7:忘却の海、新たな未来。
陛下と王妃殿下が、ミカエルさん相手に体位を披露しろとか、トチ狂ったことを言い出した。
しかも、ミカエルさんはまさかの受け身体制でベッドに腰掛けて待っている。
「「アーヤ」」
「っ!」
三人で名前を呼ばないで欲しい。
明らかに興味津々の二人は置いといて、ミカエルさんは何でこんな事受け入れてるの⁉
「アーヤ、ラファエラを呼――――」
「っ、しますっ!」
――――もうヤルしかない!
ミカエルさんの目の前に立って「女は度胸よ」とか謎の掛け声を心の中でし、ミカエルさんをベッドに押し倒した。
「「……」」
押し倒してみたけど、そこでもうだめだった。
真顔で私を見つめてくるミカエルさんが怖くて。
エッチな体位のデモンストレーションとか、無理だと思ったら、ボロリと涙が溢れて、嗚咽まで出てきてしまった。
「アーヤ、ごめんなさい、悪ノリしすぎましたわね」
「っ、うっ……ごめ、ごめん、なひゃい…………」
「アーヤ……私相手は、そんなに嫌?」
「っ⁉」
剣呑な雰囲気のミカエルさんが、手首をギュッと掴んできた。
何をされるのか分からなくて、ビクリと身体が揺れた。
「へ、陛下、本日は急ぎの公務もありませんし、勉強の復習をいたしませんこと?」
「ん、あぁ、あー、そうだな! うん、復習は大切だな! ミカエル、今日はこのまま部屋に戻る。付き添いは外のゴーシュだけで良い」
「……ご厚意、感謝いたします」
――――えっ、ミカエルさん置いてくの⁉
得も言われぬ空気の中、陛下と王妃殿下が足早に去って行く後ろ姿を呆然と見つめた。
「アーヤ、泣くほど嫌なの?」
「っ!」
呆然とマッサージ室の出入り口を見ていたら、ミカエルさんに顎を持たれて、目線を合わせるように顔を動かされた。
どう言えばいいのかとしどろもどろしていたら、「アーヤ、続きをしよう」と言いだした。ミカエルさんとは思えないほどに低く掠れた声で。
「アーヤ、二人きりなら出来るよね?」
「え……あ、の、でも……」
「アーヤ続きを」
「続き……?」
「…………あぁ、そう。今度はとぼけるんだね」
――――え?
「色々な体位を知っている、と君が言い出した事だよ?」
そりゃ、言いましたけども。
言い出したのは王妃殿下であって、その殿下ももう退室したされたし……しなくてもいいのでは。
「あぁ、もしかして……私は今までの男達ほど君を満足させられなかったのか。だから私とは嫌だ、と」
「今までの…………?」
ちょっと意味が分からない。
今までの男? もしかして、何人か付き合った人がいるって勘違いされてる?
「あの…………私、初めてで」
「ははっ、あれだけ卑猥な事を言って、やってのけて、ソレは無いんじゃないか?」
ミカエルさんが嗤っていた。
「え……だって…………しろって……それに、ミカエルさんがターニャはミカエルさんとが初めてって」
「破瓜の血は、しようと思えば偽装できるからね。君に夢中だった私は、簡単に騙されてしまったようだ」
「…………っ」
ボタリと涙が落ちた。
胸が痛い。
喉が苦しい。
私はなんでこんな人を好きになってしまったんだろう。
「っ、あ………………あぁぁぁぁぁぁぁぁ! あぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
気が付いたら、力の限り泣き叫んでいた。
◇◆◇◆◇
何故、こんな事になったんだろうかと考える。
間違い無く、陛下と王妃殿下の悪ノリのせいではある。が、半分以上は二人の悪ノリに乗っかってしまった自分のせいだろう。
あまりにも性的行為に詳し過ぎやしないか? と初めは妙な焦燥感だけだった。
もじもじとだが、体位の説明を詳細にするアーヤを見て、焦燥感は疑惑になった。
「アーヤ、二人きりなら出来るよね?」
「え……あ、の、でも……」
そう言うと、とても嫌そうな顔をされた。
嗜虐心に火がついた。
「アーヤ続きを」
「続き……?」
「…………あぁ、そう。今度はとぼけるんだね」
そう言うと、きょとんと何も知らない無垢な女みたいな顔をした。
逃してたまるものか。
