1:私にも説明していただけると助かります。
全身に走る激痛で、目が覚めた。
「っ…………いだ…………ぁい……」
声が掠れて殆ど出なかった。
体中が痛すぎて、動かせない。首も無理。
取り敢えず、何があったかはわからないけど、事故った系? あと、ここが自分の部屋じゃ無い事は確か。
目だけをグルングルン動かして辺りを観察した。
動かし過ぎて眼球も痛くなったし!
眼球を犠牲にしたおかげで、どうやら私はまっ白な部屋にある天蓋付きのベッドに寝ているらしい、という事が判明した。
「っ!? ターニャ? 目を覚ましたのかい!? ターニャ!」
――――!?
誰だよ、ターニャって。
急に男の人の声がするもんだから、ビクッとなってしまって、再度全身に痛みが走った。
隣にベッドがあるのかな? んー? あんまり見えないな。つか、どこですかココ。首、動かすと地味に痛いしなー。
取り敢えず、ターニャさん目を覚ましたんなら、良かったですね。で、ここどこなんですかね? ターニャさんの回復に喜んだついでに、私にも説明していただけると助かります。はい。
「ターニャ!」
天蓋だけしか見えていなかった私の視界に、艶々のオレンジキャンディのような瞳が飛び込んで来た。
オレンジキャンディな瞳の持ち主の男性は、サラサラな金髪で、妙に色白で、西洋人のような顔立ちだった。
頬にぽたりと生温かい雫が落ちて来て、男性が泣いているのだと気が付いた。
私、谷 亜弥は異世界にいる、らしい。
目覚めとともに私を襲い狂った激痛は、子供を庇って馬車に撥ねられたせいなのだそうな。子供は掠り傷のみで無事だったと言われた。グッジョブ私。
それにしても、馬車。……馬車、ですか。
どうやったら、家のベッドで寝ていたはずの私が馬車に撥ねられるのだろうか。どう頑張って思い出しても、学校から帰ってご飯食べて、スマホいじくって、ベッドに入って寝た記憶しかない。
「え?」
私は、この世界に来て五年経っているそうだ。
――――五年?
目覚めた時に私を『ターニャ』と呼んだ金髪ロン毛でオレンジ色の瞳のお兄さん曰く、私は二十五歳らしい。が、待って欲しい。そもそも私は十八歳だ。
いや……十八歳だった?
――――七年ズレてますけどぉ!?
鏡を見て確認するけど、特に変わりがない。いや、髪は伸びていた。背中の真ん中辺りまで伸び伸びしていた。特にぱっとしない普通の顔。威張れるのは二重くらい? 前髪パッツン、黒髪ロング。着物着たら呪いの人形そっくしになりそう……。
てか、髪は元々はボブだった。つまりは、この伸びが七年の証? それ以外は変化は無いのに? 顔も、胸も。
せめて、大人の色気とかさぁ、欲しかったよね…………グスン。
「ターニャ、先生が来てくれたよ」
「タニア様、その後、記憶はどうですか? 何か思い出されましたか?」
目覚めた時は、病院にいた。
私は一週間も昏睡状態だったらしい。
そして、目覚めたものの高熱でうなされ、何かしらやり取りしたのは覚えているけど、内容は全く覚えていない。
唯一覚えているのは、私の事をターニャと呼ぶ金髪ロン毛兄さんこと、ミカエルさん。目覚めの一発の顔面偏差値の攻撃力が凄かった。
――――イケメン怖い!
あと、ミカエルさん以外は『タニア』さんと呼んでくる。あと『や』だけじゃん! 惜しい!
