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ぱんドラ!!  作者: 霧餅あんこ
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第一話   宝箱に入った少女を拾う






              第一話   宝箱に入った少女を拾う






 最後の授業の終わりを告げるチャイムが鏑木桜(かぶらぎさくら)の小さな幸せを取り去るように無慈悲に鳴った。ボヤけている目をこすり、大きな伸びをした後、机の横に引っ掛けてある鞄に教科書やノート、プリント類を乱雑に入れ、帰る支度をしていた。

「おーい、桜!」

「どうした、カネチー?」

 金髪の長い髪をヘアゴムでまとめ、いかにも悪そうな男、金丸千紘(かねまるちひろ)、通称「カネチー」が声をかけた。

「久しぶりにカラオケ行こうぜ!」

「いや、俺は今日はそんな気分じゃ・・・」

 昨日色々あって、結局一睡もできてない。

「女子生徒もきまーす!」

「話を聞こう」

 桜は即答した。さっきまで眠かったはずの頭を、「女子」というワードが覚醒させた。

「誰が来る?」

「ふっふっふっ!聞いて驚け!」

「ま、まさか!」

「なんと、我らが上鉢学園(うえばちがくえん)のマドンナ、篠森葵(しのもりあおい)が来てくれまーす!」

 この上鉢学園には歴代、特に可愛い四人の女子生徒のことを四天王と呼んでおり、篠森葵はその一人である。その美しさから高校一年生の時に当時の高三の生徒会長と付き合って、裏で糸を引いて学校を支配していたという噂があったりなかったり。

「し、しかし、なぜ篠森様が?」

「なんでまだ『様』づけなんだよ。篠森は俺たちとタメだろ?」

 金丸は桜の後ろの席に座った。

「バカなことを言うな、カネチー!俺にとって、篠森様はこの学校に来る意味に等しい!でなきゃ、こんな退屈な授業を受けてられるかってんだよ」

 事実、桜はほぼ全ての授業を寝ている。それで頭が悪ければ先生たちは叱ることもできたが、桜は進学校である上鉢学園の中でも上位に入るほど頭がいい。だから、誰一人として寝ている彼の頭を丸めた教科者で叩けないのだ。

「でも、アイツ、この前までバスケ部のキャプテンと付き合ってたのにすぐに別れて、今度はサッカー部のエースと付き合ってるんだぜ」

 篠森の男ぐせの悪さも、有名。

「別に構わない!あの人が誰と付き合おうと、俺は変わらず慕い続ける!」

「バカな奴だなぁ」

「なんだと?」

「そこで、なんで『俺も付き合ってみたい』とかになんないんだよ」

「付き合う!?俺があの篠森様と?」

 桜は腕を組んで、頭に篠森を浮かべ、自分と付き合っている想像をした。しかし、即答した。

「無理だ。釣り合うはずがない」

「諦めんなよ!」

「いいんだ、今のままで。こっちの方が俺は幸せだ」

「まぁ、別に桜がそれで幸せなら俺はそれでいいけどね」

 背もたれに体重をかけて、腕を後ろに組んだ。

「ありがとう、カネチー」

「なに、水臭いこと言ってんだよ!俺とお前の仲だろ」

 金丸は笑って桜の背中を叩いた。

「それで、行くのか、カラオケ?」

「それはもちろん・・・・」

「行くわけないわよね?」

 その言葉の続きを言う前に、一人の女子生徒が割り込んだ。

「げっ、咲」

 この女子生徒は漆原咲うるしはらさき。桜の幼なじみで、幼稚園、小学生と同じだったが中学で別々の学校に行き、高校では偶然にも同じ高校に通うことになった。ちなみに咲も四天王の一角を担っている。咲は性格も明るく顔立ちもよくて、学校ではいい噂しか聞かない。そして成長した色々な体の部分がこの学園の男子生徒を魅了しているようだ。一人を除いて。

