第二話 授業は寝るためにある
第二話 授業は寝るためにある
「それで回収できたのか、マルス?」
鮮やかな青い空を眺めながら、ゼウスは後ろに控えるマルスに聞いた。
「申し訳ありません。言われた通り、誰にも開けられない『絶望の箱』にあらかじめ眠らしたぱんドラ様を入れ、数時間だけ地球の日本のあまり人気のいない場所に置いたのですが・・・・」
「それで?」
「・・・・・宝箱が何者かに盗まれた模様です」
「マジ?」
「はい、マジです」
「それって、ヤバくない?もし、ワシがヘラに黙って地球に行かせ、その上、誰かに拐われたなんて聞いたら・・・・」
自分に何が起こるのか分かってしまったゼウスは、顔から血の気が引いた。これまで様々な事をしてきてヘラを怒らせてきたが、今回は完全にデッドゾーンを走り抜けている。
「まだ、ワシ、王様できるのになぁ・・・」
「お気を確かに、ゼウス様。それに、まだあの箱が開けられたわけではないので、ぱんドラ様もきっと無事ですよ!」
「そ、そうだよな!だって、あの箱を開けられるのは神か、神に強く信仰心を抱いている人間だけだし、そんな人間があの道を通ってあの箱を開けるなんて、万に一つもありえ・・・・」
神にはフラグという概念は存在しなかった。だから・・・。
「失礼します!」
「どうした?」
慌てて入ってきた神兵が汗だくになって、マルスの横に膝をついてゼウスに報告した。
「は・・・箱が開けられていました」
「なっ・・・・!」
最悪の状況に、口を半開きのまま立ち尽くすゼウス。
「バカな!私が確認した時は箱は閉じていたはずだ!」
マルスが確認した時は、確かに閉じていた。しかし、後で分かったことだがそれは桜があの箱を開けてぱんドラが閉じた後だった。
「いえ、もうその時には一度開けられていたようで、その時は何もなかったようでしたが、確かに黒い煙が立っていた痕跡を発見しました」
「くそ!こうなってしまったのは私の責任です。私自ら地球に出向き、ぱんドラ様を見つけて参ります」
「えっ、いや・・・それはお前がやらなくても・・・。そもそもお前の責任じゃないだろ」
「直ちに門を開けろ。私もすぐに支度を済ませる」
「了解しました」
マルスと神兵は、ゼウスの意見を聞かずに急いでバルコニーを出た。もちろん、マルスの耳には時々遮ってきたゼウスの言葉はしっかりと届いていた。しかし、ここにいたらゼウスと共にヘラに怒られるのは明白。ならば、今はここを離れた方が安全だと判断したのだ、
支度を済ませ、急ぎ天魔会の門に向かっているとマルスは今一番会いたくない神と天楼橋と呼ばれる橋で鉢合わせてしまった。
「あらっ、マルス」
その神は漆黒のベールに、漆黒の布地と赤い線が入ったドレスを着ていた。
「ヘラ様、今日もお綺麗ですね」
「ありがとう。ところで、どうしてそんなに慌ててるの?それにその荷物は何?」
マルスの後ろにあった中くらいのバックパックを指差した。
「えっと、これは地球に・・・・」
「地球?」
ベールの奥でヘラは眉を顰めた。
「は、はい。ゼウス様に、地球に忘れ物をしてきたので取ってこいと・・・」
「・・・・・そう。全くあの人は・・・・。ところで、ゼウスはどこにいるの?」
「あっ、さっきまでバルコニーにいらっしゃいましたよ」
「分かったわ。じゃあ、マルス、私からもその忘・れ・物・お願いね」
ヘラは一度頭を下ろしてから、マルスが来た道を歩き出した。
天楼橋を渡り切るまでマルスはヘラの背中を見送り、マルスも目的の地球とつながる天門ゲートまで急いで向かった。
