5:淫らな夢。
「んっ、んぁっ……」
――――あれ?
何でキモチイイコトしているんだろ。
あ、エッチな夢なのかな。
「んっ、アーヤ、キスしよう?」
「うん、ミカエルさん、すきっ……んっ」
あぁ、キモチイイ……舌を擽られると、お腹の奥がゾワゾワする。
全身が熱い。
口に流し込まれた水分をコクリと飲み下すと、クスリと笑われた気がした。
「アーヤ、可愛い」
「んっ、ミカエルさん、もっとシて?」
「仰せのままに……」
「んっ……きもちい」
ミカエルさんの低く囁く声でお腹の奥が疼いた。
ゆらゆらと揺れる夢の中で、私はミカエルさんをどこまでも求めた。
もっともっとと、しがみついて強請った。
「っ、アーヤ……君は本当に……可愛い過ぎる…………もっともっとだね? 存分に乱れて?」
「……んっ!」
度し難いほどの快楽が全身を駆け巡って、喉を震わせた。
「んっ、アーヤ、愛してる。ねぇ、アーヤ、アーヤも私の事、愛してくれているよね?」
「ミカ……すきっ」
「……ふふっ、愛してる、って言って? ねぇ、アーヤ、お願い」
「っあぁぁあぃ、してるぅ……んぅっ!」
夢の中でゆらゆら揺れて、ゆさゆさ揺さぶられて、どんどんとキモチイイが大きくなって、弾けていった。
弾けては、微睡み、また弾けて、何度も繰り返して、深い深い忘却の海に沈んでいった。
あれ? と思って目の前にある肌色の物体を凝視した。
なぜ、目覚めて目の前にあるものが肌色なんだろうか。
嫌な予感を抱きつつ、そろりと視線だけ動かすと、ミカエルさんの美しくて艶めかしい寝顔があった。
「っ⁉」
危うく「ぎゃぁぁ!」と叫ぶ所だった。
慌てて両手で口を押さえて、ミカエルさんの顔をじっと見つめて観察した。たぶん、寝ている。ちゃんと、寝ている。穏やかな寝息を立てている。
――――えっと?
何があったんだっけ? ここどこだっけ? と部屋の中を見るけれど、見た事も無い場所だった。
「ひぇっ……」
そぉっと、そおっと、ミカエルさんの腕の中から抜け出して、ベッドから下りて、また叫びそうになった。
二人とも全裸だった。
ミカエルさんの下半身は……上掛けのシーツのようなものでサッと隠した。
「うわぁ……」
私の体に視線をやると、胸や腕やらに赤い花弁のような痣が沢山あった。
間違いなく事後だ。
「え……と。ど、しよ」
取り敢えず、ベッド周りの床に散乱している服を掴んで、そぉっと、そおっと、移動してトイレで着替えて、部屋から逃げ出した。
どうやら私達は城下町の宿屋の二階にいたらしい。
一階に下りて、フロントのおじさんに声を掛けてみた。
「あの……私、先に退室するんですが……その、代金は――――」
「代金は連れの兄ちゃんが先に払ってる。朝飯は食っていくか?」
「あ、いえ、大丈夫です。お邪魔しました」
フロントのおじさんがちょっと怪訝な顔をしていたけど、気付かなかった振りをして宿屋を出た。
外は朝日が登って間もない時間だったみたいで少し肌寒い。腕を擦りながらまだ人通りの少ない城下町をぽてぽてと歩いて王城に帰った。
身体中がベタベタする。
早く部屋に戻ってシャワーを浴びたい。
ミカエルさんの痕跡を……消したい。
「っ、ふぅぅぅ」
お風呂から上がってベッドに体を投げ出して、何でこんな事になったのか考えた。が、気持ち良かった事しか覚えていない。
今までも何度かえちぃ夢を見た事があったから、今回もソレだと思っていた。
「うーっ、んばぁぁぁ……うにゅぅぅぅ……」
ベッドの上で意味不明な呻きを上げながらのた打ち回ってみる。
「ハァハァ……眠っ」
始業まであと三時間。今寝たら起きれない気がする。
のそりと起き上がって制服に着替えて、仕事部屋へ向かった。
今日は三件しか予約が入っていない。
陛下達は視察や会議があるとか仰られていたので、今日は来ないだろうし、座ってゆっくり出来たらいいな。
――――飛び入りの人、来ないでね!
……なんて、そんな甘い考えをした短絡的なお馬鹿な谷 亜耶はどこのどいつだ! 私だ!
「……」
「中に入って……」
「……はい」
仕事部屋の前に、昨日と同じ服を着た不機嫌全開のミカエルさんがいた。しかも、入口横のボードに『本日体調不良の為、休業いたします』と殴り書かれていた。
「あの、休業って? 予約――――」
「三件ともキャンセルさせた」
させた? え、て言うか何で三件って知ってるの? 誰が予約だとか何で知ってるの?