「また、あんた、授業寝てたでしょ!」

「いいだろ、別に。お前には迷惑かけてねぇんだから。てめぇは俺の母ちゃんか」

 桜はフンっと、そっぽ向いた。金丸は二人の口喧嘩を止めるどころか、咲の揺れる実り豊かな胸に釘付けだった。

「その母ちゃんにあんたのことを頼まれてんのよ!」

「だから、なんで俺がそこまでされなきゃならねんだよ!別に無視すりゃぁいいだろ、そんな頼まれごと!」

「おうおう、痴話喧嘩か?」

「お二人さん、お熱いねぇ」

 クラスに残っていた生徒たちが、見慣れた光景にヤジを飛ばした。

「だからそんなんじゃねぇよ!」

 赤くなった桜は必死に弁解するが、咲はわずかに頬を染めながら下を向いた。

「な、なんだよ」

「べ、別になんでも・・・。それよりも、もういい加減、寝るのやめなさいよ!」

「うるせぇ!」

 そこへ、金丸の友達が何人か教室に顔を出した。そこには篠森葵の姿もあった。

 桜はその姿を目にした途端、飼い慣らされたペットのように静かになった。

「カネチー、早くカラオケ行こうぜ!」

「そ、そうだな。桜はどうする?」

「えっ、あっー、えっとー・・・・」

 結局、まだ行くと決めたわけではない桜は迷った。

 確かに、念願の人と一緒にカラオケできるのは嬉しい。しかし、緊張しすぎて何かやらかしてしまうかもしれないし、かなりの寝不足であることを考慮すると今日は行くべきではないと結論づけた。

「やっぱ、今日は・・・」

 すると、いつの間にか自分の前に立っていた葵が桜の手を握った。その瞬間、憧れの人に触れたことに桜の心臓は止まりかけた。

「えーっ、行かないのー?わたしー、桜くんが行かないと寂しいよー」

 このいかにもぶりっ子で自分勝手な言い方。普通の女子がやろうものなら茶番だ。しかし、篠森葵ほどの可愛さなら、それは脅迫を通り越して洗脳でしかない。

 握られた手を慌てて振り解き、桜は思わず後ろに下がった。

「いや、今日はちょっと、体調が悪いから・・・・ごめん、帰る!」

「あっ、ちょっと・・・・!」

 慌ててカバンを持って、咲が止める間も無く桜は教室を去った。

 誘いを断られた葵は、力を失ったかのように振り払われた腕を下ろし、葵の顔に暗い影が差し込んだ。

「なに、アイツ。わたしの誘いを断るなんて。キモ・・・」

 小声でそう呟いた。

「おい、早く行こうぜ」

 教室の入り口で待っている男子が金丸と葵に声をかけた。

 その声に、葵は一変して満面の笑みで返事をした。

「うん!カネチーも行こ!」

「そうだね。じゃあ、また明日ね、咲ちゃん」

「あ、うん、またね・・・葵さんも」

 しかし、一瞬咲の方を見ただけで、無言で葵は教室を金丸と一緒に出て行った。

 葵と目が合ったのはほんの一瞬だったが、咲にはその葵の瞳にわずかな敵意を感じた。






 教室を出てから家の自分の部屋の扉まで、ずっと葵に握られた手を眺めながら、行くべきだったんじゃないかと、さっき自分がとった行動に後悔した。

 しかし、その後悔も自分の部屋の扉の前まで。

「まずは目先の問題を解決しないと」

 扉を開けると、そこには見慣れた自室だった。あまり使ったことのない物置と化した机、狭いベランダに出れる窓、ベッド、本棚。ただ変わったことといえば、部屋の真ん中においてある、典型的な古びた宝箱だろうか。

 制服をハンガーにかけ、デスクチェアに腰を下ろしその箱を見つめた。間違いなく桜が帰ってきてることには気づいているはずだ。そのためにわざと音を立てて部屋に入った。しかし反応がない。

