第8話 イザドラの依頼(1)
気を取り直し、クリキュラは椅子の上に両足を抱えたポーズで座りなおすと、早速本題に触れた。
「で、あたしらへの依頼ってのは、お前さんの竜化症の呪いを解いて、まっとうな人間に戻して欲しいってとこかね?」
「なぜ竜化症のことを!?」
唖然とするイザドラがマナレスを見やると、「僕は話してない」と言わんばかりにブンブンとかぶりを振っている。
この蛇乙女は広場での一件を知っているようには思えなかった。だとすれば、どうしてイザドラの隠してきたことを知りえることができたのだろうか。
イザドラがいぶかしげな表情で見つめ返すと、クリキュラは蛇のようにチロリと赤い舌を出して唇を舐める。といっても、その舌は蛇のように二股に分かれているわけではなかったが。
「見りゃわかるだろ。お前さんは部屋の中でもコートさえ脱がない。それとお前さんの体温だが、二の腕から背中にかけて、鎧でも着こんでるように冷たく見えるんでね。何か隠したいものがあるのは明らかだ」
蛇の中には温度を感知できるものがいると聞いたことがあったが、彼女にもそのような力があるということか。だから紅茶の温度もわかっていたのだろうか。
「それと、お前さんが人捨て山出身だということも明らかだ」
蛇乙女はイザドラの出身地も言い当てた。人捨て山は、病気や呪いによって迫害された人々が流れ着いてできた村だ。だから人捨て山と呼ばれているのである。
「その薄汚れたコートは濡れて煤けているが、それはドワーフたちの採掘場である黒煙地方の煤の雨が降って染みたものだね。
丁度三日前に雨が降ったのは人捨て山地方だけ、おまけに黒煙地方で人間が住まう場所、かつあたしらみたいのに泣きついてくるような他力本願な奴は人捨て山出身に違いない」
イザドラは最後の言葉を聞くといら立ちを隠しもせずに睨んだが、蛇乙女は意に介さずせせら笑うように語り続ける。
「それにあそこには竜が封印されてるというし、竜化症を発症するにはうってつけだな。そう考えれば全ての点と点がひとつに繋がる」
クリキュラが己の失礼な言動に気づきもせず、悦に入って自信満々に語っていると、アルセストがそれを遮った。
「話がなげーよ! お前の自慢話はどうでもいいから、もっとサクサク進めろや」
せっかく機嫌良く語っていたクリキュラは、気分を害したようだった。
「うるさいな、この妄想野郎が。現実を正しく観察することによってこそ、真実が見えてくるんだよ。そんなこともわからないから、お前さんは彼女が死んでるってことさえ、理解できないんじゃないのか!?」
弱みを抉られたアルセストが怒気をはらんだ眼で剣の柄に手をかけるが、それを見たマナレスが慌てて仲裁に入る。
「ちょっと待てって……。客人の前でまた争いごとを起こす気かい? まずは落ち着いて話の続きを聞こうよ。クリキュラも煽るなよ」
マナレスが必死に声を荒げてなだめるものの、二人は詫びれた様子もなかった。どうやらいつもこの調子のようで、マナレスの気苦労は絶えなさそうだ。
アルセストが話を戻して蛇乙女に尋ねる。
「竜化症と竜が封印されているのと何の関係があるんだ?」
「竜化症の正確な原因はわかっていない。ただ、竜の影響下にある土地だと発症しやすいという話さね」
それを聞くと、アルセストはマナレスを指さす。
「もしかして、この腐れドラゴンが変な病気をうつしたんじゃないのか?」
「え? 僕? いや、まだなんも手を出してないよ。大体イザドラちゃんは出会う前から竜化症だったじゃないか」
ところが話している途中で何かに気づいたのか、マナレスは成る程と手をポンと打つと、目じりを下げて締まりのない表情でイザドラを見つめる。
「……いや、逆にうつしてもらったら、僕がドラゴンに戻れるかも……」
「き、キショい!」
おぞ気が走ったイザドラは、思いっきり顔をそらした。
そのやり取りの中でさらに浮かんできた疑問を、アルセストが蛇乙女に尋ねる。
「竜化症を患った人間は最終的にはどうなっちまうんだ? マナレスが言うようにドラゴンになったりするのかよ?」
「噂ではそんな話もあるが、実際に竜になったという奴は見たことも聞いたこともないさね。むしろその前に、全身鱗に覆われてコロッと死んじまうのさ」
アルセストは竜化症のイザドラに気を使って慎重に聞いたつもりだったのだが、蛇乙女は無神経に言い放ったばかりか、手刀で首を斬る身振りまでする始末だった。震える眼で睨むイザドラにもまるで気づいていないようだ。
見かねたマナレスが助け船を出そうとしたのだが、それより早く、竜化症の説明を聞いたアルセストが納得したようにうなずく。
「なるほどね、今回の依頼は竜を倒してイザドラの呪いを解けばいいわけか。おまけに竜の封印を解くことができるくらいなら、プリウェンちゃんの封印だって解ける可能性があるわけだろう? これ完全にドラゴンスレイヤーに然るべき展開じゃねーか」
アルセストがあまりに都合のいい解釈で高ぶりだすと、「お前はよく話を聞け」とばかりにクリキュラが舌打ちした。
「死んだ女が生き返るかよ。妄想は寝ていえや。それと竜を倒したからって、竜化症が治るわけじゃないさね。
かつて至高王に仕えた『十二の剣』の中には、竜化症を治すことができる竜騎士がいたというが、その力も今では伝わっていない。そんな都合よく治す方法はないさね――」
蛇乙女のその言葉をきっかけにイザドラは再び話を戻す。その表情には悲壮な決意が宿っていた。
「竜化症を治したいわけではないんだ――」
その言葉は嘘だった。
確かにまっとうな人間に戻れたなら、忌み嫌われることもなく普通の少女として生きられるかもしれない。だけれどそれは諦めていた。簡単に呪いを解く方法などないのだ。
今はそれより、やらなければいけないことがある――
蛇乙女はそのイザドラの想いを見透かしたのか、初めて真剣な目を向ける。
この娘は嘘をついてはいけないと知っていながら嘘をついている。
それは人間ではないクリキュラにとって、合理的でない、理解できない行動だった。だからこそ逆に興味を引いたのだ。
「ほう……それで?」
「確かにあんたの言う通り、私は人捨て山から来たよ。今その村は竜殺騎士団に支配されてるんだ。
おまけに彼らは竜を復活させて操ろうとしてる。けれど竜が復活すれば村は滅ぼされてしまうんだ。他の誰にも頼めない、どうか私の村を救って欲しいんだよ!」
イザドラは少ないながらも依頼の報酬を差し出した。
使い込まれたぼろぼろの革袋から、入り混じった銀貨銅貨が机にぶちまけられる。それは亡くなった母親とイザドラが、必死に貯め込んだ全財産だった。
イザドラは訴える。剣の騎士たちに歯向かう者などいようはずもなく、もはや彼ら反英雄に頼むしかないのだということを。