「……え?」
「いいから、中に入って」
鍵を開けようとしたら、底冷えするような低い声で開いていると言われた。
なるほど、中に入って予約帳見たのね、と思ったけど、また新たな疑問が浮かび上がる。どうやって鍵開けたんだろ。
背後でドアを施錠する音が聞こえてハッとなった。
「あの、ミ――――」
続きは言わせて貰えなかった。
口腔内を蹂躙された、としか言いようのないほど激しいキスをされ、腰から崩れ落ち、床にヘタリ込んでしまった。
ミカエルさんは口元を拭いながら私をねめつけている。
凄く怒ってるんだと思う。こんなミカエルさんは初めて見た。
「ミ、ミカエルさ――――」
「アーヤ、何故だ? 何故、そんなに怯える」
――――何故って……何か、怖いし。
「何故、こんなに酷い事が出来る」
――――酷い事?
「アーヤ、君は……最低だ」
「え?」
「――――っ」
ミカエルさんのオレンジキャンディな瞳からぼたぼたと雫が零れていた。
私はそれを呆然と見つめる事しか出来なかった。
◇◆◇◆◇
ほろ酔い気分でキャッキャと話すアーヤが可愛かった。飲むペースが早いと言うと、「にゃいじょぶですよぉ、わたしよったことぉ、ありましぇんもぉんっ」と舌っ足らずでドヤ顔された。軽く酔ってるよね? と聞くが違うと怒られた。
ホットワインの件から嫌な予感はしてたけど、やっぱりお酒弱いままなんだな、とちょっと溜め息が出た。
「そろそろ帰ろうか」
「はぁい」
会計を済ませ店を出た所で、アーヤが腕に纏わり付いて来た。
「アーヤ?」
「ミカエルしゃん、あったかぁい」
「っ⁉」
押し付けられる胸の柔らかい感触に思考回路が蕩け出しそうになったが、グッと堪えた、のに――――。
「ミカエルしゃん、もうかえるにょ?」
「え、あぁ」
「……やら」
「え?」
「かえりたくにゃいっ。もっといっしょにいよ? ねー、まだあかるいよ?」
いや、真っ暗だ。もう夜の九時を過ぎているからね、と説明するが、目が据わっていて、聞いてるんだか、聞いていないんだか。
……あと、にゃんにゃん言っていて可愛いが過ぎる。
「くじぃー? まだよる、ちがぁう。あそこ、いこ!」
アーヤが指差したのは宿屋だった。
「アーヤ? あそこは宿屋だよ?」
「やどや? 『ラブホ』じゃにゃいのぉ?」
「えーと、らぶほ、ってなんだい?」
「ラブホテル、エッチするとこー」
「!?」
エッチ、すなわちセックス。それをすると、宿屋で?
「し、したいの? アーヤ、したいのっ?」
にゃんこアーヤの発言の破壊力と、変な焦燥感と、勢い付く期待と、溢れる願望と、少しのアルコールのせいで、語彙力が著しく低下していたけど、それに構ってはいられなかった。
へらりと笑って「うん!」と返事するアーヤを抱き寄せ、足早に宿屋に入り、部屋を取った。
「あつーい」
「うん、暑いね、脱がせてあげようか?」
煩悩に塗れた申し出をすると、にゃんこなアーヤは両手を上に上げて「にゅがせてぇ、にゅげにゃい」と言ってきた。酔って言葉も動きもふにゃんふにゃんしている。
興奮から服を破らないようにするのが一苦労だった。
ベッドに寝そべったアーヤにキスをすると、首に抱き着いて来て、一生懸命に可愛らしい舌で応えようとしてくれる。
「ハッ、ハッ……んっ、ミカエルさん、すき」
「私も、好きだよ」
「ミカエルさん、ミカエルさん、もっとすきになって?」
「アーヤ? どうしたんだい?」
「わたしばっかり、ミカエルさんがすきにゃの」
「そんな事は無いよ。アーヤ、愛してるよ」
「ミカエルさんは……ターニャをあいしてるんにゃもん……」
顔をぷいっと背けて、言われた言葉に心臓が締め付けられた。
「アーヤ……」
「……えっちして!」
「えぇ⁉」
今の流れで何でそうなった!? 目を見開いて完全に思考停止していたら、アーヤが夜の帳のような瞳をどんどんと潤ませ始めた。
「ミカエルしゃん…………えっち、したくにゃいの?」
脳が焼き切れるかと思った。
擦られながらそんな事を言われたら、止まれる筈が無い。
乱れるアーヤがあまりにも美しくて、何度もアーヤの中に吐精した。
乱れるアーヤは美しかった。好きだと言ってくれるけど、好きじゃ足りない。
「んっ、アーヤ、愛してる。ねぇ、アーヤ、アーヤも私の事、愛してくれているよね?」
「っあぁぁあぃ、してる……ぅんっっっ!」
何度も何度もアーヤを抱いた。
これで孕めと願いながら。
目が覚めると、愛し合って抱き締め合っていたはずのアーヤはどこにもいなくなっていた。
ベッドは冷え切っていて……私の心も一瞬で凍り付いたように冷え切った。
真っ暗な海底へと没んで行くような気分だった。
好きだと言ったのに。愛してると言ったのに。私の物にはなってくれないアーヤ。
アーヤが…………憎い。
◇◆◇◆◇
「っ……何故なんだ」
そう言って、ミカエルさんが泣いている。
何も考えないままにミカエルさんの顔に手を伸ばしたら、力強く払われた。
「……もう耐えられない」
「ミカエルさん? え、何が……」
「アーヤ、逃げる程に後悔するなら、あんなこと言わないでくれ。それとも、簡単に靡く私を見て嘲笑っていたのか?」
「ミカエルさん、えと、何の話を……」
「昨日の夜! 君がセックスしたいと言った話だよ!」
――――わ、私が?