 眠っているのか、と思った桜は試しにその箱をノックする。だが、反応なし。

「ふぅ・・・・・」

 一度、深呼吸してから桜はその宝箱の前で正座した。

 やりたくはなかったが、仕方ない。

 桜は恐る恐る宝箱の蓋に手をかけ、もう一度深呼吸してから意を決して開けた。

 すると、そこには()()いなかった。

「アイツ、どこいった!」

 その言葉を待っていたかのように、今度は机の引き出しが勢いよく開き、そこから箱の持ち主が現れた。

「じゃじゃーん!ぱんドラはここでした!」

「うわぁぁああああ!」

 悲鳴と共に勢いよく後退し、運悪く背後にあった壁に勢いよく体をぶつけた。

「ぐへっ!」

「アハハハハっ!引っかかった!」

 ぱんドラは引き出しから飛び出し、ベットの上に着地するとそのまま飛び跳ねながら爆笑した。

「こ、この野郎!」

 頭を押さえながら、飛び跳ねてるぱんドラの襟元を上に跳ねた瞬間に掴み上げた。ぱんドラは無邪気な笑顔で桜の方を見た。

「てめぇ、何がしてえんだよ!」

「サクラ、楽しい?」

「はぁ?」

「ぱんドラは今、すっごく楽しい!」

「お前、なに・・・って、おい、や・・・やめろ!」

 掴んでいた桜の手をぱんドラの小さな両手が掴み、のけぞって両足でその腕に巻き付かせ、服を脱ぎ捨て、自由になったぱんドラの体は桜の体にしがみついた。無理やり引き剥がそうとするが、ぱんドラはその手から逃げるように桜の体の様々な場所に移動した。まるで公園にある遊具で遊ぶように、ぱんドラも桜の体を登ったり降りたりした。

「おい、いい加減に・・・あ、くそっ!もう少し・・・そ、そこはやめろ!」

「ちょっと、お兄ちゃん、大丈夫?」

 妹の八重やえの心配そうな声が聞こえてきた。

「だ、大丈・・アハハハハ!・・・だから、やめろってこの・・・・」

「は、入るよ・・・」

「だ、ダメ!」

 桜が止める前に八重は扉を開けた。

 おわった、何もかもおわった。上裸の小さな金髪少女と体の遊戯(意味は間違ってないはず)をしているところを見られたんだ。俺は一生、ロリコンのゴミクズとしてのレッテルが貼られる。

「なにしてんの、()()()で制服も着替えずに?」

 ひとり?いや、確かに何かを背負ってる感覚はある。ってことは、まだバレてない?

「まったくうるさいんだから。私、こう見えても受験生だよ?少しは考えてよね」

 口調がいつにも増してきつい。

「ごめん、今度からはもう少し静かにするよ!」

「それならいいけど・・・・」

 とりあえず、この場は何とか乗り切ったかと桜は安堵のため息をつく。

 しかし、八重が桜の部屋から出ようすると、背中にいるやつの腹の音とそれを聞いて「ククククッ」と必死に笑いを堪えている声がそれを妨げた。

 八重は桜の方を振り返り、かなり至近距離で桜の目の奥を覗き込んだ。

「何か、私に隠してることあるでしょ?」

「い、いや・・・別に何も」

「そう?でも、お兄ちゃんって、嘘をつくとすぐに髪の毛を触るよね?私知ってんだから」

 桜は無意識に髪の毛を触っていた自分の手を慌てて下げた。

「だから、何も隠してないって・・・」

「じゃあ、その箱は何?」 

 後ろにある宝箱を指差した。

「こ・・これは、ですね・・・・」

 説明する前に、八重はズカズカと桜の部屋に入り、その宝箱を見つめた。

「なんか、ボロっちい宝箱ね・・・イタッ、ちょっ・・・ちょっと、まっ・・・ちょっと待ってよ!」

 桜は何もしていない。しかし、桜の足の横からぱんドラが両手で八重の頭をぽかぽかと殴っていた。慌てて桜はぱんドラを引き離すために後ろに下がった。

 頭を押さえながら、八重は桜の方を睨んだ。

「ぶたなくたっていいじゃない!」

「俺じゃねえよ!」

「じゃあ、誰よ!」

「それは・・・・見えない誰か・・・。ひょっとしたら幽霊かも・・・ガハっ!」

 冗談まがいな事を言って怒りを鎮めようとしたが、かえって八重の怒りの炎に油を注いでしまった。八重は桜のみずおちに正拳突きを喰らわして「バッカじゃないの!」と、足音を立てながら部屋を出て行った。