「特に変わりありません。何も思い出しません!」
「そうですか……。では、リハビリの方はどうですか?」
「はい、立ち上がって部屋の端まで歩けました!」
人間、一週間も寝たきりをすると、歩けなくなると言う事を知った。いや、そもそも、骨折や全身の打身でその後の更に一ヶ月近く動けなかったせいもあるんだろうけど。
良く分からないまま超豪華な病室を持つ病院を退院して、何故かミカエルさんの家の某アントワネットさんでも住んでたんですか? ってくらい豪華絢爛なお部屋でお世話になっている。
バカでかいお屋敷で、部屋が余っているからここにいて良い、と言われたのだ。
こっちでどうやって五年も生活していたかも思い出せないし『ここは乗っかっておけ! ビバ猫脚家具!』と悪魔が囁いて、今に至る。
ミカエルさんの家にお世話になって二ヶ月が過ぎた。
どうにか、えっちらおっちらと歩けるようにはなった。こちらの世界にはリハビリの先生などはいないようで、自力で頑張るしか無かった。
弟よ、何度も骨折してくれててありがとう。君の面倒な愚痴や、何もかもを報告して聞いてもらいたがる妙な構って癖のおかげで、リハビリのあれやこれやが役に立ったよ。
あの子、二十歳になってるのか……想像が出来無いや。また骨折とか怪我とかしてないかなぁ? 妙に注意散漫な子だから心配だ。
あ、やばい。弟の事を思い出したら涙が出て来た。
「っ、ターニャ……どうしたんだい? なにか、辛い事でもあったのかい?」
「ミカエルさん! すみません、何でも無いんです!」
えへへっと笑って顔の前で両手をパタパタと振る。ミカエルさんは眉間にシワを寄せて、凄く辛そうな顔をした。
「ターニャ、私の前では強がらなくて大丈夫だよ。私は君の味方だ」
「っ、はい。…………ありがとうございます」
「うん。で、何が悲しかったのかな? よっと……」
二階の廊下を歩いてセルフリハビリをしていたのだけれど、ミカエルさんにお姫様抱っこをされて部屋に戻されてしまった。イケメンの顔が近い!
誰だ! 美人はなんちゃらがなんたらで見慣れる、とか言う名言残したの。ほとんど覚えてないけど! ミカエルさんの顔、全く見慣れないぞ!
……お姫様抱っこの方は既に十回以上されているので、何か慣れてしまったけども。
私が頑張り過ぎていると思ったら強制送還すると宣言されているのだけど、今日はまだ五分しか歩いていない。まだリハビリしたい。
「駄目だよ。体だけじゃなく、心の事も考えないと。ターニャの心は、今日はお休みしたいと言っているはずだよ」
「そう、なんですかね……」
「うん、そうだよ?」
ミカエルさんがニコリと微笑んで言うのなら、そうなのかも知れない。素直にベッドに入ったら、よしよしと頭を撫でてくれた。
「……ちょっと、弟の事を思い出したら涙が出て来ちゃったんです」
「弟? ターニャには弟がいたのかい?」
「はい。私の五歳下の子なんです。あ、もう二十歳になってるから子は駄目か」
「そう…………だね。…………あ、っと、じゃあ私は執務に戻るよ。いい子で寝てるんだよ」
「っ、はい」
ミカエルさんが何か言いたそうにしていたけど、執事さんが呼びに来てしまって言うのを止めてしまった。
ミカエルさんが去り際にまた頭を撫でてくれた。
サラリと流れる金髪、オレンジキャンディのような甘い瞳、緩やかに弧を描く薄い唇。百八十は超えているであろう身長と、三十代の全身からダダモレする大人の色気。侯爵様という何か偉そうな立場なのに、柔らかな物腰。
精神年齢十八歳の私には強すぎる刺激でっす!
お医者さんから免許皆伝……違った。全快認定いただきました!
谷 亜弥、頑張りました!
「ターニャ、おめでとう。今日は全快祝いでご馳走にしよう!」
ミカエルさんには大変申し訳無いのだけれど…………毎日がご馳走でした! 私、めっちゃ太りました! つか、今まで以上のご馳走とか胸焼けしそうです! って、事で。
「ありがとうございます。でも、ご飯はいつもどおりで大丈夫ですよ? シェフさんも大変ですし……」
「ふふっ。ターニャは相変わらず優しいね。じゃあ、私に付き合ってご馳走を食べてくれると嬉しいな」
「それは構いませんが……ミカエルさんも何かいい事あったんですか?」
「うん。ターニャが回復してくれたからね!」
「またまたぁ。煽てるのが上手いですねぇ」
「――――けどね」
「え? 何か言われました?」
「ううん。何でも無いよ」
そう言って首を傾げて髪の毛をサラリと流しながらの微笑み。
イケメンの微笑みの攻撃力、パネェ。眼球が潰れそうです!