天門ゲートに着くと、さっきの天使と白衣を来た神が何やら話していた。マルスが近づいてくるのに気づいた白衣を来た神「アインシュ」が眼鏡をくいっと上げて焦点をマルスに合わせた。
「お前が地球に行くとは、また珍しいな」
「まぁな。ゼウス様が地球に大事な『忘れ物』をしてきたから、それを取ってくるだけだ」
「ほほぅ。あのゼウス様が忘れ物か・・・。クックック!こりゃあ、ヘラの怒りの雷が早いうちに落ちそうだなぁ」
楽しそうに、天門ゲートのシステムに入力コマンドを打ち込んでいく。この天門ゲートのシステムを作ったのはアインシュで、これを使えるのもアインシュだけ。なんでも、生前にできなかった「相対性光分子変換」という研究がうまくいった結果がこの瞬間移動装置「天門ゲート」という事らしい。いくら神でも宇宙を渡って地球に行くには数光年はかかる。
数光年は神にとっては数秒の出来事だが、人間にとってはそうもいかない。だからこそ、この装置が発明されたわけだ。
「入力は完了した。あとは、扉を開くだけだ」
「分かった。では、私がいない間、天魔会を頼むぞ」
天門を開くと、中から眩しいほどの光が差し込んだ。マルスは自分の目的を再確認し、最初にやるべき事を頭に思い浮かべてからその光の中へ足を踏み入れた。
ぱんドラと出会ってから、今日で三日目の朝を迎えた。今のところは、家族の誰にもぱんドラの存在はバレてはいないはず。
桜はボヤけた目を擦りながら、クローゼットの上の押し入れのふすまを開けた。
「起きろぉ・・・」
寝起きだからか、自分の声が異常に低い。
「うーん・・・・」
体を小さく丸めて毛布に包まっていたぱんドラは不機嫌そうなうめき声を上げた。そんなぱんドラに一応、約束事を伝えた。
「ちゃんと俺が帰ってくるまでここにいるんだぞ」
それだけ伝えると押し入れのふすまを閉じ、制服に着替えて洗面台に向かった。
自室を出る時、押し入れのふすまが開く僅かな音が聞こえたが、気にせず階段を降りた。どうせ寝ぼけただけだろ。
「だから、早く寝ろって言ったのに」
昨日、押し入れにぱんドラ専用の寝床を作った。あの宝箱の中でも良かったが、それをぱんドラに聞くのはあまり気が進まなかった。
出来上がった寝床を見て、飛び跳ねるように喜んだぱんドラは宝箱を桜に開けさせて、そこから色々なおもちゃを取り出した。
「そんなもの入ってたか?」
初めてあの宝箱を開けた時、そこにはぱんドラだけで他に入っていたものはなかった。
「この箱は望んだら何でも取り出せるの」
必死に見た事もないおもちゃを取り出しているぱんドラは簡単に説明した。
両手に抱えきれないほど沢山のおもちゃを持つと、「上げて!」と押し入れのふすまを見つめた。
桜はぱんドラの脇を両手で持って、上に掲げた。
「どうだ、置いたか?」
「コレはここに置いて、コレはそこで・・・・」
押し入れの中を見て、おもちゃを丁寧に置いていく。しかし、それは今じゃなくていい。とりあえず、全部押し入れに早く入れてくれと桜は額に汗を浮かべながら思った。
「よしっ!」
「終わったか?」
「お兄ちゃん、ちょっと教えてほしい問題があるんだけど」
唐突に部屋のノックもせずに入ってきた八重に驚き、ぱんドラを押し入れに勢いよく押し込んでふすまを閉めた。
「って・・・・何してるの?」
「えっ・・・いや、これは・・・・」
汗だくになって、クローゼットの前で両手を上げた桜。その姿を見たら、八重もそんな顔をするだろう。
押し入れからドンドンと、無理やり入れられたぱんドラの怒りの音が聞こえてきた。しかし、聞かれないように桜は声のボリュームを上げた。
「それで、分からないことって?」
「・・・あっ、そうだ!ここなんだけど・・・・」