 幸い、ぱんドラのことをバレずには済んだ。

 腹を抱えて倒れ込んでいる桜の辛そうな顔を見て、さすがに笑うのをやめたぱんドラは桜の前に立った。

「こ、今度はどうした?」

 急に真剣な表情になったぱんドラはお腹を押さえた。

 多分、自分のせいで辛い目にあった事に罪悪感を抱いているのかもしれないと、桜は普通の価値観をぱんドラが持っていて少し安心した。

「・・・・おなかへった」

 違った。

 想像を膨らませすぎた数秒前の自分、いや先日の学校帰りにゴミ置き場を通った自分を殴りたくなった。






 先日の帰り道、金丸と別れた後に事は起こった。

 その日、いつも通り帰っていると、たまたまいつもの道が工事中で通れなかった。かなり遠回りをしなければならないため、桜はなんとか通れないかと近くにいたポケットから黒い紐のようなものがだらしなく出た工事現場の人に頼み込んだ。しかし、今日だけはどうしてもダメだと言われ、仕方なく迂回ルートで帰った。

 その迂回ルートで帰っている最中、道端に古い宝箱のような物が置いてあった。

 それに最初に気がついたときは、そこまで興味がなく、帰路の背景描写に不自然ながら溶け込んでいた。

 しかし、その道の先にある信号機で赤になり足を止めると、その微妙な待ち時間の間、意識しないようにしたのが裏目に出てしまった。頭の中で、あの宝箱の中身が気になってしょうがなかった。気を紛らわせようと、ポケットからスマートフォンを取り出し、そっちに集中しようとしたがいつの間にか、ネットで『宝箱 中身 爆弾』と打ち込んでいた。幸い、近場ではそういう変わったテロは確認されていなかった。

 少し安心した桜はポケットにスマホを入れて、信号機がいつの間にか青に変わっていたので進もうとした。しかし、桜が進んだのは宝箱のある真反対の方向だった。

 早歩きでその宝箱に近づきながら、人が来たら素通りするために辺りを警戒した。だが、人は愚か、車すら通らなかった。

 宝箱の前に立つと、心の中で「もしもこれが爆弾だったりしたら周りにいる人が危ないから確認するだけ」と自分に言いつけた。しかし、さっき周囲の人間がいない事を確認したばかりだった。

