第24話 クリキュラ対ギリエルモ
人捨て山の麓には、竜が封印されているという巨大な奈落の穴があった。その穴がまるで黒い瞳のように見下ろす広場で、今まさに戦いが始まろうとしていたのだ。
竜殺騎士団団長ギリエルモと蛇乙女クリキュラ――魔剣を手にする二人が対峙する。
ギリエルモは剣を正眼に構え、正中を崩さぬ。長い年月、剣の道に生きた騎士道然とした立ち姿だった。
一方のクリキュラは構えるどころか、蛇で咥えた剣をダラリと下げたままだ。それどころかクリキュラ本人は、ダルそうに右手にあごを乗せ腕組みしている。
ギリエルモが苦々しげに睨みつける。
「ずいぶんと余裕の構えじゃないか」
「お前さん程度の相手に、両腕使う必要もないだろうさ」
「これはまた舐められたもんだな。後悔させてやろう」
だが油断することはできない。この蛇女の人間とは違う太刀筋は、簡単に予測できるものではないからだ。
夜の広場に風が起こるとかがり火を揺らし、それに合わせて二人の影もゆらめく。
先に仕掛けたのはクリキュラだった。彼女は蛇をしならせると、ギリエルモの喉笛を狙い、鋭い突きを見舞う。
ギリエルモは間一髪でその突きをはじいた。だがクリキュラは休む暇さえ与えず、次々と斬撃を繰り出す。刃と刃がぶつかり合う、けたたましい金属音が鳴り響く。
膂力で言えばアルセストの方が上だろう。しかし蛇の長いリーチと、それを生かした遠心力を使った大振りの斬撃がギリエルモをどんどん追い込んでいく。
鞭のようにしなりを上げる蛇の軌跡と、人間では有り得ない角度からの攻撃に、騎士団長は手も足も出ず、防ぐだけで手いっぱいの状態だった。
「オラオラ、避けてるだけじゃ勝てんぞ!」
クリキュラが笑いながら煽る。ギリエルモがアルセストを追い込んだ先ほどとは、立場が逆転していた。
ギリエルモは大地を揺るがすような咆哮を放つ。マナレスを倒れさせたあの竜のような咆哮を。だがクリキュラにはまるで効かずビクともしない。
もはや打つ手はない。ならば魔剣の力を借りて呪われた力を発揮するしかないのだ。
ギリエルモは半分火傷に覆われた顔に苦渋の色を浮かべると、魔剣を握りしめる。蛇乙女の連撃をかいくぐると、翼でも生えているかのように人間離れした高さまで跳躍する。
「ギリエルモの野郎、浮かんでるぞ!」
アルセストが驚く間もなく、ギリエルモは滑空するように蛇乙女に突撃する。その勢いのままクリキュラに一撃を振り下ろすと、彼女はふっとび地面に叩きつけられた。
「クリキュラ、大丈夫か!?」
「大丈夫さね……だが、奇妙だねぇ」
クリキュラはブリッジするように飛び起きると、いぶかしげにギリエルモを見つめる。
魔剣には空に浮かぶ力などないはずだ。おまけにギリエルモの手首の傷も、ワイヤーロープでできた足の傷も、いつの間にか治りかけているではないか。
この男にはまだ隠している力がある……。その謎を解明しないことには、決して叩き伏せることはできない。
クリキュラは咥えた剣を露を払うように左右に振るうと、変則的な脇構えの姿勢をとる。咥えた剣を背中側に隠し、太刀筋を読ませない、どこから攻撃が飛んでくるかわからない一撃で片をつけるつもりだった。
クリキュラとギリエルモ、二人の間に緊張が走る。
刹那、クリキュラの頭から生えた黄金色の蛇から、稲妻のごとき斬撃が落雷のような音を立てて打ち下ろされる。
その切っ先は容赦なくギリエルモの右腕を切り落とすかにみえたのだが、激しい金属音と共に弾き返されるのだった。
けれどそれもクリキュラの予想通りだったようで、彼女は納得したように呟く。
「やはりな。……そういうことか」
斬撃は跳ね返されたものの、その刃はギリエルモの白い陣羽織を切り裂いていた。その下からは見るも無惨な、醜い姿が露わとなる。
彼の腕の肌は、暗緑色の鱗にびっしりと覆われていたのである。
「りゅ、竜化症だったのか――」
アルセストがその呪われた病魔を口にすると、ギリエルモは口の端を歪めながら、まるで絶叫するかのように笑いだした。
「笑いたければ笑え……これが英雄として戦い続けてきた男の末路さ」
だが誰も笑いはしなかった。笑えはしなかった。
この騎士がなぜ人間離れした跳躍で宙に浮かぶことができたのか、竜の咆哮を吐けたのか、自らの傷を癒せたのか。それらはみな竜をあやつる魔剣の力だったのだ。彼はその魔剣で、自らを操り支配していたのだ――
自らの呪われた因子を戦いのために使って。
