第7話 蛇乙女クリキュラ【挿絵あり】
騒動が一段落すると、アルセストたちはイザドラを連れていったん反英雄のアジトへと戻ることにした。
彼女が反英雄たちの助けを借りたいというのはわかったが、詳しい話はアジトで聞こうじゃないか、ということになったのだ。
ちなみにあのあと、捕まえた騎士たちの財布はマナレスがありがたく頂戴し、そのお礼に立派そうな白の隊服を引っぺがして、素っ裸にして送り返してあげたのだった。
残念ながらイザドラは、アルセストとマナレスの二人の名をほとんど聞いたことがなかった。
確かに騎士たちを撃退した手並みは素晴らしかったけれど、彼らだけでは村を支配する英雄には、敵わないかもしれない。何故なら、竜殺騎士団の団長はただの騎士ではないのだから。
だからこそ彼女が探していたのは、反英雄の悪名を轟かしたクリキュラという者だった。噂ではメデューサと人間の合いの子、恐るべき化物だという話である。
迫りくる百騎の騎士たちを一瞬で石像の群に変えてしまった……という恐ろしい伝説まで残っている。
ただイザドラの、
「反英雄のクリキュラという人であれば村を救えるはずだと――」
その言葉を聞くと、アルセストとマナレスは顔を見合わせ肩をすくめる。ばつが悪そうにマナレスが忠告するのだった。
「クリキュラの助けを借りたいのなら、決して彼女を怒らせないことだよ」と。
「怒らせるわけないじゃないか」
そう反論する少女に対し、マナレスはこの男には珍しく真剣な眼差しで言い直す。
「言い方が悪かった。決して彼女に嘘をついてはいけない……。クリキュラはちょっと変わっていてね」
変わってるって、あんたらに言われたかないだろう――イザドラは内心そう思ったが、黙って続きを聞くことにした。
「クリキュラは嘘が大嫌いでね。おまけに彼女は『真実』を簡単に見抜いてしまうんだ。ひとたび嘘をついた人間は二度と信用されない。それどころか、平気で見殺しにされてしまうんだよ」
その話を聞いたイザドラは、不安で肌が粟立つのを感じた。
竜をかたどった髪飾りをそっと握ると、嘘をつかずにやり過ごせるだろうか――と、ぐるぐると思い悩み始めていた。
混沌街は街自体が区画整理もされておらず、雑多な風景が続く。
一部の石造りの建物を除くとほとんどが木造であり、元々は白かったであろう漆喰の壁がカビて黒ずんでしまっていたり、ツタが這うに任せて覆われた家々が立ち並んでいる。
狭い居住区に増改築が重なり合い、看板や扉が所せましと取り付けられ、どこにつながっているかもわからないような小道がそこかしこにあった。さながら迷路のような道を彼らは進んでいく。
こんな所ではぐれたら迷子になってしまう――とイザドラは考えていたが、そもそもここは盗賊都市、迷えば女子ひとりで無事に生きて帰れる保証はないのかもしれない。
その混沌街の入り組んだ裏路地を進んで行くと、やがてこの貧民街には不似合いな、堅牢な石造りの建物にたどり着く。焼けたような赤黒い壁に覆われ、鉄塊のごとくそびえる建造物――それこそが反英雄たちのアジトであった。
侵入者を拒む、まるで砦のような建物の入口には、ひっそりと『逆さ剣』の看板が掲げられている。
普通の紋章では、英雄たちの剣は天高く突き上げられる――ところがそれとは対照的に、地に落ちた『逆さ剣』の紋が彼らのトレードマークとなっていた。
かつて神の子である救世主は、贖罪のために十字架に磔にされた際に、茨の冠を被っていたという。そんな茨の輪を断ち切るように描かれた逆さ剣の意匠は、まるで『神に反逆することさえ厭わない』と語っているかのようだ。
アジトの異様な雰囲気に気圧されたイザドラが立ちすくんでいると、マナレスが彼女の背中を優しく叩いた。
「まぁ不気味な家だけど、取って食われるわけじゃないから上がってよ」
そう言ってマナレスが鉄で補強された頑強な扉を開くと、こじんまりとした広間と、二階へと続く狭い階段が見える。
イザドラは失礼かとは思ったが、灰色の上着を着たまま家にあがった。自分の身体を覆う竜の鱗を見られたくはなかったのだ。
彼女が二階に通されると、そこは幾つもの石像が飾られた不気味な部屋だった。丸テーブルの周りに数客の椅子とソファが置かれ、本棚からはみ出した書類が雑然と散らばっている。
そして、その部屋の中央に吊り下げられた黒い物体……。イザドラはそれを見ると、思わずひぃと短い悲鳴を上げた。
そこには天井の梁からたれ下がるロープに、首を吊ってぶら下がっている美しい女性の姿があったからだ。
「し、死んでる!?」
おののくイザドラがそう呟くと、
「誰が死んでるだ、失敬な。寝てただけだ」
首を吊っている女性が答える。
重力に反するように、ロープは女性の身体ごとぐぐっと持ち上がると、彼女は空中でくるっと回転して、部屋にあった椅子に乗り下りた。
イザドラがロープと勘違いしたもの、それは黄金色の蛇だった。女性の肩近くまで伸びた黒髪の後ろからは、異様なことに一匹の蛇が生えていたのである。
そう、彼女こそが反英雄の最後のひとり、メデューサと人間の合いの子の、クリキュラであった。
切り揃えられた前髪と無造作なボブヘアに、艶やかな身体をぴったりと覆う黒のレザースーツを纏っている。
左目には機械仕掛けの眼帯と、その反対側はつりあがった目の黒い瞳。
彼女はそのブラックオニキスのような光を宿さない目で、イザドラを値踏みするようにねめつける。
「わざわざ『人捨て山』からここまで馬を飛ばしてくるとは大変だったろう」
「なんで私が人捨て山から来たって……」
なぜわかったのかと困惑するイザドラに対し、目の前の蛇乙女は返答せず、ただニタリと笑って見つめてくるだけだった。
イザドラは耐えられず視線をそらした。
しかしよく見ればこの部屋も相当に趣味が悪いものだった。部屋の壁には竜や鷲獅子の首などの石像がかかげられ、部屋の四隅には今にも動き出しそうなほど精巧な人間の石像が並べられている。
メデューサの瞳を見た者は石に変えられてしまうというが、まさかこの人間の石像たちもそうなのだろうか?