 膝をついて、その宝箱に手をかける。まるで海賊のお宝箱みたいだ。桜は恐る恐る手をかけて、しかし、決心したと同時に蓋を開けた。すると、中にいたのは一人の少女だった。

「ね、寝てる・・・・?」

 身を小さく丸めて、少女はかすかに寝息を立てていた。

「それにしても、綺麗な髪だな。外国人か?」

 その綺麗な金色の長髪に、毛先が青紫の宝石のように陽光に反射して光っていた。

 と、その声で起きてしまったのかゆっくりと目を開けた。少女は、起き上がると大きなあくびともに、眠そうな目をこすっている。

 その姿に呆気に取られている桜は、少女が自分の存在に気づくまで黙っていた。

 少女は頭を右へ左へと素早く振る。まるで子犬が水浴びの後に、水を落とすときの仕草に似ている。

 やっと目がはっきりと物を捉え始めたのか、近くにある物に視線が飛び交う。そして最後に目の前にいる男子高校生の桜に焦点が当てられた。

「おにいさん、誰?」

「俺は鏑木桜」

「ここはどこ?」

「ここは日本の神奈川・・・・」

「にほんっ!?」

 桜の声を興奮した少女の声が遮る。

「本当にここはにほん!?」

「ああ、そうだ。それがどうした?」

「やったぁぁぁああああ!」

 小さな両手を上に掲げ、何かを達成したかのように満面の笑顔で少女は叫んだ。

 反射的に桜は叫び続ける少女の口を押さえた。

「静かにし・・・」

「やったぁぁぁああああ!」

 塞いでいるのに、構わず叫び続ける少女に優しく静止させようと試みる。

「だから、少し声のボリュームを・・・・」

「ぁぁぁぁぁああああ!」

「おい、いい加減に・・・・・」

「ぁぁぁぁぁああああ!」

 流石にイラっとした桜は、初対面の少女に向かって少しきつめに注意した。

「静かにしろ!」

「ぁぁぁぁぁあ?」

 桜の声が届いたのか、叫ぶのをやめた。桜は手を離し、ため息をついた。

 宝箱の中身は確認した。もうこれ以上、このおかしな少女と一緒にいたら、周りに何か勘違いされるかもしれない。

「じゃ、じゃあ、俺はこれで」

 そう言って自然にその場を立ち去ろうとした。

 さっきよりも足取りが重い。いや、罪悪感があるからとかじゃなくて、本当に重い。

 片方の足を見ると、少女がしがみついていた。

「何してんだ、お前は!」

「ヤダッ!」

「はぁ?」

「置いていかないで!」

「置いていかないでって、そもそもお前は一体なんだ!?」

 足を振り回して、少女を振り払おうとするがそれ以上の力でしがみついている。

「私はぱんドラ!」

「ぱんドラって、あの『パンドラ』か!?」

 桜は足を振り回すのを止めた。

 今、自分の足にしがみついて離れない少女が、神話などに出てくるパンドラなのか?確か、パンドラって箱を持っていて、その中身が絶望なんじゃ・・・・。

 桜はふと、前方に見える薄気味悪い宝箱を見つめた。蓋は開けっぱなしで、中から黒い霧ような物が流れ出ている。とりあえず桜は無言でその宝箱の蓋を早急に閉めた。桜は首を横に振った。

 いやいや、そんなはずがない。あれは何かの演出だろ。だって、パンドラがこんな人間のイメージとそっくりな風貌しているはずがない。

 一度、自分がぱんドラだと名乗っている可愛げな少女を見てから、納得したように頷いた。

「お前がぱんドラだってことはよくわかった。それじゃあ、お兄さんがお母さんのところまで送ってあげるからお家に帰ろう?」

 どうせかくれんぼしている最中に、たまたまこの箱に隠れていただけだろう。さっき言っていたことも子供の戯言。この摩訶不思議な容姿もただのコスプレ。数秒前にありえない想像をしていた自分を殴ってやりたい。