いつの間にか、マナレスも傷ついた腕を抱えて立ち上がっていた。イザドラも起き上がり、悲しみの表情を浮かべてギリエルモを見つめている。
「お前たちは見たことがあるか、そのイザドラの呪われた身体を。人々に忌み嫌われる鱗で覆われた醜い姿を……。
だが俺はその小娘よりも病魔が進行していたのさ。竜と戦ううちに俺は人間じゃなくなっていた、化け物の血を引く人間崩れになっていたんだよ!」
ギリエルモの自嘲は、いつの間にかむせび泣くような声に変わっていた。その姿を見るイザドラの眼にもまた、涙の粒が浮かんでいる。
この少女だけは、もしかしたら気がついていたのかもしれない。ギリエルモがアルセストとの戦いの中でイザドラを罵った時も、彼女は憤るでもなく、ただ悲しみに満ちた瞳でギリエルモを見つめていたのだから。
「俺は、俺たち竜殺騎士団は竜を倒すために戦い続けた。人々を守るために、誇りのために、仲間や親友を失っても一度も逃げずに戦い続けたんだ。それを正義と信じて。
だが、ひとたびこの病魔に侵され呪われた途端……。それまで俺を英雄と称賛していた奴らは、手のひらをかえすように俺のことをさげすみ始めたのさ。愛を誓い合った恋人も逃げるように去っていった。騎士としての昇進も絶たれ、竜だらけの激戦地に追いやられた。
俺はいったい何のために戦い続けたんだ!?」
ギリエルモの声は打ち震えている。それはもはや悲痛な叫び声だった。
「それでもまだ、守るべきものを信じていられるうちはマシだった。だが――
竜を殺しても殺しても、愚民共は守られ続けるだけ、自分達では何もしないくせに文句ばかりは一丁前。そのくせ一度でも竜殺しに失敗すれば、反英雄の烙印を押される……。あいつらは飼いならされた家畜の思想しか持たない豚なんだよ」
ギリエルモは思い返していた。竜を倒し親友の亡骸を抱えて街に戻ってきた彼に対し、住人たちは――
「お前たちが早く竜を倒さなかったから街に被害が出たんだ!」と罵声を浴びせてきたのだ。
まさしく命懸けで守った者たちに、彼は魂を裏切られた。
ギリエルモは目の前の反英雄たちに向かって嗚咽を漏らす。
「守るべきものに絶望しちまったら、いったい何を守ればいいって言うんだ!?
俺はいったい何を守ろうとしたんだよ、何のために戦い続けて、何を得たかったんだ……!?」
ギリエルモの脳裏には、消し炭のようにボロボロになって死んでいった戦友の姿が浮かんでいた。彼は死の間際こう言っていた。
「ギリエルモ、いっときのお別れだ。だがひとつ約束してくれないか。次に会う時まで、お前はずっと英雄でい続けてくれよ。お前ならできるはずさ」――と。
とんでもない……俺は戦う理由さえ失ってしまったんだ。友に対する慚愧の念が、余計に彼を責め立てるのだ。
だがクリキュラは、ギリエルモの独白に同情することもなく無情に吐き捨てた。
「知ったことかよ。お前さんの勝手な独白ですべてが許されるわけがないだろう。懺悔はあの世でするんだな」
そう言うと、アルセストの制止も聞かず、蛇に咥えた刀を撃ち下ろす。
ギリエルモはその攻撃をすんでのところで飛びすさると、火傷の顔を歪ませながら叫んだ。
「しょせん、貴様ら反英雄には……大切なものさえ守れずに逃げ出した貴様たちにはわかるまい。俺はそれでも負けるわけにはいかないのだ、見せてやろう、この魔剣の本当の力をな!」
ギリエルモは魔剣を両手で握ると、雄叫びを上げて地面に突き刺した。地の底から湧きあがるような激しい感情を爆発させながら。
もはや選択の余地はない、例えこの身を滅ぼそうとも、汚名をかぶろうとも、奴ら反英雄を退けるしかないのだ!
そんな茶番を阻止しようとクリキュラは剣を振り上げるが、突如地面が激しく揺れ始めて片膝をついてしまうのだった。
辺り一帯を揺るがすような地響きとともに、激震が地面を上下させる。
広場全体を見渡すような高台のその奥には、奈落のように大きな黒い口を開けた洞穴があった。その奈落の底から、明らかに巨大な獣とわかる咆哮が吹き上がり、広場全体に轟く。
「これは、竜の咆哮だ……!」
アルセストは聞き覚えのあるその恐怖のたけり声に、身体を震わせる。おぞましい戦慄が全身の皮膚を駆け巡るのを感じていた。
そして奈落の穴から、巨大な影が勢いよく飛び出した。上空に広げた十数メートルもある翼が月明りを隠し、クリキュラたちを黒い影で覆う。
鋼のような暗緑色の鱗で覆われた巨大な獣。
それはまぎれもない竜だった――




