第二話 親友兼、従弟兼、臣下の妹君
「ブラント、学期末試験の結果はどうだった?」
廊下に張り出された上位成績者に名を連ねていなかったことから、推して知るべし。というものなのだが。
従弟であり、将来の側近となるフルトブラントの成績向上に発破をかけるのは、バルドゥールの役目だ。
「……聞かないでくれ」
フルトブラントは苦虫を噛み潰したような顔を、ふいと背けた。
バルドゥールはやっぱり、と眉を顰める。
「ブラント……。君は次期グリューンドルフ公爵なんだよ? その自覚はあるのかい?」
「父上とまるきり同じことを言うな」
ぶすっと不機嫌に不貞腐れるフルトブラント。
バルドゥールは世話のやける親友にやれやれ、と嘆息する。
どうもバルドゥールがここグリューンドルフ公爵王都屋敷を訪れるより前に、フルトブラントは父公爵から大目玉を食らっているらしい。
それならば、とバルドゥールは追及をやめた。
既に指摘されていることにわざわざ重ねて叱責するほど、バルドゥールは底意地悪くない。
バルドゥールはすっかり機嫌を損ねたフルトブラントを横目に、ガゼボからぐるりと見渡せる庭園に視線を走らせた。
一貴族の王都屋敷とは思えぬ規模の広大な庭。
元は王家の離宮の一つであった。
それをグリューンドルフ公爵が臣籍降下した際に譲り受け、公爵家王都屋敷としたものだ。広くて当然である。
サークル状の人口池には、黄金の女神の装飾が中央に施されたアーチ橋が架かり。池から引かれた水路は、石畳の下を伝って中央の噴水へと辿り着く。
池と噴水を取り囲む四季折々の花々。
バルドゥールは庭園を駆ける心地よい風を頬に受け、のんびりと休暇を楽しんでいた。
「ブラントお兄様」
凛とした響きに振り返ると、そこには勝ち気な表情で佇む少女がいた。
年の頃は十二、三といったところだろうか。
豊かな波打つ黒髪。長くけぶるような睫毛はくるんと美しいカーブを描き、神秘的なグリーンアイズを縁取る。鼻梁は細くツンと尖った鼻尖まで真っすぐに伸び、ふっくらとした唇は暖かなオレンジブラウンで、口角がきゅっと引き締まり。滑らかでほっそりとした稜線が、こめかみから顎へと繋ぐ。
バルドゥールは吸い込まれるように少女を見つめた。
こんなに美しい少女は見たことがない。
「やあ、アーニャ。どうしたんだ?」
フルトブラントは普段、女性に極めて冷徹な少年だった。だが、その氷のような態度は見る影もなく、デレっと相好を崩している。
その上、少女にかけた声は、砂糖菓子のように甘ったるい。
バルドゥールは少女から目が離せないものの、親友の気色悪い猫なで声に鳥肌が立った。
そしてフルトブラントが少女に呼びかけた、その愛称に引っ掛かりを覚える。
――アーニャだって?
その響きはゲルプ語にはない。
友好国でありながらも現在内戦が勃発し、国家間のあらゆる流通が差し止められているガルボーイ王国。その言語である、ガルボーイ語の響きだ。
「お兄様が珍しくご友人をお連れだと耳にしまして。お兄様のような偏屈な方とお付き合いくださる、お心の広いお方には、是非今後もお兄様のことをお頼みしなくては、と。挨拶に伺った次第ですわ」
少女のあんまりな言い様にフルトブラントは情けなさそうに眉尻を下げる。
「アーニャから見た私は、そんなにへそ曲がりに見えるのか?」
「ええ。わたしにはお優しいですけれど、お兄様の他者への振る舞いは目に余ります」
「それは仕方がない。私にとってアーニャが一等大切なのだからな。アーニャ以外の人間は利を齎すか否かでしかない」
バルドゥールは隣でとんでもないことを言い出す親友兼、従弟兼、臣下の脇を肘で突いた。
「おい、ブラント。僕は一応、君の主になるはずなんだけど?」
するとフルトブラントはようやくその存在を思い出した、というようにバルドゥールを見た。
「いや、バル。私の忠誠は既にアーニャにあるんだ。悪いな」
悪びれもなく言い放つフルトブラントに、バルドゥールは額に手を当てた。
「それを他で言ってくれるなよ。僕は君を不敬罪で捕えたくはない」
苦々しく告げると、アーニャと呼ばれた少女は、目を輝かせてバルドゥールの手を取った。