「かかさまには内緒だと、ととさまがここに送ってくれた」

「その『かかさま』と『ととさま』はどこにいるの?」

「天魔会」

「それはどこのヤクザの会合かな?」

「ヤク・・・なに?よく分からないけど、ぱんドラはもう帰れないし、帰らない」

 足から離れたぱんドラは、何か怒った様子でそう言った。喧嘩でもしたのかと、桜はまたもため息をついた。

「あのなぁ、お兄ちゃんも少し忙しいから、ちゃんと答えてくれないと助けられないよ」

「じゃあ、サクラの家に行きたい!」

「はぁ!?」

 てか、いきなり名前呼び!?かなりマセてんな、このガキ。

「私、にほんに来るのは初めてだから、色々と教えて!」

 もう行く気満々のぱんドラは、宝箱を取りに行った。その隙を見て、桜は「もっと愛想のいい優しい人に拾われろよ、じゃあな!」とそう言い残して一目散に走った。

 宝箱に紐を通して背中に背負って立ち尽くしているぱんドラを尻目に、何も考えられないほど走った。

 気がつけば、家の玄関で膝をついて息を切らしていた。

「どうしたの、そんな汗かいて?」

 妹の八重がアイスキャンディーを咥えながら、不思議そうに桜を見つめていた。

「い、いや、なんでもない」

「あっそ」

 八重はそのまま二階に上がった。

 背負っていたスクールバックを置いて、とりあえずこの汗を流そうと風呂場に向かった。

 それから不思議と何も起きず、逆にそれがさっきの少女を思い出させた。

「お兄ちゃん、どうしたの?ご飯全然食べてないけど」

 前に座る八重が不思議そうに桜の方を見る。

「あらっ、ほんと。どうしたの?まだおかわりしてないなんて、何かあったの?」

 隣に座る母の裕子ゆうこが桜の額に手を当てた。

「な、なんだよ!」

「熱はないみたいね」

「そんなもんねぇよ!」

「桜・・・」

 斜め前に座っている父の龍太郎が、手に持つビールを置いた。その声を聞いて桜はビクッとした。

「もう少し静かにご飯を食べることができないのか?」

 淡々と喋る穏やかな父の声は、桜にとって黒板を引っ掻くあの音と同じくらい耳障りだった。別に桜が反抗期だからではない。

 父のことは尊敬している。しかし、いつも無表情な父は桜にとって不気味な存在だった。

「・・・・ごちそうさん」

 この空気に耐えられない桜は席を立つ。

「あら、もういいの?」

 無言で頷くと、桜はリビングを出て自室に向かった。

 部屋に入ると、明かりを付けずにベッドに横たわった。

「今日は疲れた」

 何も変わらない普段の日常だったが、なぜか心身共に疲れていた。もういっそこのまま寝てしまうかと、瞼を閉じた。しかし、どうしてもあの少女の安否が心配で頭から離れない。

 警察に保護されて家に帰っているだろうと思うと、納得はいくが安心は出来なかった。

「ぱんドラ・・・・」

 その時、置いていかれるぱんドラの小さな姿がどこかで見た少女と重なった。

「・・・・・・くそっ」

 その声と共にベッドから飛び起きて、急いで玄関に向った。ちょうどリビングから出てきた母に出くわし、「どこ行くの?」と聞かれ「散歩」と答えた。

「あまり遅くならないようにね。最近、この辺で変質者が出たって噂があるから」

「マジで?」

「うん」

 その母の助言が桜をさらに焦らせた。桜は脳裏に最悪の状況を浮かべると、急いで家を飛び出した。もうそれは散歩のスピードじゃないほどに全速力で走った。

 もしこれであの子が変質者に襲われて何かあったら、俺はまた同じ過ちを繰り返す事になる。

 桜は昔の出来事を思い出し、背筋に冷たい汗が垂れた。

 運動神経が男子高校生の平均よりもかなり高い桜にとっては、そこまで遠い距離ではなかった。途中、なぜか工事中だったはずの道がいつのまにか終わっている事に気がつかないほどに桜は走った。

「あそこだ!」

 遠目から見ても目立つ、宝箱がさっき置かれていた場所にあった。

 辺りに人の気配はない。

 桜はその宝箱の前に来ると、すぐさま箱を開けた。

「・・・・よかった」

 初めて出会った時と同じように、ぱんドラは寝息をたてて眠っていた。今度は起こさないように静かに宝箱を閉じると、その箱を持ち上げた。かなり重かったが、持てないほどじゃない。

