席替え
学校にはたくさん行事があるけれど、班決めほど重大なイベントはないと杏奈は思っている。班決めで決まる座席は毎日のことだ。年に一度やりすごせばいい運動会や合唱祭とはわけがちがう。学校生活を平穏に過ごせるかすべて座席にかかっている。運悪くちょっかい出しのうるさい男子や、身の回りを気にしないだらしない子のとなりにでもなったら悲惨だ。その席で、三か月も耐えなければならないのだから。
五年の三学期はさんざんだった。矢島のとなりだったから。忘れ物の常習犯で、授業もろくすっぽ聞いていない矢島のせいで杏奈の学校生活は地獄だった。机をくっつけて教科書を見せたり、ノートを破って分けてやらなければならなかった。書道道具を交互で使わなければいけなかった時は最悪だった。矢島が使ったあとの筆先はバッサバサに広がっていて、杏奈が書いた文字はことごとくかすれた。むしゃくしゃして半紙を丸めていると、先生に注意された。
「大野さん、落ち着いて書かないとうまく書けませんよ」
悔しかった。くちびるをかみしめ、杏奈は矢島をにらみつけた。けれど、当の矢島はへらへらと笑っているだけだった。地獄だ、と杏奈は思った。学校へ行くのがつらくて仕方がなかった。
それなのに、まわりの子はみな優等生の杏奈が率先して矢島の世話をしていると思っていた。世話をやく様子がお母さんみたいだと言い、杏奈に「矢島ママ」とあだ名をつけ、矢島が何かやらかすと真っ先に杏奈を呼んだ。
「無理すんな」
つらかった杏奈に声をかけてくれたのは川島くんだ。声をかけられたときはびっくりした。頭がよく、スポーツ万能の川島くんは女子のあこがれの的だったから。前から気になっていた川島くんのことを杏奈はますます好きになった。次の席替えで川島くんのとなりになりたい。杏奈は願った。そして、とうとう新学期がやってきた。
六年生の席替えは、班長の話し合いで決まる。五年生までのくじ引きとはわけが違う。杏奈は班長に選ばれた。ほかに、早智、みのり、春樹、ケンタが班長になった。座席決めの班長会議がはじまると、担任は「君たちに任せるよ」と言い教室を出ていった。
「どうする?」
春樹が言った。
「とりあえず、欲しいやつ順番に言ってけばいいじゃん?」
ケンタが言った。早智とみのりもうなずいた。
「じゃ、とりあえず順番を決めようか」
春樹が言って、五人でじゃんけんした。ケンタが勝ち、続いて早智、みのり、春樹の順になった。負けた杏奈は五番目だ。新学期早々ついていない。川島くんを先にとられてしまうかもしれない。そう思うと、気が気じゃなかった。
「じゃ、オレ、拓真」
ケンタが同じサッカーチームの青木拓真をとった。次は早智の番だ。お願い、川島くんをとらないで。杏奈は心の中でさけんだ。
「伊藤由紀さん」
早智の口から意外な名前が飛び出したのでおどろいた。てっきり仲のいい林さんや伊豆原さんを選ぶと思っていたのに。続いてみのりが手芸好きの円香ちゃんを選び、春樹は同じ中学受験組の玉田くんを指名した。
杏奈の番だ。川島くんを指名したい。けれど、いきなり男子をとったりしたら、生意気だと思われてしまうかもしれない。早智もみのりも一人目は女子の名前をあげた。焦りと不安で胸がどきどきした。ぐっとこらえ、杏奈は川島くんの名前を飲み込んだ。
「多田朱音さん」
杏奈は仲のいい女子の名前をあげると、待ってましたと言わんばかりにケンタがさけんだ。
「はい、オレ。ノダッチ」
「ちょっと、ケンタ。サッカー部ばっかりじゃない」
早智がすかさず文句を言った。
「自分の好きなやつばかり集めてどうすんの。それって班じゃないじゃん。あたしたち六年生だよ。今までしゃべったことのない人とちょっと話してみようとか思わないの」
早智が伊藤さんを指名した理由がわかった。最終学年だから、卒業の年だから、早智は今まで親しくしていなかった子とも友達になりたいと思っているのだ。早智が大人びて見えた。
「そうだね。たしかに班のバランスは必要だ」
春樹が言った。
「しょうがねえなあ。じゃあ、原島でいいよ」
「何よ、その言い方」
早智がケンタに食ってかかろうとしたが、冷静な春樹は聞こえなかったふりをして会議を進める。早智の番だった。早智は誰を選ぶのだろう。
「川島くん」と早智が言った。
「川島くんとあんま話したことないんだよね」
終わった、と杏奈は思った。胸がきゅっとしめつけられる。早智は最初から川島くんをとるつもりだったのだ。早智のやりそうなことだと思った。伊藤さんをダシにして、相当したたかなやり口だ。杏奈はうらめしく思ったが、異議申し立てをする理由も思いつかない。春樹は会議を進め、黒板に名前を書いていった。