回復して二ヶ月が経ったのに、なぜか侯爵家にお世話になりっぱなしの私。
「あの、そろそろ仕事を探しに――――」
「駄目だよターニャ。怪我は回復したとしても、体力や心は回復して無いよね? 未だにこっそり泣いているでしょう?」
何で私に相談してくれないのかな、と軽くお小言まで言われる始末。ずっと客間らしき豪華絢爛な部屋にいるのも心苦しい。
ならば! と、侯爵家で下働きさせてくれと頼むも、暖簾に腕押し。ひゅるんひゅん躱される。
あと! 一番気になってるのに言えてない事がある…………。
「ターニャって誰だょぉ……」
たぶん、『たにあや』の語感からの変化球なんだろうけど、なにゆえ純日本人の私がターニャ。黒髪焦げ茶の目なのにターニャ。
私のターニャのイメージは赤髪に青い瞳、鼻の所にソバカスがあって、麦わら帽子が似合う子だ! もしくは軍服を着た金髪美少女。決して日本人形な見た目の私じゃない。
「タニア様、少々お時間よろしいでしょうか?」
侯爵家の口髭ダンディな執事さんが部屋に訪れて来た。
この執事さん、私がここにいるのは快く思っていないらしく、ミカエルさんに色々と訴えているのを何度か目撃してしまっている。
執事さんの言いたい事は私も理解できる。
貴族は貴族と、平民は平民と。平民は貴族に傅く。それがこの世界の当たり前。それはこの侯爵家の中を見ていただけでも良く解った。
侯爵家にただただお世話になり続けるのは心苦しくはあるのだけれど、当主のミカエルさんが頑として譲らないのだ。
それにしても、あまり私に関わろうとして来ない執事さんが急に何の用だろうか。
いつもは私の部屋にいるミカエルさんを呼びに来て、私を一瞥して出て行くだけなのに。
「タニア様が働いて自力で生活したがっている、と旦那様よりお伺いしたのですが、本当でしょうか?」
「あ、はい。ずっとこちらでお世話になっているのは心苦しくて……」
「そうですか! では私が出仕先を紹介しましょう! 領地を三つほど挟んだ所に高齢のご婦人が一人で生活されておりまして、料理人と執事はいるのですが、どちらも男性なので女性の使用人が欲しいと仰られてましてな。直ぐにでも紹介して欲しいとあったのですよ」
なんとまぁ、有難きお声掛け!
領地? 町か市みたいな事かな? それを三つ挟むってどのくらいの距離だろ。
「ほんとですか!? でも、私、こちらの教養とか何も――――」
「大丈夫ですよ。女性がいてくれる、というだけで安心感が出るのですから。それに貴女なら彼女もきっと気に入るはずです」
「そう……ですか?」
「ええ」
あまり関わって無かったのに大丈夫と言う事は、以前から私の事を知っていたんだろうか。
ミカエルさんに聞いても「無理に思い出さなくていいんだよ。ただ生きててくれた事が奇跡なのだから」とか全身茹で上りそうなセリフを蕩けるような笑顔で言われるだけで、いまいち自分の立場が分からない。
あと、しつこく聞いて『煩わしい子だ』と追い出されるのが怖くて、ちょっと踏み込めなかったってのもある。
「では、馬車を用意いたしますので、直ぐに準備されて下さいね」
「え、今からですか!?」
「はい。先方がお急ぎなのですよ」
「ミカエルさんに挨拶を――――」
「旦那様は今宵は夜会に出席されており不在です。旦那様には私から伝えておきますのでご安心下さい」
「は、はい……」
そうだった、今日はミカエルさんいないんだった。
お貴族様だからお茶会やら夜会やらに出席しないといけないらしく、今日も溜め息と共に出て行っていた。何か精神が疲れるんだよね、って言ってた。
挨拶が出来無いのは凄く残念。今までのお礼を言いたかったのに。
――――そうだ、お手紙を書こう!