お二方に説明する様子を見て、この子はコレを経験した事がある、そう確信した。
だから、言った。
……言ってしまった。
「あぁ、もしかして……私は今までの男達ほど君を満足させられなかったのか。だから私とは嫌だ、と」
後から、酷く最低な事を言ったたものだと自分に引いた。が、この時の私はただただ嫉心で頭に血が上った馬鹿で矮小な男だった。
「あの…………私、初めてで」
「ははっ、あれだけ卑猥な事を言って、やってのけて、ソレは無いんじゃないか?」
「え……だって…………しろって……それに、ミカエルさんがターニャはミカエルさんとが初めてって」
「破瓜の血は、しようと思えば偽装できるからね。君に夢中だった私は、簡単に騙されてしまったようだ」
「…………っ」
それは、ここ最近の若い貴族達の中で当たり前にある事だった。
貴族達の中では、未だに処女性を重要視する者が多い。だから、初夜に膣内に血のりを仕込んでおいたり、わざと中に傷を付けておく者がいるという。
だから、口をついて出てしまった。
「っ、あ………………あぁぁぁぁぁぁぁぁ! あぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
アーヤの顔が絶望に染まり、涙を零し、叫び出した瞬間、後悔した。
後悔という言葉では足りない。
情けない、恥ずかしい、反吐が出そう、おぞましい……酷く自己嫌悪に陥った。
「アーヤ!」
慌てて抱き寄せたが、腕の中で全力で暴れられた。顎に顔に胸に、アーヤの拳がガツガツと当たる。
「アーヤ! 暴れないで!」
「あぁぁぁぁぁぁぁぁっ! いやぁぁぁ! 離してっ、やだっ、離してっ! もうやだ! もう嫌っ……もう…………嫌」
急にアーヤの体から力が抜けて、私の腕の中でクタリとしてしまった。
「……もう………………帰りたい」
「っ⁉」
ぽつりと「帰りたい」と言ったアーヤは、私の腕の中でボロボロと涙を零して、ヒクッと小さく息継ぎをするだけだった。
帰りたいのは、元の世界だろうか。
きっと、さっきの一言で、私の事が嫌いになったのだろう。
もう、何もかも手遅れだろうか?
今更、愛している、ただの嫉妬心だった。君の事が好きすぎて、どうにかなりそうなんだ。なんて言っても信じてもらえないだろうな…………。
◇◆◇◆◇
「アーヤ!」
ミカエルさんに抱き寄せられた。
何で今更抱き寄せられるのか解らない。ミカエルさんの腕の中が嫌で全力で暴れた。ガツガツと色んな所を殴ってしまったと思う。
「アーヤ! 暴れないで!」
怒られて、余計にイライラした。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁっ! いやぁぁぁ! 離してっ、やだっ、離してっ! もうやだ! もう嫌っ……もう…………嫌」
それでもミカエルさんは私を抱きしめたままだった。
それが……とても嬉しかった。
だから、私はやっぱりこの腕の中が好きなんだと認識せざるを得なくて……。
「……もう………………帰りたい」
「っ⁉」
ぽつりと「帰りたい」と言った。
そうしたら、本当に帰りたくなって、寂しくて、苦しくて、いつまでも涙が零れ続けた。
――――もう、何もかもが嫌。
「アーヤ……いや、ターニャ」
ここでまた、ターニャ。そう呼ばれたくない。だからミカエルさんに返事はしなかった。
「すまない。こんな私だ、君はもう愛想を尽かしているだろう。君に逢えない事が辛かった。君が消えた事が憎かった。ターニャ、君を愛してた」
――――あぁ、またターニャ。
「済まない……ターニャ、私はもう君を愛せない。約束を破る事を許してとは言わない。いつか君が目覚めたら、その時は私を殺してくれ」
「……ミカエルさん?」
あまりにも物騒な言葉が聞こえて来て、ミカエルさんの顔を見上げたら、オレンジキャンディな瞳から、トロリと美しい雫を零していた。
「アーヤ……今更、愛している、なんて言っても信じては貰えないのは解っているんだ。ただの嫉妬心だった、君の事が好きすぎて、愛しすぎて、どうにかなりそうなんだ」
――――嫉妬心?