マジでやばい、そこら辺は何も覚えてない。やっぱりアレは現実だったんだ。まぁ、身体の痕とか体調からもそうだは思ってたけど。
どうしよう…………。
「アーヤ、あんな風に誘われて、好きなんて言われたら期待してしまう。自惚れてしまうんだ。本気で君との未来を夢見てしまうんだ…………」
ミカエルさんが諦めたような顔で微笑んで、止める、と呟いた。
「……もう、君に付き纏うのは止めるよ」
「ミ、ミカエルさん!」
部屋から出て行こうとしたミカエルさんを慌てて呼び止めた。けど、何を言えばいいのか良く分かっていない。でも、引き止めたかった。
「ごめんなさい! ごめんなさい、覚えてないんですっ」
――――言ってしまった。
「覚えてない……? なに、を?」
「…………あの、たぶん、お酒を飲み過ぎたみたいで……記憶がほぼありません」
「……いつから?」
いつから? 頑張って思い返しても、アウラ様の話をしていた所から記憶がふわふわして、ゆらゆらと揺蕩って、起きたらベッドの上だった。
「……覚えてないの? 全部?」
「はい……」
「じゃあ、好きって言ってくれた事も、私とエッチしたいって言ってくれた事も、君が私に言ってくれたこと全部⁉」
――――ふばぁぁ⁉
私、そんな事言ったの⁉ え、嘘、嘘だよね?
「君がっ……君から誘って来たんだ! 君から誘って来たのに、君から甘えて来たのに……なのに、朝置いて行かれて…………また、捨てられた」
「捨てっ⁉」
「あの夜も、君は私を捨てて消えたじゃないか」
――――あの夜?
あの夜って、もしかして執事さんから仕事を紹介された、あの日?
「あれは! あれは私がっ…………私も、悪かったとは思いますけどっ。でも、仕事したいって言ってるのに、ミカエルさんは聞く耳持ってくれなかったじゃないですか!」
「まだふらついていたのに、仕事なんてさせられる訳ないだろう」
「お医者さんは全快したって言いました!」
「全快は怪我だけだ!」
言い合いをしたいわけじゃないのに、どんどんとヒートアップしてしまって、私もミカエルさんも、どんどんと声が大きくなっていく。
「怪我が治ったんならいいじゃないですか、働いたって」
「良くないっ!」
「は?」
「怪我が治っただけじゃないか! 何も思い出していないのに、働いて、他の男に接触して、君が他の誰かと恋に落ちたらどうなるの? 私はただの邪魔者じゃ無いか! 妻が他の男に拐われるのを指を咥えて見る事しか出来無いなんて……嫌だ!」
力の限り叫ばれた。そんなのは嫌だ、耐えられないと。
「っ……あ、その…………ごめん、なさい」
知らなかった事とはいえ、ミカエルさんのその気持ちは、今なら解かる気がした。
ミカエルさんにそっと手を伸ばすけれど、また振り払われた。
「ミカエルさん、泣かないで」
「泣いてない」
涙は出ていなかったけど、たぶん心の中で泣いていると思った。それにさっきは本当に泣いていたし。
ミカエルさんがふいっと顔を背けて、また部屋から出て行こうとした。
このままだと、本当に全てが終わってしまうような気がして心臓が跳ねた。
――――と、止めないと!