私はなぜかこの国の字が書けた。
……てか、目を覚ました時から話も出来てたしね。自分で学んだのか、異世界特典かは解らないけど、言語に困らないのは有り難い。
執事さんにミカエルさん宛の手紙を書きたいと言うと、安っちそうな便せんをくれた。もらった手前、もちょっと可愛いのが良いなんて…………言えないよね?
部屋の机で便せんに向かってウンウン言いながら書き上げた。
『 ミカエルさんへ
助けてくれて、ありがとうございました。
目覚めて何も覚えてなくて、凄く不安だったけど……
ミカエルさんがいてくれたから耐えられました。
急に出て行く事になってごめんなさい。
でも、心配しないで下さい!
執事さんに、出仕先を紹介してもらえました。
ミカエルさんが相談してくれていたそうですね。
ありがとうございます!
領地を三つ挟んだ先にあるお屋敷で、メイドさんとして雇っていただけるそうです。
そちらで頑張って働こうと思います。
お給料が出たら、便せんを買って、またお手紙を書きますね!
最後に、もう一度だけ……ありがとうございました。
ターニャより 』
本当は、『最後にもう一度だけミカエルさんに会いたかった』って書きたかったけど、そんな事書かれても、とか思われるのも怖いなとお礼だけにした。
「タニア様、準備は出来ましたか?」
「あ、はい! あの……手紙、ミカエルさんに渡してもらえますか?」
「ええ、勿論です。お預かりいたしましょう」
「ありがとうございます!」
手紙は執事さんに託せたから、これで良し。
元々荷物は無い。と言うか、自分の物があるのかも知らないので、準備もへったくれも無い。服はミカエルさんが用意してくれていたものを借りていたのだ。
執事さんが何着か持って行って良いと言ってくれたので、ミカエルさんが気に入っていたオレンジ色のワンピースと、着回ししやすそうなブラウスとロングフレアスカートと下着類を何枚か貰って行く事にした。
「では頼みましたよ」
「「へい」」
ミカエルさんが出掛ける時に乗っているような、家紋入りのゴテゴテしい馬車とは違い、何の飾りもない木製の馬車が用意されていた。たぶん使用人とかが使う用なのだろう。
馬車に乗り込むと、執事さんが御者さん達二人に声をかけていた。
これで、ミカエルさんや執事さん、優しいメイドさん達、そしてこの豪華なお屋敷ともお別れなのか。
「あの、長々とご迷惑おかけしました。ありがとうございました」
執事さんにお礼を言ったら、少し驚いた顔の後、何だか寂しそうに笑われた。
「タニア様、ご健勝でお過ごし下さい」
「はい、ありがとうございます。執事さんもお元気で」
ゆったりと馬車が出発した。
揺れはするけど、思ったほど揺れなくて、暇だし外を眺めようと思ったら、真っ暗で「あぁ、日本じゃ無いんだもんね。夜景とか見えないよね」と妙な郷愁に駆られた。
ウトウトしていたら朝になっていた。
御者さんが朝ご飯を渡してくれた。簡素なサンドイッチと瓶のお水。揺れる馬車の中でラッパ飲みは結構な試練だった。
「前歯痛い……」
瓶の口で前歯を打った。地味な痛さに涙が浮かんだ。…………淋しからじゃ無いやい。
「嬢ちゃん、今日はここに泊まるぞ」
何度かトイレ休憩やお馬さん達の休憩の後、宿屋に着いた。洋風の民宿って感じでこじんまりしていて居心地が良かった。
その後、ずっと移動し続け、同じように宿屋で三泊して、港町に着いた。
「こっからは嬢ちゃん一人になる」
「え!?」
手紙と船のチケットを渡された。
「えぇっ!?」
宿屋に何回も泊まった事にも驚いていたのに。船にも乗るの!?
そもそも、領地を三つ挟んだってのを『町を三つ挟んだ』くらいの感覚でいたのだ。初めは馬車って時間かかるんだなと思っていたけど、窓を流れる景色をぼんやり見つめていたら、馬車の走るスピードが思いのほか早くてちょっとびびっていた。こんなに走っているのに着かないなんて、こちらの世界の町ってでっかいんだなぁ、と!