「酷い言葉を投げ付けてしまったね、本当にすまなかった。異世界では当たり前の常識だったんだろうに、私は知らなかったし……ターニャからも、その……された事は無かったから」
「……っ!」
今更、かなり際どい行為を人前でやった、という事実に気付いて、全身が真っ赤になった。なんて恥ずかしい事をやらかしているんだ私!
「…………どうして今、真っ赤になるの?」
「っ、あのっ……そのっ…………」
何て言えばいいんだろう。顔から、頭から、火が出そうだ。
「……なんて大胆な事、やらかしちゃったんだろうって。友達から聞きかじっただけだったんです。なのに…………さも、こうするのが当然、みたいに偉そうに教えて……」
しどろもどろに説明していたら、ミカエルさんの顔が真っ赤になっていた。
「アーヤはまだ私を好いていてくれてるの?」
「ぁ…………えと……」
何をどう答えれば良いのか解らなくて、口籠ってしまった。
ミカエルさんは全てを溶かしてしまいそうな程に甘く破顔していた。
「アーヤ、君を愛している。一所懸命に、直向きに、仕事に取り組む君はとても美しい。働かなくていいなんて言ってごめん。君の願いを、心を無視してごめん」
「っ、はい」
ミカエルさんの言葉で、心臓が甘い鼓動を始めた。全身に温かい血を巡らせている感じがする。
「アーヤ、もう一度やり直したい。君に色々と酷いことを言ったし、してしまったね。もう二度と君を疑わない。もう二度と君を絶望させない。もう二度と、君以外を愛さない。例え何が起きようと……ターニャが戻って来ようと、もう」
素直に嬉しかった。私を、私として見てくれた。だから、私も本当の事を話さないと駄目だと思った。
「ミカエルさん、愛しています」
「アーヤ!」
「ミカエルさん、お願いがあります。約束、してくれますか?」
「あぁ! 何だい? 何でも約束するよ」
多分、最低で酷いお願い。ミカエルさんを苦しめるお願い。だけど、いつかの未来の為に。
「いつか、私が消えてしまって、ターニャが帰って来たら、ターニャを愛してあげて下さい。私の事は忘れてしまって良いです」
「アーヤ⁉」
なんて自分勝手なんだろう。
でも、どうしても、忘却の海に沈んでしまったターニャの為に帰る場所を残しててあげたくなった。
「ミカエルさんを苦しめるお願いをしてごめんなさい。私はターニャで、ターニャはきっと私だから……思い出せないけど。約束ですよ?」
「っ……あぁ、約束する。必ず守る!」
「ありがとうございます」
自然と、唇が重なった。
ただ触れるだけの柔らかくて甘いキス。ちゅ、とリップ音を立てて離れて、またくっ付け合った。
ミカエルさんの手が不埒な動きになって、ふとある事を思い出した。
「あっ、止めて下さい」
「す、すまない、本当にすまない! 私はいつも性急過ぎるな。大丈夫だ、アーヤが嫌な事はもう二度としない!」
ミカエルさんが顔面蒼白で慌てて離れてしまった。紛らわしい言い方をして申し訳ない。
「違うんです……その、嬉しいんですが……」
そう言うと、ミカエルさんがホッとした後、また破顔した。
「うん、良かった。それなら、どうしたんだい?」
「あの…………この前の酔ってシてしまった後のお話なんですが」
「……うん」
怖い、物凄く怖い。でも言わないと駄目だ。考えないようにしていたし、誰にも言わなかったけど、ミカエルさんには言わないと。
「…………あの、日、から……生理が来てなくて。その、避妊薬は毒と一緒と聞いて、飲むの怖くて……あ、その、薬が怖いだけが理由じゃ無いんです」
っ、あぁもぅ。言い訳ばっかり出てきちゃう。
「……ミカエルさんの子供だったら……欲しいから。まだ妊娠が確定したわけじゃないんですけどっ…………もし、もしも、本当に妊娠してたら…………産んでもいいですか?」
ミカエルさんの反応が怖くて、下を向いたまま話し続けた。
言い終わって暫くしてもミカエルさんから反応が無くて、勇気を振り絞って上を向いたら、今度はミカエルさんがボロ泣きしていた。
「っ、ミミミカエルさぁん⁉」
慌てて指先でミカエルさんの涙を拭うけど、次から次に落ちて来る。