「とりあえず、リビング行こう」
「いいけど・・・」
「先行ってて」
「分かった」
八重が自室を出て、階段を降りる足音が確かに聞こえたところで押し入れを開けた。すると、まず目にしたのは小さな足の裏。そしてその後、鼻血を出し止めるために鼻にティッシュを詰め込んだ状態で桜は八重の勉強を教えた。終始、八重は教えられる内容よりも、桜の急な展開に不安そうな表情をしていた。
夕食の時は、母に部屋で勉強するからと少し多めに料理を部屋に持っていき、部屋にいたぱんドラと飯を食べた。たらふく食ったぱんドラは、腹が膨れたのかウトウトと体を左右に揺らしながら気づいたら眠っていた。まるで子猫みたいだと桜は微笑した。起こさないようにぱんドラを持ち上げ、押し入れのベットに寝かせた。
桜もぱんドラのなんとも幸せそうな顔を見たら、次第に瞼が重くなり、料理の皿を下に持っていきそのまま風呂、歯磨き、寝る前のトイレを済ませ、いつもより早い時間に消灯した。
これなら明日は早く起きられるなと、桜は少し得した気分で眠りについた。しかし、本当に早くに起きた、いや起こされた。
「・・・クラ・・・サクラ!起きて、サクラ!」
目を開けると、自分の体の上にぱんドラの姿があった。
「もう朝か・・・・って、今何時だ?」
朝にしては暗すぎる外を見て、机に置いてある時計を見た。
「・・・・まだ三時じゃん。俺はもう少し寝るぞ」
半分寝ぼけている桜は毛布を頭まで被った。
「ぱんドラ、もう眠れない」
「お前が眠れなくても俺は眠いんだよ」
「そんなのズルい!」
ぱんドラは桜の上で太鼓を叩くように桜の背中を手で叩いた。永遠に続きそうなこの連打に頭にきた桜は半ばキレ気味に体を起こした。
「なんだよ」
「あそぼ」
「嫌だ」
「あそぼ」
「嫌だ」
「あそぼ」
「嫌だ」
その繰り返しが続き、すっかり目が覚めてしまった桜は結局、遊びに付き合わされた。そして朝の五時を回った所でさすがに眠ったぱんドラをまたも押し入れのベットに寝かせ、桜はベットに倒れ込んだ。
結果、早く眠り、早く起きすぎたせいですっかり寝不足のまま朝を迎えた。
「おはよう・・・って、なに、そのくま」
洗面所で髪の毛を結っていた八重に指摘され、鏡に映る自分を見た。確かにひどいくまだ。頭も痛いし、食欲もない。典型的な寝不足だ。朝飯を食べずにスクールバックを持って学校に向かった。
それから学校で咲に頭を叩かれるまでの記憶が全くなかった。
「どう、これで起きた?」
教科書を丸めた棒で肩を軽く叩きながら咲は呆れた声で聞いた。
「あ、ああ。なんとか・・・・」
頭を振って、眠い目を覚ます。どうして頭を叩かれる展開になったのかは分からないが、意識がはっきりしてきた。
「なら、早く一限の準備でもしなよ」
それもそうだな。早めに準備して一刻も早く眠りにつこう。
ノートと教科書を取り出そうとカバンの中を探していると、まず最初に柔らかい感触が手に伝わった。
「なんだ?」
ゆっくりとそれを取り出してみると、それはおかしな鳥のような形をしたぬいぐるみだった。
「あれっ・・・・これ、どっかで見た覚えが・・・」
錆びついた思考回路を必死に回して、記憶を遡る。
「あっ!」
昨晩、ドラ子に付き合わされた時に見た覚えがある。このおかしなぬいぐるみ。確か・・・・。
「あれ、それってもしかして『ケツアルさん』?」
背後からそんな声が上がる。
「それだっ!」
その声の主に振り返り、桜は指を鳴らした。寝不足なため、テンションがおかしかった。しかし、後ろの机の上に乗っていたその相手を見た瞬間、桜のテンションは急降下した。しかし、近すぎて心臓の鼓動は早くなった。