一班:班長 河村健太
青木拓真、原島圭吾、江藤莉子、有島葵、竹田康介
二班:班長 相原早智
伊藤由紀、川島玲央、遠藤美奈、柏木隼人、佐野怜子
三班:班長 松田みのり
篠田円香、伊豆原美里、野田修斗、田中聡、坂本蘭
四班:班長 榎本春樹
玉田裕康、小林啓太、林理恵、熊谷京香、大山卓也
五班:班長 大野杏奈
多田朱音、浅倉紫苑、田中亮太、高橋大地、倉田壮介
五人ずつ班員を選んだところで全員が黙ってしまった。残っているのはあと三人。新藤優里奈、荒井徹、矢島武志だ。クラスの中でもかかわり方を注意しないといけないメンツだ。新藤優里奈はとにかく負けず嫌いで嘘つきだ。モデルをやっているというのもおそらく嘘だ。ちょっと可愛い服を着ている子を見つけると、ライバル心むき出しで「その服、どこのブランド?」としつこく聞いてくる。テストの点が悪かった時に必ず「モデルの仕事が遅くまであって勉強できなかった」と言うのもみな聞き飽きていた。
荒井徹はとにかく誰ともしゃべらなかった。お風呂に入ってこない日もあるのか、たまに身体が臭うことがあった。あからさまに「臭い」と言う子はいなかったけれど、体育の授業で徹と組む子はいなかったし、徹が給食当番のときはみな違う子の列に並びよそってもらった。
そして、最後に残った三人のうちのひとりが、去年さんざん杏奈を苦しめたうすぼんやりで忘れ物常習犯の矢島だった。
「オレ、そいつら全員無理だわ。オレの班、五人でよくね?」
ケンタが言った。足を投げ出し、椅子ごと壁に寄りかかって、ケンタはすっかりやる気をなくしている。
「二班もだめ。怜子と優里奈、バッチバチなの」
早智が言った。たしかにそうだ。学年でもおしゃれな怜子はしょっちゅう優里奈の標的になっている。
「じゃ、荒井か矢島をとれよ」
ケンタが言う。サッカー部ばかりで班をかためようとしていたことをとがめられたお返しのつもりなのか、早智へのあたりがきつい。
「手のかかる子は無理。そうだ、矢島は杏奈の班がいいんじゃない? 杏奈、矢島の扱いに慣れてるんだから」
早智が杏奈を見て笑っている。杏奈は、おなかの底から怒りがわきあがってくるのを感じた。この子、なんて意地悪なんだろう。川島くんを奪っておいて、矢島を押し付けて、本当にひどい。早く、言い返さなければ。このままじゃ本当に矢島を押し付けられてしまう。杏奈は必死で考えた。どうやって矢島をとらずにすむか頭の中はフル回転している。
「でも、わたしも今まで矢島とずっと同じ班だったし、今年はまだ話したことがない子がいいかなって」
なんとか言いきって、杏奈は胸をなでおろす。早智と同じ言い分で矢島を断ってやったと思うと、少しだけ気分がよかった。
「みのりは?」
春樹がみのりに聞き、みんなが一斉にみのりの方を向く。
「さすがに矢島くんじゃ、円香ちゃんがかわいそう」
友達思いのみのりの発言に男子ふたりはうなずいていた。だまされちゃだめだと思ったのは杏奈だけではなかったようで、早智と目があった。みのりは大人しいけれど卑怯なところがある。円香ちゃんのせいにして。本当はみのりが矢島NGのくせに。
「じゃ、荒井は? 荒井ならしゃべんないからうるさくないぜ」
ケンタが言い、今度はみのりがあからさまにいやな顔をしたものだから、ケンタは春樹にふった。
「じゃ、春樹が矢島をひきとれよ」
そう言えば、春樹はずっと会議を見守っていて発言をしていない。問題を四人に投げかけて、自分で引き受けようとしていない。
「だめだよ。うちの班は中学受験組が多い。矢島がいたら勉強の邪魔になるよ」
誰も残った三人をとろうとしない。時間稼ぎなのか、みんな黙っている。しばらくして、春樹が思いついたように言った。
「クラスの子を三つのグループにわけて選ぶのはどう? 一グループは絶対的によい子、二グループは問題のない普通の子で、三グループは問題のある子。各班均等に班員をとるんだ」
その考えに五人とも納得した。少なくとも不公平感はなくなる。班決めが振り出しにもどったということは、川島くんと同じ班になる可能性があるということだ。今度は、一番に川島くんの名前をちゃんと出そう。杏奈は心に決めた。
けれど、結果はそう上手くは行かなかった。川島くんは早々にケンタにとられ、問題児の三人がどの班長にも呼ばれないまま残ってしまったのだ。