アワアワとしていたら、噛み付くようにキスをされ、ギチギチに抱き締められた。
「君に…………っ、君を……っあ、ふぅぅ」
ミカエルさんが何かを言おうとしては、言葉を詰まらせ、深呼吸していた。
「あの日、酔った君を利用した。正常な判断が出来ていないと解っていた。だから、これ幸いと……注ぎまくった。孕めと。私の元から逃げられないようにと…………なんて浅はかな男だろうか。こんな風に君を追い込んでしまったのに…………嬉しい」
ミカエルさんに嬉しいと言われて、ホッとした。
「産んでいいんですか?」
「後悔しない? もう、二度と手放さないよ? 逃さないよ? 君が嫌なら結婚は諦めるけど、私の愛しい人だと、私の子供だと、世界中に公表するからね?」
「っ、ふふっ、世界中にですか?」
「あぁ。世界中に!」
勝ち気なミカエルさんの顔は初めて見た気がする。いつもは、綺麗、美しい、って思うけど、今は凄く男らしくてカッコイイ。
あぁ、好き。愛してる。今、凄く幸せ。
何で今までこんなに頑なになっていたんだろ。
「嫌じゃ無いです、よ?」
「っ⁉ ほっ、本当⁉ 本当に⁉ っ、やっぱり嘘、とか言わない⁉」
あまりにも狼狽するミカエルさんが可愛かった。
「あははっ。はい、言いません。結婚しましょう?」
「あぁ、あぁ! 結婚しよう! アーヤ、大好きだよ! 愛してる。この世界でも、アーヤの元の世界でも、誰にも負けないくらいに愛しているよ」
「ふふっ、ありがとうございます。私もです」
この日、私達は抱き締めあったまま、何度もキスをした。
……流石にキスだけで我慢した。
◇◆◇◆◇
「アーヤ、今日も美しいよ」
「っ、ありがとうございます」
今日、私達は結婚する。
アーヤと仲直りして、妊娠の可能性を告げられた一ヶ月後、つわりが始まり妊娠が確定した。
今は八ヶ月という身重の状態だが、産む前に結婚式を挙げろと、国王陛下と王妃殿下、王太子殿下に命令された。
式は王城内のチャペルで、国王一家、宰相などの上位文官を始め、騎士団メンバー勢揃いという異例な状態で開催される。
「君にも私にも家族がいないからね、陛下達が親族枠なのだそうだよ」
「また畏れ多い事を言い出されてますね」
「これは、君が頑張って働いた結果だと思うよ」
「大袈裟なぁ」
初めは働く事を反対していた。私が潰しかけた美しい未来。
アーヤが頑張らなければ、ここまで祝福される事は無かったと思う。
「大袈裟なんかじゃないよ、素敵なお嫁さん」
「っ、もう! 最近のミカエルさんは甘々過ぎますっ!」
頬をぷっくら膨らませて怒るアーヤが可愛くて、ついつい頬にキスをしてしまった。
化粧が取れると怒られたので、ごめんねと謝りながら、再度頬にキスを落とした。
「もうっ! 全然反省してないですね」
「ふふふ、ごめんごめん。さ、行こうか」
「はい」
二人腕を組んで、チャペルへ入場する。
あぁ、なんて幸せなんだろうか。
◇◆◇◆◇
『 ターニャへ
初めまして。でいいのかな?
谷 亜弥です。
……ターニャも、谷 亜弥か。ややこしいね。
二十五歳の貴女が馬車に跳ねられ、記憶喪失になり、十八歳の私に退行しました。
いつか、何かあった時の為に。
忘却の海を揺蕩い続けているターニャ。
貴女が戻って来れた時の為に、この手紙と指輪を残します。
ミカエルさんは貴女をずっと愛しています。
彼は優しくて強い人です。
だから、いっぱいワガママ言って大丈夫。
不安になったら、怖くなったら、彼と良く話し合って下さい。
二人の未来に幸多からんことを。
それから、出来れば子供達を受け入れて欲しいです。
それだけが私の願いです。
アーヤ
もう一人の谷 亜弥より』
―― fin ――
いきなりの連載、そして当日に完結、お付き合いありがとうございました。
ブクマ、評価とても励みになります!
足を向けて寝れない!
でも、どこにいらっしゃるかわからないから……足向けてたらごめんなさい!(何の話だ)
えー、とにかく、お付き合いありがとうございましたー!
笛路
(あー、ムーン版表現の一文消し忘れてたので← 改稿しました)