第3話 反英雄のアルセストとマナレス
イザドラと騎士たちの逃亡劇が広場で行われている、一方そのころ。
混沌街は犯罪と貧困にあふれた街である。それでも普通の街と同じように、広場には石造りの豪奢な建物がそびえている。
昨日までの雨が嘘のように好天に恵まれ、春の日差しのもと、露天商がずらりと並ぶ。市場は人々で賑わい活気にあふれている。
その広場から少し離れた大通りに、大盛況の酒場があった。ここのエールは絶品と謳われており、そのおかげで真昼間だというのにテーブルは客で埋め尽くされている。
美味い酒と湯気の立つ熱々の料理が、余計に客たちの会話を盛り上げているようだった。
そんな酒場のテラスの一角に、店の賑やかな雰囲気に似つかわしくない、異様な二人の若者がいた。
アルセストとマナレスという名の二人の青年。彼らこそ、イザドラの探し求める『反英雄』と呼ばれる者たちであった――
アルセストは荒々しく逆立った黒髪に、精悍な顔つきをした若者である。服の上からでも鍛え上げられた筋肉の隆起がわかる。腰には飾り気のない剣をさげており、見るからに戦士といった風貌だ。
ところがそんな武骨な雰囲気に似合わず、左腕には美しい乙女が描かれた丸い盾をたずさえている。その精緻に彫り込まれた乙女のレリーフは、今にも動き出しそうなほど生気にあふれている。
不思議なことにアルセストは、まるで恋人にでもするかのように、その盾の乙女を抱きしめうっとりと眺めていた。
一方のマナレスはオールバックにした長い金髪に緑眼、耳の長いエルフである。
エルフといえば本来は高貴で気位の高い妖精族のはずだが、この男は鼻や耳にじゃらじゃらとピアスをしており、おまけに上半身裸の上に直に黒革のブルゾンを羽織っている。見た目は高貴どころか、いかがわしい盗賊にしか見えない。
しかしなにより目立つのは、額にぽっかり空いた鍵穴のような穴である。まるで脳みそが空っぽみたいにその穴は深かった。
酒場のテラスから、大通りを眺めながらアルセストが話しだす。
「平和な日々もいいもんだねぇ、プリウェンちゃん」
彼は傍らのその盾を、優しく撫でながら語りかける。もちろん返事などあるはずもないのだが……。
「そろそろ喉が渇いただろう? マスター、エール酒を頼む」
ほどなくしてジョッキが届く。この酒場のエールは一級品だ。彼らもそののど越しの美味さにやられて、ちょくちょく通ってきていたのである。
ところが、アルセストはジョッキを受け取ると、自分で飲まずに盾にポタポタとたらし始めた。
「ほら、美味しいかい? プリウェンちゃん」
この男、正気では無かった。
その昔、恋人プリウェンが目の前で竜に食われたショックで狂ってしまったのだ。以来その現実から目を背けるように、『魔法の盾の中に彼女が生きている』という妄想にかられてしまっていた。
亡くした恋人への哀愁漂うヒーローといえばたいていカッコいいはずなのだが……、アルセストの場合は悲しいことに、ただの妄想野郎だった。
彼は恋人にエールを飲ませてあげているつもりだったが、もちろん盾が酒を飲むわけもない。
注がれた液体はボタボタと床にまでしたたり落ちているが、アルセストは気にかける素振りもなく、むしろ愛する人との甘いひと時を楽しんでいるように見えた。
そんなアルセストの姿を黙って眺めていたマナレスだったが、さすがにいたたまれなくなり口を挟んだ。
「前々から言いたかったんだけどさ、そろそろ妄想から卒業して現実を見ろよ……」
けれどそんなマナレスの忠告に耳を貸すこともなく、逆にアルセストは鬱陶しそうに反論しだした。
「俺のは妄想じゃないから。プリウェンちゃんは盾の中に封印されてるだけだから」
「……まったく、いいかげんに目を覚ませよ」
やっぱりこいつには何を言っても無駄だ……そう確信したマナレスは、あきれて大きなため息を吐いた。
その様子をみるとアルセストはムキになって言い返す。
「それなら言わせてもらうが、お前の方こそ妄想じゃないか」
「言いがかりはやめてくれよ。僕はいたってまともさ」
そう肩をすくめるマナレスに対し、アルセストは目の前の男のエルフ特有の長い耳をつまみ上げて尋ねた。
「じぁあ聞くが、お前はエルフに間違いないんだな!?」
「おいおい、僕がエルフに見えるなんてキミの目は節穴かい?」
どっからどう見てもエルフにしか見えないマナレスであるが、彼は驚いたようにかぶりを振ると突拍子もない返答をしだしたのである。
「いやいや、僕こそ本当にドラゴンだからね。この姿は呪いでエルフに変えられてるだけだから」
この男も狂っていた――
どうやら自分のことをドラゴンだと信じ込んでいるようだ。
アルセストとマナレスは普段からお互いのことを妄想野郎だと罵り合っていたが、はたから見ればどちらも似たようなものだった。
アルセストはバカにした口調で、さらに煽り立てる。
「そうかそうか、ドラゴンか。だったら変身解いて空でも羽ばたいてみせろよ」
「だからいま呪いのせいで、ドラゴンに戻れないんだって言ってるだろ。僕の呪いが解けたら、キミなんか竜の炎のひと吹きでイチコロなんだから。妄想野郎は死んだ盾でも抱きしめてりゃいいんだよ」
その台詞を聞くと、アルセストは先ほどまでとはうって変わり、打ちひしがれたように、
「死んでないって……。俺の彼女は生きてるんだ」
そう呟いて、傍らの盾を愛おしくなで始める。盾の乙女を見つめるその瞳は、悲哀に満ちていた。
もしかしてこいつ、本当は気が付いているんじゃないのか……?