前提が間違っていたよ! 今更だけど、領地って何だ!? 市くらい? 県くらい? てか、海の先のどこに行くの!?
「二日後に着くガートランドって港で下ろしてもらいな。そこで相手方の馬車が待ってるから、今度はそれに乗せてもらってお屋敷まで連れてってもらいな」
「はぁ……」
御者のおじさん二人が「じゃあな」と帰ろうとしたので慌ててお礼を言って見送った。
船に揺られて二日。
私は、今日も元気です!
何百人も乗れそうな木造の帆船。初めて船に乗ったけど、酔わなかった。風は気持ちいいし、海の匂いも好きだった。
「アーヤ!」
「はーい」
初日に甲板で散歩していたらグロッキーな夫婦と騒ぐ児童に出逢った。
何だか今にも吐きそうだったので、近くの船員さんを呼び止めて飲水をもらったり、奥さんを支えて甲板に置いてあったベンチに誘導したりした。
そうしたら、いつの間にか、船旅の二日間だけ子供のお世話係として雇われた。
「アーヤ! 次はあっちに行くぞー」
「はいはい。坊っちゃん走らないで下さいよ。またコケますよ!」
「あっ、アレは甲板の板が少し浮いてたせいだ!」
「はいはい。そうですねぇ」
甲板の板が浮いてるわけも無いけど、面倒なのでスルー。
金髪翡翠眼の十歳児は元気いっぱいに船の隅々を探検したくて仕方無いらしい。
なるべくご両親から離れないように、と言っているのに、直ぐにどこかに行こうとするのだ。
あと、私は『あや』だと言ったのにアーヤになってしまった。ターニャよりはかなりマシなので良しとした。
「アーヤ、今日の夕方下船するのか?」
「そうですよー。ガートランドで降りて、働き先に向かうんです」
「なぁ、我が家に来ないか?」
「あははは。坊っちゃん、ありがとうございます。いつか困ったら頼らせていただくかもです」
「お前、全然頼る気なさそうな返事をするなよ」
――――バレバレかぁ。
ミカエルさんが、私が働きたがっているって事を執事さんに話してくれて、執事さんがわざわざ紹介してくれたんだもん。ちゃんと真面目に働いてお給料もらったら、ミカエルさんに手紙を書いたり、これまでのお礼をしたりしたいのだ。
「まあいい。家紋入りの名刺を渡しておくぞ。大切に保管しておけよ?」
「はーい、ありがとうございます」
受け取った名刺を見ると、透かしで家紋が入っていた。双頭の鷲と葡萄と巻物のエンブレム。何かカッコイイ。
「カッコイイ家紋ですねぇ。って、坊っちゃんの字だし、坊っちゃんの名前じゃないですか。私より下手ですね。めっちゃのたうち回ったミミズみたい。怪しまれません?」
「っ! お前は本当に一言多いヤツだな! その名刺の紙と透かしが意味を成すから良いんだよ! 王都の門兵にでも見せれば案内してもらえる。いいか? ちゃんと覚えとけよ?」
「へぇー」
「やっぱり興味無しかよ!」
「あはははは」
夕方になり、ガートランドに到着した。
坊っちゃんとグロッキーなご両親に手を振って船を降りた。
港の下船口で直ぐにお迎えの馬車と御者さんに出逢えた。
港から半日ほど走ったら、お庭がとても素敵なこぢんまりとしたベージュ色のお屋敷に到着した。
挨拶を、と通された部屋は奥様の寝室のようだった。腰を痛めて暫く伏せっていらっしゃるとの事だった。
ご年配と聞いていたけど、五十代くらいにしか見えなかった。
髪は白くなりつつあるみたいだけれど、元々が金髪なので分かり辛いし、シワも殆ど無い。濃い青色の瞳はとても力強く感じる。
ご年齢は六十八だそうだ。美魔女だ。
「本日よりお仕えします、アーヤです」
「アーヤ? こちらに来るのはタニアと言う女児だと伺っていましたが?」
――――女児!?