今は大丈夫でも、クリキュラの気分一つで石像の仲間入りをしてしまうのではないか――イザドラはそう考えると身震いした。
蛇乙女が無言のまま、頭から生えた蛇でクイクイと椅子を指し示す。どうやら座るよう促しているようなので、イザドラは恐る恐るソファに腰かけた。
アルセストが早々に、「プリウェンちゃん、傷のお手入れをしましょうね~」と妄想の世界に入ってしまったので、マナレスが緊張した雰囲気を察して和ませようする。
「またクリキュラは客人を驚かせるようなことして、意地が悪いんだからさ。とりあえずお茶でも出すよ」
ところが、茶の用意をしようと立ち上がるマナレスを、クリキュラが蛇を伸ばして遮る。
「あぁ、それなら2時間前に紅茶を淹れた。ちょうど熱々、淹れたてさね」
「2時間前って……」
イザドラは2時間前に淹れた紅茶が熱々のはずがないと不思議に思ったが、その理由はすぐにわかった。
「起きろピスタス。吐けよ紅茶を」
クリキュラはそう言うと、己から生えた蛇の頭をテーブルに乗せ拳でぶっ叩く。
蛇は「ぐえぇっ」と奇妙な人語のような声でえづくと、その顎から体液でベトベトになった石の塊をテーブルの上に吐き出した。
それは石でできたティーカップだった。
さらに、クリキュラの機械仕掛けの眼帯がシャッター式にカシャっと開く。その奥にある青白く輝く瞳が石の塊を見つめると、それは一瞬で普通の陶器の入れ物に変わるのだった。
奇妙なことに、中には湯気を立てた紅茶が入っていた。
彼女の頭から伸びた蛇がティーカップのソーサーを咥えると、ズズズッとイザドラの前に差し出す。
「温度は83度、丁度美味しい加減だと思うが。いやこう話しているうちに、今82度に落ちた。冷めないうちに飲みな」
「お、美味しそうな紅茶だけど、いま喉がかわいてなくてさ……。遠慮しとくよ。お気づかいありがとう……」
イザドラはこわばった笑みを無理やり作りながらも、丁重に辞退した。
実際には先ほどまで馬で逃げ回っていたこともあり喉はカラカラだったのだが、蛇の口から出てきたうえに体液まみれだった紅茶を飲みたいと思えるわけがなかった。どういう神経をしていれば、そんなものを人に勧められるんだろうか。
しかしイザドラの固辞を聞いたマナレスは、あちゃーと言わんばかりにぴしゃりと額を叩くと手でおおっていた。
え!? なんか失敗したのか……!?
そう思うが早いか、部屋にガシャンという陶器の破砕音が響く。
クリキュラはティーカップの取っ手を蛇で咥えると、ソーサーに思いっきり叩きつけたのである。
ソーサーとティーカップが砕け中身がぶちまけられるが、さらに蛇乙女は割れたティーカップをガチャンガチャンと何度も叩きつける。
粉々になったティーカップの残骸がテーブル上にまき散らされると、彼女は最後に手で払うように蛇の首でおもいっきり払いのけて、その残骸を壁に投げつけた。
狭い部屋が重たい沈黙に包まれる。
イザドラが恐る恐る口を開く。
「ま、まさかこんなんで怒ってんの……?」
「怒ってねーよ、不味そうな紅茶を出して悪かったね」
クリキュラはぶっきらぼうに吐き捨てる。
――明らかに怒っていらっしゃる。まさか気づかいの社交辞令さえ「嘘」と捉えられるとは……。これ怒らせないように話を進めるの、滅茶苦茶困難じゃねぇか……と、イザドラはめまいがしてくるのだった。