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健在

 3ヶ月後。飛騨国の国人衆への働き掛けを強化していた馬場信春から急使が届く。内容は織田信雄の侵攻により越前一向一揆が壊滅。この報を受けた武田勝頼は、緊急の軍議を開くため諸将を躑躅ヶ崎の館に召集。


私(武田勝頼)「現時点でわかる事を教えて下さい。」

馬場信春「はい。8月14日に当時織田領国最前線にありました越前国敦賀に入った織田信雄は、翌15日からの攻撃を開始。翌16日には府中に達したとの事であります。」

私(武田勝頼)「1日持たなかったのか……。」

馬場信春「はい。府中を奪った織田信雄は手を緩める事無く、越前内の一向宗掃討を進め。9月初めの豊原寺の焼討を以て一向宗による組織的抵抗は終わりとなったとの事であります。」

山県昌景「織田の部隊編成はわかりますか?」

馬場信春「敦賀に入った織田勢は、我らと戦った時とほぼ同じであります。今回はこれに若狭からの水軍も作戦に参加しています。」

内藤昌豊「そうなると陸からは3万。海からは……。」

馬場信春「ハッキリとした数はわかりませんが、数百艘と言われています。」

高坂昌信「戦い方についてわかる事はありますか?」

馬場信春「我らの時とは異なり、積極策。似た事例を探しますと……比叡山での一件を思い浮かべていただければ宜しいのでは無いかと。」


 撫で斬り。


馬場信春「一向宗側として戦った者は勿論の事。途中、降伏を請うた者。更には名のある首を持って投降した者に対しても厳しい処断を下しています。このいくさにより、命を落とした一向宗徒は1万を超え。尾張や美濃へ送られた者。恐らく奴隷として。は数万を超えるとの事であります。」

山県昌景「我らとのいくさに敗れたとは言え、織田信長、信忠親子以外で討ち取る事が出来た者は居ない。尤もその織田親子についてもはっきりした事はわからないのが現状。今回指揮した信雄が後継者としてなのか。部隊長として越前に入ったのかも定かでは無い。織田は健在である事を知らしめるべく、今回の振る舞いに至った。」

馬場信春「そう考えて間違いありません。」

私(武田勝頼)「そうなると美濃や三河も?」

馬場信春「注意はしなければなりません。なりませんが……。」

真田信綱「先のいくさにおいて、織田信雄へはしっかり恐怖心を植え付ける事に成功しています。」

山県昌景「織田から見て、三河は徳川の管轄。徳川が動かなければ織田は動きません。その徳川は当主並びに重臣を失い混乱状態にあります。今、大岡からの情報を得ながら綻びを探っている所であります。」

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