それはメンタルがでしょうか!? ならば何も言えませんが。
「そのタニアで間違い無いのですが、その、私の名前はずっと勘違いされていまして」
「あら、どういう事かしら?」
「私『谷 亜弥』と言いまして、亜弥が名前なのですが、どうもこちらの発音では言い辛いのか聞き取り辛いのか、どこかで勘違いされていたらしくタニアやターニャと呼ばれておりました」
坊っちゃんがアーヤなら呼びやすいと教えてくれたので、私的にはアーヤがいいなと。
「まぁ、そう言う事ね。では、アーヤ、これからよろしくね」
「はい! よろしくお願いいたします、奥様」
優しそうな美魔女の奥様と、執事さんと、シェフさん。なんだか楽しくやれそうな気がする。
――――よし、頑張って働こう!
アウラ様の元で働くようになって一ヶ月、執事のドルトンさんやシェフのジョセフさんに色々と教えてもらいながらお屋敷の生活に慣れていった。
「アーヤ、またマッサージをお願いするわ」
「はーい」
アウラ奥様が腰を痛めたと言っていたが、それは年齢からのものではなく、ただのギックリ腰だった。庭の手入れ中にビキーンとやらかしたらしい。
父親がやっていたギックリ腰ストレッチを教えたら、治りが早かったうえに気持ちが良かったらしく、ちょいちょいマッサージしてと言って来るようになった。
そして、いつの間にか、肩や手、足裏など全身に手出ししてしまった。
……だって、気持ち良いって喜んでくれるんだもん。
父親みたいに力いっぱいやらなくて良いから楽なんだもん。
「そうそう、今度、近くに住んでる友人が遊びに来るの。彼女も肩や腰が痛いって良く言っているのよ。彼女にもマッサージをお願いしても良いかしら?」
「はい、畏まりました! 腰はやっぱりアレですかねぇ」
「アレが一番気持ち良いし、インパクトがあって面白いわ!」
「じゃぁ、アレにします!」
と、こんな感じで毎日楽しく過ごしている。
お休みの日、初任給を握りしめて、文具類が置いてある商店に来た。
「ハールス様んとこの新しい嬢ちゃんじゃないか」
「こんにちは!」
ハールス様と言うのはアウラ様の家名なのだ。
商店で便せんと封筒と封蝋と印を買った。印は平民は家紋が無いから、割と好きなのを選んで良いのだそうな。
桜そっくりの印があったのでそれにした。アーモンドの花らしい。
早くお手紙を書きたいなと思いながら、いそいそと屋敷の部屋に戻り、興奮冷めやらぬまま机に座ってペンを握った。
『 ミカエルさんへ
お元気ですか?
侯爵様のお仕事、頑張り過ぎていませんか?
ちゃんと眠っていますか?
お茶会や夜会で嫌な思いはしてませんか?
私に話してくれていたように、誰か他の人に話してスッキリして下さいね。
私は、とても楽しくやっています。
ちゃんとお礼も言わずに出てしまったので、ミカエルさんが怒ってないかなって……ちょっとだけ心配です。
奥様や執事さんやシェフさんにはとても良くして頂いています。
とても素敵な職場を与えてくださったミカエルさんの執事さんには感謝です。
一つだけ残念なのは、ミカエルさんのお屋敷から思ったより遠くだったので、直ぐに会いに行ける距離じゃ無くなってしまった事でしょうか。
いっぱいお話したい事が出来ました。
いつか、長いお休みが出来たら会いに行っても良いですか?
また、お手紙書きますね。
あっ、お願いがあるんです。
私の名前はターニャよりアーヤの方が近いので、アーヤと呼んでもらえると嬉しいです!
アーヤより 』
「ミカエルさんの住所を書いて、封蝋をしてっ、エイッ……あ、ああっ、んー? ま、いいか」
印がにゅりっと歪んだけど、きっとそれも味だ。
郵便屋さんにお願いした。おおよそ二週間で届くそうだ。楽しみだなぁ。お返事くれないかなぁ。ミカエルさん忙しそうだもんなぁ。お返事来なくてもいいや! 来月また書こーっと。