第4話 教会前での争い
広場から人々の争うような喧騒が聞こえてくる。その中に、少女の悲鳴が混ざっている気がした――
「何人だ?」
アルセストの瞳からは、先ほどまでのふざけた雰囲気は消え去り、一瞬で真剣な戦士の眼に変わる。
マナレスはそれを見逃さなかったが、すぐには答えず、逆に意地悪くおどけたようにアルセストに尋ねる。
「それを聞いてどうする? また情にかられて厄介事に首つっこんで、自分じゃどうすることもできずに、結局いつも通り僕たちに助けてもらうのかい? クリキュラも今度ばかりは黙ってないだろうね」
マナレスは自分から広場の話をふったくせに、三人目の反英雄の名前をあげて、アルセストにクギをさした。
僕らは誰彼かまわず助けて回るような、殊勝な心掛けの英雄じゃないのだ――と言わんばかりに。
しかしアルセストは、知ったことじゃないと言いたげにマナレスを睨みつけると、無言であごをしゃくって回答をうながす。
そんなアルセストの反応を見ながら、マナレスは楽し気に目を細めながら答えた。
「よく訓練された軍馬の蹄の音が七騎あった。この街の者じゃないね。それに追われていたのは、足取りの軽さからみて年端もいかない少女だろう。彼女からは剣架の音もしなかったから、まともな武器も持ってない少女を、騎士たちが取り囲んでるってところかな」
とんでもない地獄耳である。
その言葉を聞くが早いか、アルセストは椅子にかけてあった真紅のマントを手に取ると駆けだしていた。
マナレスはその妄想戦士の後ろ姿を眺める。
アルセストは狂ってはいるが、その瞳の奥には何物にも代えがたい英雄の素質が宿っている気がする。こいつに着いていくのも悪くはない――
そんなことを考えながら、マナレスもやれやれといった調子でアルセストに続くのだった。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
広場中央の教会の前では、残虐な私刑が始まろうとしていた。イザドラの腕を切り落とそうと騎士隊長は剣をかかげる。それはまるで神にささげる生け贄のようでもあった――
「や、やれるもんならやってみろよっ!」
そう虚勢を張ってはみたものの、イザドラの胸の中には恐怖と絶望が這いずり回っていた。
許しを請うたところで、彼らが許すことはありえないだろう。逆に彼女が泣き叫べば、より騎士たちの嗜虐性を満足させるだけに違いないのだ。
なのにイザドラは、手足が痙攣するように震えるのを抑えることさえできなかった。
しかし一連の騒動を遠巻きに見ていた住人たちから、悲鳴と、そこまでやらなくてもいいではないかと非難の声が上がる。
その声を聞きつけた隊長が叫んだ。
「この娘は人間にあらず。見よ、この忌まわしき姿を!」
「やめろよっ! くそっ、触るなよ! この変態野郎!」
騎士たちが抗う少女のコートを無理やりはぎ取ると、その下には見るも無残な姿が現れた。
彼女の美しい乳白色の肌は、二の腕のあたりから背中にかけて、まるで竜のような暗緑色の鱗に覆われていたのである。
それは竜化症と呼ばれる、忌み嫌われる病魔であった。
その鎧のように固い鱗が、先ほど彼女に射られた矢さえも弾き返したのだ。
イザドラはすがるような眼で人々を見回すが、住民たちはみな目をそらした。その様子を見た騎士隊長が、満足げな表情を浮かべて声を張り上げる。
「この娘は人間崩れでありながら、我ら竜殺騎士団に歯向かう謀反人である! 貴様らの中に異議のある者は堂々と名乗り出よ。ただしこの娘と同罪として、神の名のもとに切り捨てる!」
名乗り出る者はいなかった。
自ら命を賭して見知らぬ少女を救おうとする者など、いようはずがない。
ましてや竜化症は、伝染するという噂のある差別の対象だったのだ。それどころか呪われた者として、異端審問にかけられ処刑されることも少なくなかった。
誰もが顔をそらし、見て見ぬ振りをした。
イザドラは嗚咽を上げて、がくりとうなだれる。
初めからわかってたはずじゃないか。呪われた私を助けてくれる人なんかいないって……。
今までどんな差別や凌辱を受けてきたか、石を投げつけられ、あの冷たい目を浴びせかけられてきたか、忘れたことなどなかったというのに、なぜすがってしまったのか――と。
しかし――
先ほどイザドラとぶつかりそうになった赤子を抱いた母親が、心配そうに、祈るように訴えたのだ。
「誰か……誰か彼女を助けてあげて。彼女は悪い人じゃないわ」
その声は小さかったが、騎士隊長は聞き逃さなかった。
普段なら気にも留めないところだろうが、イザドラに面目を潰されて高ぶっていた隊長は、赤子を抱く母親の前につかつかと歩み寄ると剣を振り上げた。
「貴様か!? 我ら『剣の騎士』に歯向かうとは褒めてやるぞ。だがその愚かさを地獄で後悔するがいい!」
「やめろよっ!」
剣を振り下ろそうとしていた騎士隊長に向かって、イザドラが声を振り絞る。
自分にも助けてくれようとする人がいたことに、彼女は奮い立つことができたのだ。身体の震えはまだおさまっていないけれど、今ではその眼には覚悟が浮かんでいた。
「あんたらの目的は私だけだろ。無関係の人まで巻き込むんじゃねーよ! 斬りたきゃ私を斬ればいいだろ」
騎士隊長はふんっと鼻を鳴らし、ほかに逆らう者がいないことを見届けると、少女の腕を切り落とすべく高々と剣を振り上げた。
イザドラは最後に神に叫んだ。
奇跡を願ったとしても、そんなものを神が聞き届けるはずがない。奇跡を祈るなと偉そうに人はいう。だけど本当に追い込まれ絶望の淵に瀕したとき、人は震えるように神に祈るしかないのだ。
「わたしはこの醜い姿のせいで差別されてきた、虐げられてきたさ。ときには奴隷のように扱われてきたよ。だけれどそれでも、魂までお前らなんかに屈するかよ。今回は負けたとしても、いつか必ずお前らをしりぞけてやる。
神様だってお前らの悪行を見てるんだ。わたしの願いはいつか届くさ!」
「小娘が減らず口を叩くな! 神が貴様のような人間足らずを救うものか!」
隊長はぴしゃりと吐き捨てると、少女の腕に剣を振り下ろした。
あたりにグシャリという濁った金属音が響く。だがそれは、イザドラの腕が切り落とされた音ではない。
遥か頭上から落ちてきた物体が、騎士の剣を吹きとばしながら地面に突き刺さったのだ。
それは乙女のレリーフが描かれた盾だった。
「神が救わないからこそ、俺たち反英雄がいるんだよ!」
頭上から降り注ぐその声と共に、教会の鐘の音が街に響く。
人々が盾の飛んできた方向、教会の尖塔を見上げると、そこには揺れる鐘を背景にアルセストとマナレスが勇ましく立っていた。