そんな桜を見ても、変わらず嬉しそうに話しを続けた。
「わたしー、それ知ってるよ!へぇー、桜くんも好きなんだぁー!」
「えっ、いや、好きっていうかー、これはドラ・・・・」
「ドラ?」
危うくぱんドラの存在を口に出しそうになった桜は、必死に違う言い回しを考えた。
「ドラ・・・ドラ猫・・あっそう!ドラ猫のおもちゃなんだよ!」
「桜くんの家にはドラ猫がいるの?」
「あっ、うん!それりゃあ、すっごく悪い猫で悪戯好きだからな」
「あんたの家って、猫飼ってたっけ?」
桜の席の前の席にいつの間にか座っていた咲が割り込んできた。
「あたしが家に行った時はいなかったような・・・」
「いや、お前が来たのって小学生の時だろ。最近、親に黙って飼い始めたんだよ」
間違ってはいない。ただ人か猫かの違いだ。
「そーなんだー!じゃあ、今度、その猫ちゃんに会わせてよ」
「は?」
「そーねー、今日行ってもいい?」
「えっ?」
「ちょ、ちょっと、何言ってるの、葵さん!」
桜よりも動揺している咲は、勢いよく立ち上がった。
「わたし、桜くんと話してるから少し黙ってて、咲・ち・ゃ・ん・」
ニコニコしながらも、微かに開いた瞳には「邪魔をするな」と言っているように思えた。
「いや、今日は難しいかなぁ・・・」
「なんでー?」
答えは単純に猫ではなく、少女だからです。
「あいつ、ドラ猫でもあり野良猫でもあるから、外に行ったっきりいつ帰ってくるかわからないだよ」
「じゃあ、来るまで待つよ!」
「は?」
さっきから上手く言い訳をして、なんとか諦めさせようとしている桜、そしてその一枚上の回答をする葵。
「それに、わたし、夜は両親が二人とも家にいないから、全然だいじょーぶ!」
ぐいっと顔を近づけた。
「えっと、あの・・・・」
だめだ、距離が近すぎて篠森様の甘い香りが判断力を鈍らす。
そんな桜をもう一度、今度はさっきよりも強めに引っ叩いた咲は、声を張り上げた。
「なら、私も行く!」
「いったぁ!・・・・・だから、何度も言ってるけど・・・」
その時、ポケットに入れておいた携帯電話が震えた。画面には自宅と表示されていた。普段なら、学校にいる時はかけてこない。
「どうしたの?」
葵が携帯電話の画面に釘付けになっている桜に聞いた。
「ちょっと、ごめんっ!」
桜は二人を残して教室を慌てて抜け出した。
携帯電話の表示画面を見た時は、家で何かあったのかと軽い気持ちで着信の緑ボタンをタップしようとした。しかし、ふと机の上に置かれているおかしな鳥のぬいぐるみを見て思い出した。
何かあったのか、じゃない。俺に何かあったのだ。
廊下の壁にもたれかかりながら、出るべきかどうか迷った。
最悪、授業中だったことにして今はスルーするか?しかし、それだと後々面倒なことになる。だからといって、今、電話にでても余計な不安が家に帰るまで続いて寝れたもんじゃない。やっぱり、出るか。
悩んだ末、着信を押そうとすると、ちょうどその画面が消えた。そして、着信があったことを知らせる通知が上に表示される。
まずい・・・・・。
かけ直そうと、電話帳から自宅を探していると今度はメールアプリ、「トーム」に通知が入った。
こんな時になんだよ。
桜は渋々、トームを確認すると一番上に母親から一言、「今日帰ったら、家族会議。気をつけて帰ってこい」とあった。
そのトームを見た桜は、家に帰ったら自分が何に怒られるかが予想がつき、あきらめのため息をひとつついた。
「これで今日の授業はゆっくり寝れるな」
一番の不安要素が悪い意味でなくなったため、それ以降の授業は熟睡できた。