思わず口が滑って言い過ぎてしまった。マナレスがそのことを後悔して謝ろうとした時だった。
「俺の彼女は……プリウェンは生きているんだ! それをただの妄想だと言うのなら、お前と言えど許すわけにはいかない――」
アルセストはゆっくりと腰の剣に手をかけると、殺気立った眼でマナレスを睨みつけた。冗談じみた雰囲気は一切なく、むしろ瞳の奥には狂気が混じっているようにさえ見える。
マナレスはうっかり忘れていた。アルセストがことプリウェンに関しては、簡単に激昂してしまうイカレ野郎だということを――
この妄想戦士はいたって本気だ、ヘタな返答をすれば平気で剣を抜き放つだろう。
ところがそんな緊迫した状況にもかかわらず、マナレスの中にイタズラ心が芽生えた。
「へぇ、どう許さないって言うんだい? まさかドラゴンであるこの僕を倒すっていうのかい、恋人も守れなかったナマクラ刀で?」
マナレスの方も腰の短剣に手をかける。
鞘から少しだけのぞかせた刃は奇妙な形に欠けまくっており、刃物として役立たずのように見えた。しかしよく見れば、その刀身からは魔力のオーラが立ち上っている。ただの短剣でないことは明らかだ。
マナレスの口元からは笑みがこぼれているものの、こちらもアルセストと同じく、眼はひと欠片も笑ってはいなかった。受けて立つと言わんばかりだ。
「俺はドラゴンスレイヤーだ。この世のドラゴンを一匹残らずぶっ殺すのが俺の超目標なんだ。やはりお前のような腐れドラゴンは、さっさと斬り捨てておくべきだった」
そう言うとアルセストも剣の鯉口を切る。
陽気な喧騒に満ちた店内とは異なり、アルセストとマナレスの座るテーブルだけが、張りつめた空気に覆われていた。
「ドラゴンスレイヤーだって? 一度もドラゴンを倒したことのないキミが?」
そのマナレスの煽り文句を皮切りに、彼らは互いに刃を抜く。
アルセストがすさまじい早業で抜刀一閃、薪でも割るかのように剣を振り下ろすと、目の前のテーブルが轟音と共に真っ二つに裂ける。その剣先はまるで羊皮紙でも切り裂くように、テーブルごと床板までぶち破っていた。
跳ね上がったジョッキが酒をまき散らしてカラカラと転がる――はずだったのだが、マナレスも素早く短剣を抜くと、倒れるジョッキの取っ手に刃を引っ掛ける。そのままクルクルと回転させて、こぼれ出そうになる液体を一滴残らずすくい取った。
「おいおい、もったいないことするなよ。せっかくの絶品エールが無駄になるところだったじゃないか」
泡立つジョッキを片手に、マナレスがにこやかにほほ笑む。
その騒動に、先ほどまで騒いでいた客たちが一瞬で静まりかえり、店内は静かな緊張感に包まれた。酒場の主人もこわ張った表情を向けているが、とても口を差し挟める雰囲気ではない。
そんな緊迫した空気を気にもとめず、マナレスはエールを口元に運ぼうとしたのだが、突然木製のジョッキの底が抜け落ちた。実は先ほどの抜刀の際、アルセストは目にも留まらぬ速さでジョッキの底も斬り付けていたのだ。
だが不思議なことに、底の抜けたジョッキから酒がぶちまけられることは無かった。
マナレスはジョッキに留まったままの液体を美味そうに飲み干すと、例の短剣のギザギザの刃に空のジョッキを引っ掛けて投げ上げる。天井にぶつかったジョッキは、まるで始めからそこに飾ってあったかのように、張り付いて落ちてこなかった。どうやら全て魔法の短剣の力によるもののようだ。
それを見ていたアルセストが苦々しげに笑う。
「次は外さない、お前の首が真っ二つになる番だ。まさか切り落とされた首まで『張り付ける』つもりじゃないだろうな」
「さぁ、どうだろうね。試してみるかい?」
どこか楽しげなマナレスにつられて、何故だかアルセストも笑い出していた。
そんな二人の掛け合いが、ひとしきり繰り広げられたあとである。ふとマナレスは長い耳をさらに広げて聞き耳を立てる。
「それより、何か広場で喧騒がする。もめ事が起こってるみたいだね……」
もめ事なら今ここで起こっているではないか。また話をそらそうとしやがって、と思うアルセストだったが、彼も争いあうような音を察して広場を見やるのだった。