 道中誰にも会わずに、桜は、行きの倍以上の時間を使って家に着いた。とりあえず、その宝箱を家の扉の前に置くと、ゆっくりと扉を開けて中を確認した。

 そして、一気に階段を駆け上り、自室に滑り込んだ。部屋に入ると、宝箱の中にいるぱんドラも目を覚ましたのか、中で動いているのを感じた。

 宝箱を部屋の真ん中に置くと、宝箱を開けた。それとほぼ同時に勢いよく、中にいるぱんドラが出てきた。

「ぐわぁぁぁああ!」

 急に出るなり吠え始めたぱんドラの口を慌てて桜が塞いだ。

「なんで出るなり、叫ぶんだよ!」

 桜はガミガミと、ぱんドラに静かにするよう説教を垂れ、ぱんドラはただ頷いた。

 桜が手を外すと、真剣な表情から一変、明るい笑顔を浮かべてぱんドラは桜の腹に飛び込んだ。

「うぐぅ!」

 そのまま、倒れ込んだ桜は自分の上に乗っているぱんドラに視線を向けた。ぱんドラは出会ってからずっと笑顔だったが、ここに来て初めて悲しそうな表情を浮かべた。

「なんでサクラがいるの?」

「そ、それはだな・・・・」

「てっきり、ぱんドラ、置いていかれたと思った」

 グイグイとお腹を押され、その強さを感じる度にぱんドラの寂しさを感じた。

「ほかに誰か来なかったのか?」

「・・・・うん」

 そんなはずはない。あんな道端にこんな奇妙な宝箱が置いてあれば、中を確認しようとする者が現れてもおかしくないはず。

「俺が箱を開けてから、あの後どうした?」

「・・・・それから、誰も通らなくて、怖くて箱に戻った・・・」

 あの時、置いてきた自分の情けなさに怒りを覚え、唇を噛んだ。

「どれくらいあそこにいたんだ?」

「わかんない・・・・・っぐ」

 今にも泣き出しそうなぱんドラの顔を見て、それ以上は何も聞かなかった。しかし、この質問はするべきだと思い聞いた。

「お腹減ってないか?」

「・・・・・」

 その時、グウっと桜の腹が先になった。さっきまで失せていた食欲も、心配事がなくなって安心したら急に押し寄せてきた。

 桜の腹の音に、思わずぱんドラはさっきの笑顔以上に、無邪気に笑い出した。そしてぱんドラも桜と同じように腹を鳴らし、今度は桜が爆笑した。桜の笑い声にぱんドラも手を叩いて笑い出した。

 ひとしきり笑った桜は涙を拭いて、まだ笑っているぱんドラに言った。

「一緒に食べるか」

「うん!」

「じゃあ、少しここで待ってろ。今、飯持ってくるから」

「分かった!」

「いいか、絶対、ここにいろよ!」

「分かった!」

 そうは言っても会ってまだ数時間という仲、ぱんドラが自分の言うことを黙って聞くのか心配な桜は急いでリビングに向かった。

 リビングには、片付けをしている母と新聞を読んでいる父がいた。

 桜は冷蔵庫を開けて、さっきの夕飯の残りと何か食べられるものを両手に持てるだけ持ってリビングを出た。冷蔵庫を探っている間、父は何も言わず、母は不思議そうな目で「レンジで温める?」と聞いてきた。

 レンジで温められたおかずの肉じゃがと米、サラダ、漬物、飲み物を抱えて自室に戻った。

「おまたせ・・って、アイツ、どこ行った!?」

「ここだよっ!」

 クローゼットから勢いよくぱんドラは飛び出し、ビックリした桜は危うく持っている食べ物をカーペットに溢すところだった。

「あぶねぇだろうが!」

 ばんドラは桜の怒り顔を見る前に、驚いた桜の変顔を見て笑っていた。

 もう付き合ってられないと、桜は窓を開けて小さなベランダに出た。十分笑ったぱんドラは桜を見て首を傾げた。

「笑ってないで、早くこっちに来い」

 言われるがまま、手招きしている桜の方に近づくと、いきなりぱんドラを持ち上げて、屋根の上に乗せた。ぱんドラは屋根の上に立つと、ゆっくりと屋根の上を歩き始めた。

 一応、下に落ちて来ないように身構えたが、ぱんドラの姿が下から見えなくなり、大丈夫そうだなと安心した。僅かに「うわぁぁ!」というぱんドラの感嘆の声が上から聞こえてきた。

 桜の家の屋根はあまり傾斜が高くないため、滑り落ちることはあまりない。桜は小さい頃から何度も登っているが、落ちるどころか、そのまま眠ってしまったこともある。さすがに眠ってしまった時は母にこっぴどく怒鳴られた。