マッサージ室から出で行こうとしたミカエルさんの袖口をギュッと握った。
「ミカエルさんっ!」
「…………何?」
「話し合いませんか?」
「なんの為に? 君は私の気持ちには応えてはくれないのに? ただ、気を持たせて、私をもてあそぶだけなのに?」
「……」
だって、応えたら……。
応えたら、後戻り出来なくなる。
怖い。
嫌だ。
これ以上失うのは耐えられない。
でも、ミカエルさんが好き。
大好き。
……愛してる。
「もてあそんでない…………です」
「どこが?」
「っ、ミカエルさんには解らないです。家族を捨てたミカエルさんには解らない!」
「……」
家族に会いたい。
料理上手でちょっとだけ厳しい母さんに、仕事熱心でお財布の紐がゆるゆるな父さんに、怪我ばっかりするけど元気いっぱいな弟に、会いたい。
「私は、十ハ歳だった! なんの変哲もない――――」
なんの変哲もない普通の日だった。ベッドでゴロゴロしてて、明日も学校だ、早起きめんどいな、っていつも通りの日。
なのに起きたら全身痛いし、知らない男の人に保護されてた。記憶喪失だとか、ここは異世界だとか、何年もここにいたとか言われても、私は知らないのに。
あの日、家族も友達も、十八年間生きてた世界も、全部無くした。
私はこの世界で一人きりになった――――。
「っ、でもっ! ミカエルさんが支えてくれたから、頑張ろうって思った」
「…………」
「私、頑張ったよ? 知らない世界で訳が分からなかったけど、頑張った。全身痛くて不安だったけど、頑張った。急に知らない男の人に色々と言われて怖かったけど、好意が伝わってきたから、優しかったから、頑張った!」
「知らない男……怖かった? 私のことが?」
ミカエルさんがキョトンとしていた。
「当たり前じゃないですか。目覚めたあの日に初めて会ったんですよ⁉」
当たり障りの無い事しか教えてもらえなくて、何を聞いても「気にしないで大丈夫」、「無理に思い出さなくて良いから」、「私が全部手配するから、心配しないで」、ってそればっかりだった。
ミカエルさんのお屋敷で侍女さんや下働きのメイドさんに聞いても、ミカエルさんに口止めされているらしくて、なんにも教えてくれなくて、凄く疎外感を抱いたりもした。
「でも、暖かかったから……ミカエルさんの眼差しが、言葉が、暖かかったから、信じられました」
「……うん」
「元の世界に戻る方法も解らないし、記憶も戻らないし、この世界で頑張って生きて行こうって思ってたんです」
怪我を治して、働いて、生活基盤手に入れて、地位は全然違うけど、ちょっとでも対等な立場に近付きたかった。
ミカエルさんに庇護される立場から抜け出したかった。
「なんで?」
――――何で⁉
「ミカエルさんが好きだからです!」
「え?」
――――何で、訳が解らないって顔するの⁉
「ミカエルさんにおんぶに抱っこされた状態で好きだなんて言っても、庇護し続けてもらう為みたいじゃないですか。ミカエルさんがそう思って無くても、他の人……執事さんやメイドさん達は、そう思ってたはずです」
「そんな……はずは……」
「無いって言い切れますか?」
執事さんとミカエルさんが私の事で言い合っていたのを何度も見た。お世話してくれていた侍女さん達は優しかったけど、下働きのメイドさん達はあんまりいい顔してなかった。
「それに…………私、また消えるかもしれないのに……」
ターニャに戻って私は消えるかもしれないし、いつの間にか元の世界に戻るかもしれない。
私は薄氷が張った冷たい海の上に立っている。
ちょっとでも何かあれば、薄氷が割れて、沈んでしまう。
「いつか、そんな日が来ても怖くないように、大丈夫なように、小さな幸せが欲しかったんです……お手紙が、手元に残る思い出が欲しかったんです」
私はミカエルさんが愛したターニャじゃ無いから。
「アーヤは……私と未来を見てくれないの?」
「……はい」
「結婚、したくない、の?」
「したくないです」
「……なのに、呼び止めたの? なのに、好きだって言うの? アーヤは…………残酷だね」
ミカエルさんが、オレンジ色の瞳に絶望を乗せて笑って、部屋から出て行ってしまった。
最低なのは解ってた。
もういい大人なんだから、割り切って付き合えばいいのに、って頭の中では思ってる。
でも、十八歳から成長出来ていない私は、自分の感情がコントロール出来ていない。
一人が寂しい。
先が見えない不安。
消えるかもしれないという恐怖。
誰かに側にいて欲しい。
誰かに温めて欲しい。
誰かに愛されたい。
それがミカエルさんだったら――――。
「あははっ、ほんと、最低」
次話は23時頃に更新します。