春樹はしばらく腕組みし、ずっと下を向いて考えていたが、いい案をひらめいたと顔をあげた。
「最初から組み合わせを決めておこう。一グループと三グループの子は最初からペアにしておくんだ。まず、青木拓真と新藤優里奈。篠田円香と荒井徹。川島玲央と矢島。この二人はセットでとるルールにする。いいかい?」
川島くんをとったら自動的に矢島がついてくる案に、杏奈は倒れそうになった。「ひっ」と悲鳴をあげたのはみのりだった。
「そんな、円香ちゃんが荒井くんとペアなんて」
またしても円香ちゃん、だ。
「そうよ。それに春樹のお気に入りは誰も問題児とペアになってないじゃない」
指摘したのは早智だ。お気に入りという言葉がとげとげしい。杏奈は気づかなかったが、さすがに早智は目ざとい。
「春樹、ずるいぞ。矢島は玉田とペアにしろよ」
ケンタもブーイングを浴びせたが、春樹はいたって冷静だ。
「あのね。河村くんに言ってもわからないかもしれないけれど、玉田くんはK中を受験するんだよ。それって勉強する環境がすごく大事だってこと」
春樹はあくまで理路整然と語る。が、早智は許さない。
「春樹はそうやって思い通りにしたいだけなんでしょ。それとも受験する子がそんなにえらい?」
早智が詰め寄る。早智を味方につけると、みのりもいきなり攻撃力が増す。
「わたしも班決めに受験は関係ないと思う」
「そんなに静かにしたいなら荒井がいいぞって、オレはさっきから言ってんじゃん」
ケンタまで春樹を責め出した。
どうしよう。杏奈は追い込まれていた。このままだとまた決め方を変えられてしまいそうだ。今ならまだ矢島のことさえがまんすれば川島くんと一緒になれる状況だ。矢島を引き受けるふりをして川島くんをとれば誰からも文句は出ないだろう。早智だって、矢島をとった杏奈のことを同情してくれるにちがいない。
「あの……」
杏奈は勇気を出して切り出した。
「わたし、矢島くんと同じ班でもいいよ」
そう言おうとしたときだった。ガラリと音がして教室の扉があいた。知らない女の人がものすごい形相で教室に乱入してきた。
「さっきから聞いていれば、あなたたち、なんなの」
ひどく興奮しているのか肩で息をしている。その迫力に五人とも押し黙った。
「さんざん武志の悪口を言って、それでもあなたたちは班長なの」
「げっ。ホンモノの矢島ママじゃん」
小さく叫んだのはケンタだった。武志と聞いてすぐに結びつかなかったけれど、目の前の女の人は矢島のお母さんなのだろう。よく見るとたしかに顔が矢島に似ている。
「武志だってこのクラスの一員なのよ。それなのに、問題児なんて言われて、おばさん、かなしいわ」
早智が、矢島のお母さんに両腕をつかまれ、ゆさぶられていた。矢島のお母さんは、ずっと廊下で班長会議を聞いていたんだ。杏奈の背中をいやな汗がつうっと流れていった。自分は矢島のお母さんに責められるような発言をしていなかっただろうか。早智が、ケンタが、みのりが、春樹がゆさぶられている間、杏奈はものすごいスピードで記憶を巻き戻していた。だいじょうぶ。杏奈が矢島について言及したのは「今までずっと同じ班だった」ということくらいだ。お母さんに責められるような言い方はしていない。
杏奈の前で、矢島のお母さんはうなだれてひざをついた。ぎゅっと両腕をしめつけられた。ブラウスが破れてしまうかと思うほど強く、長い爪先が杏奈の腕に食い込んだ。痛い。杏奈は叫びそうになった。
「あなたが大野さんね。武志のこと、本当にありがとう。武志はあなたみたいな子が必要なの。ね、だから見捨てないで。卒業までずっといっしょにいてくれるわよね」
いますぐこの腕を振り払ってしまいたかった。気持ち悪い。矢島も矢島ならお母さんもお母さんだ。杏奈はただじっと矢島のお母さんを見下ろしていた。取り乱した矢島のお母さんの髪はぼさぼさであちこちに白髪が目立った。
六年生の席替えを楽しみにしていた。川島くんと同じ班になって、となりの席にすわりたかった。杏奈がつらいとき、「無理すんな」と声をかけてくれた声がまだ耳に残っている。川島くんは杏奈のヒーローだ。
「助けて」
心の中でさけんだ。ヒーローならヒロインの窮地にかけつけてくれるはずだ。けれど、そんな夢みたいなことが実際に起きるわけがなかった。席替えほど大事なイベントはない。杏奈はそう思っている。ケンタだって、早智だって、みのりだって、春樹だってクラスの中で自分の身を守ろうと必死だ。不自由な教室の中でどう振舞うのが正解かわからないまま揺さぶられ、杏奈はただひたすら痛みに耐えていた。