 桜も、夕飯を屋根の上に置いてから慣れたようにベランダの手すりを足場に屋根の上に飛び乗った。

「どうだ、俺の特等席は?」

 屋根のてっぺんで自分を見下ろしている大きな月に目を奪われているぱんドラに声をかけた。

「す、すごいよっ!サクラ、アレ、すごい綺麗だよ!」

「おっ、今日は満月か。確かに綺麗だ」

 月に見惚れているぱんドラの隣で、桜は夕飯の残りのラップを外した。肉じゃがのほのかな香りが春の風に乗ってぱんドラの嗅覚を刺激した。

「これはなに?」

 肉じゃがを見ている目が、月に向けている目と同じくらい輝いていた。

「これは肉じゃがって言うんだ、ほれ」

 小皿に肉じゃがをよそって、箸と一緒にぱんドラに渡した。

「この棒はなに?」

「それは『箸』と言って、ご飯を食べるための道具?・・・・みたいなもんだ」

「これはどうやって使うんだ?」

 両手で箸を一本ずつ持ち、まるで赤ちゃんが初めて箸を持ったときにやりそうな仕草だった。

「箸はまだ難しかったか。・・・・じゃあ、これなら見たことあるだろ」

 銀色のスプーンを渡した。

「これは知ってる!前にかかさまが、ととさまの目をくり抜こうとしてる時に使ってた!」

「いやいや、それはおかしいだろ!」

 どういう家庭環境で生きてんだこいつ。

 仕方がなく、桜は汁をたっぷり吸い込んだじゃがいもをスプーンですくった。

「口あけろ」

 言われるがまま、口を斜め上に開け、そこにスプーンを入れた。「いいぞ」と言われ、はむっと口を閉じた。

「こらこら、スプーンは食べるな」

 ぱんドラの口から無理やりスプーンを引っこ抜く。ぱんドラはモグモグとよく噛んで自分の口内に入った料理をよく味わった。感想は、噛むごとに口角が上がっていくぱんドラの顔を見れば一目瞭然。

「うまいか?」

 ぱんドラは何度も頷き、幸せそうに口を開けた。

「おいしい。おいしいよ、サクラ!」

 かなり美味かったのか、立ち上がって屋根中を走り回った。

「もういらないのか?」

 かなり遠くにいたぱんドラがすっ飛んできた。

「んあ!」

 ぱんドラは口を開け、桜はそこに肉じゃがを放り込んだ。今度は玉ねぎとにんじん。しかし、さっきと同じように美味しかったのか、はしゃぎ回った。

 まるで餌付けしてるみたいだ。

 はしゃぎ回るぱんドラを見ながら、そのスプーンで肉じゃがを一口食べた。口の中に入れた途端にほろほろと崩れるほど煮込まれたじゃがいもと、甘く香ばしい汁が食欲をそそる。そのまま、隣においてあった米をラップで包んで小さなおにぎりを作ってぱんドラに渡した。ぱんドラはそれを受け取ると、ちょこんと桜の隣に体育座りした。

 二人は少しずつおにぎりを食べながら、目の前の大きな月を眺めた。

「ここは俺のとっておきの場所なんだ」

「モグモグ・・・桜の・・モグモグ・・・とっておき?」

「ああ。ドラ子にもそういう場所はないのか?」

「モグモグ・・・ドラ子?」

「そう。ぱんドラって呼ぶの面倒くさいから、ドラ子」

「なんかイヤッ!」

 二つ目のおにぎりを手に取りながら、ぱんドラは気に入らない様子だった。

「なんで?」

「だって・・・モグモグ・・・なんか・・・モグモグ・・・・可愛くないもん」

 怒りながらも、口いっぱいにおにぎりを詰めているぱんドラは、餌を頬張ったリスのようだった。思わず、笑いそうになるが、この状況で笑えばさらに機嫌を損なうため今は我慢した。

「別に可愛いと思うぞ」

「イヤッ!」

 頑なに拒否するぱんドラ。

「分かったよ。それで、ドラ・・・ぱんドラにもそういう場所があるのか?」

「ない。いつも部屋の中」

「そうか・・・・。なんか、すまん」

「いいの!だって、ぱんドラ、今、すっ・・・ごく楽しいもん!」

「そりゃあ良かったよ」

 まだ会って半日しか経っていないため、桜にもこのぱんドラという少女が何者なのかまだ分からない。

 一つだけ分かったのは、まだぱんドラが幼い子供であるということ。姿だけではなく、感情の出し方や一喜一憂の仕草も子供のそれだ。なんとかして早く親御さんの元に帰すべきだ。

 まぁ、とりあえず今日はこれで良しとしよう。

 月明かりという名のスポットライトに当てられながら、笑顔ではしゃぎ回っているぱんドラを見て桜はそう思った。



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