昌信「ただ今回は幸いにも上洛を意識しての三河進出ではありません。目的は今最前線となっている長篠と作手を安全な場所にする事であり、徳川領の東西分断であります。我らの持っている資源の全てを豊川下流地域に投入する事が出来る条件が整っています。」
山県昌景「それならば迅速かつ的確に行動し、東三河を確実に。それも短期間で手に入れるべく、下調べ並びに根回しをしている所であります。」
私(武田勝頼)「根回し?」
高坂昌信「はい。」
私(武田勝頼)「内応の可能性がある者がいる。と言う事か?」
山県昌景「三河につきましては、正直難しいのが現状であります。(野田城の)菅沼定盈は家康がまだ岡崎で四苦八苦している段階から松平。今の徳川方を貫いて来た人物であります。(牛久保城の)牧野康成は康成の父成定逝去後に発生した相続争いの時、徳川家康に助けてもらった恩を今も忘れていません。吉田城は酒井忠次が入っていた事からもわかりますように徳川の直轄地であります。」
私(武田勝頼)「そうなると力攻めしかない?」
高坂昌信「そうなってしまうのでありますが、3つの城を同時に。それも武で以ては極力避けたいのが本音であります。」
山県昌景「どうあがいても力攻めしかない城は仕方ありません。ありませんが、味方に引き込む可能性があるものについては……。の下調べであり、根回しを行っています。」
高坂昌信「殿。」
私(武田勝頼)「どうした?」
高坂昌信「三河ではありませんが、我らに転じる可能性のある者が居ます。」