第16話 アルセストの回想(3)
そして鋼鉄をも溶かす竜の炎が、アルセストにも襲いかかる。
彼はとっさに手にした盾を構える。紅蓮の炎はあたり一面を焦土と化していき、アルセストも炎の渦に巻かれてしまうが、乙女の描かれた魔法の盾はその猛火から彼を守り続けた。
プリウェンから彼女の意志と共に譲り受けたその聖乙女の盾は、この戦いでもアルセストに傷ひとつ与えることはなかった。だから彼ひとりだけが無傷ですんでいたのだ。
だがそんなアルセストの背中に、突然巨大な鉄の壁が打ちつけられたような衝撃が走った。
彼の死角から巨大な尾が振りかざされたのだ。アルセストは突然十メートルほど吹っ飛ばされると、転がるように城壁に激突してくずおれる。
まずい、立ち上がらなければやられる……。そう頭ではわかっていても身体がいうことをきかない。
だがそれは壁に打ちつけられたせいだけではなかった。彼は今の竜の一撃で悟ってしまったのだ。今の今まで、ずっと彼女が与えてくれた魔法の盾に守ってもらっていたということに。
どんな敵からのどんな攻撃も彼は避けきる自信があった。しかしそれは己の力を過信していただけだったのだ。
「アルセスト!」
「大丈夫だ」
プリウェンの悲鳴にも似た呼び声に、アルセストはカラ元気で答える。だが腕はガクガクと震え、全身を悪寒が覆っていた。尻尾の一撃を直接食らった右肩はピクリとも動かず、完全に砕かれ半分千切れかけている。
プリウェンを安心させようとした笑顔はこわばり引きつっており、泣き顔のようだ。
壁に激突したときにできた頭の傷から血が噴き出し、彼の右目を通りながら頬を伝わって落ちる。それはまるで血の涙のようだった。
こんなものに立ち向かおうと思ったのが間違いだったんだ。
再び竜は咆哮を上げるとアルセストに向かって大きな口をかっと開いて、喉をぐるぐると鳴らし始める。
次にあの炎に巻かれたら、今度こそ命はない。死にたくない、死にたくない――
盾を持つ手にはまるで力が入らず、だらりと垂れさがったままだ。戦意喪失どころではない、蛇に睨まれた蛙のように、もはや恐怖で立ち上がることさえできなくなっていた。
もう駄目だ、やられる――そう覚悟した時だった。
一本の槍がつんざくかのように竜に飛んでいき、竜の顎に突き刺さる。驚いたアルセストが槍の飛んだ方向を見やると、そこには壁に寄りかかりながら立ち上がったプリウェンの姿があった。
彼女は最後の力を振り絞り、竜からアルセストを守るために槍を放ったのだ。自分自身を囮にして。
竜は気を取られたのか、プリウェンの方に向き直ると、その開いた口から火炎を吐き出そうとする。だがプリウェンは辛そうに肩で息をしながらも、アルセストに最期の言葉を伝える。
「アルセスト、初めて会った時はあなたのこと嫌いだったわ。がさつで猪突猛進で、人の言うことを聞かずに、正しいと思うことに勝手に突っ込んでいって……。
だけどあなたはいつもみんなの心を動かしたのよ。決してあきらめないあなたの覚悟に。そして優しさに――その赤いマントも……」
プリウェンはなぜアルセストが真紅のマントを手放さないのか分かっていた。
彼女は自分の人間離れした赤い瞳を嫌っていたのだが、それを知ったアルセストは真紅のマントを身に着けるようになったのだ。
「赤い眼なんて気にすんな、俺のマントの方が目立つだろ」と言い放って。
そんなぶっきらぼうな彼の優しさに、彼女はずっと救われていたのだ。
「アルセスト、こんな戦いに巻き込んでしまってごめんなさい。ずっと言えなかったけれど……いつも守ってくれていたこと、本当に感謝しているわ」
アルセストは目を疑った。彼女が屈託のない笑顔を浮かべていたからだ。
「こんな時にバカなんじゃないのか、なんで、なんで笑ってられるんだよ!?」
いつも守ってくれていたのはプリウェンの方だった。自分になど譲らず無敵の盾を持ったままでいれば、彼女は傷つくことさえなかったかもしれないのに。
そして今もまた、彼女は身を挺して彼を救ってくれたのだ。
彼女を救わなければ……!
今彼女のもとに走り追いつけば、竜の吐く炎から救い出すことができる。いや、せめて救えなくとも彼女を守りながら一緒に朽ちてやれる。とにかく、ひとりにするわけにはいかないのだ。
そう分かっていたのにもかかわらず。
アルセストは絶叫にもにた雄叫びを上げ、力いっぱい走り出した。プリウェンとは逆の方向へ――
逃げ出した。力いっぱい逃げ出していた。
恐怖が身体を襲い、何も考えられなくなっていた。頭の中にあるのは、ただ「死にたくない、死にたくない」という思いだけだった。
一瞬だけ背後を振り向いたアルセストの眼には、去りゆく彼を見つめるプリウェンの笑顔だけが映った。
なぜ最期の時まで、笑っていられるんだよ――
鼻水と嗚咽をまき散らし彼は逃げた。竜の吐き出した炎が徐々に角度を変え、アルセストの背中に襲いかかろうとしていた――
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
アルセストは愛する者さえ守れずに、逃げ出した男である。以来、反英雄の烙印を押され、今に至る。
しかしそれは過去の話だ、自分はあのあと彼女を救い出したが、なぜか彼女は魔法の盾の中に封印されてしまったのじゃなかったっけ……。
アルセストは現実がわからなくなっていた。
夢うつつの中でうなされるのはいつものことだったはずだが、なぜだか今日は異常に背中が熱い。いや、夢の中なのに熱すぎる……。
アルセストがぼんやりと目を開けると、あたり一面が火の海と化していた。
「竜がまだいやがるのか!?」
寝ぼけ眼でそんなことを呟くが、さっきまで森に来ていたことを思い出し、とっさに飛び起きた。
「しまった、寝過ごした。なんで森が燃えてるんだよ!?」
アルセストは、決して手放すことのない聖乙女の盾を左腕に抱え、下生えの木々をジャンプで飛び越えて走り出す。
すぐにマナレスたちの姿が視界に入る。そこにはなぜか15人ほどの村人と、数騎の騎士がイザドラを取り押さえ、馬にかつぎあげて逃げ去ろうとしていた。
アルセストのこの位置からでは、騎士には追いつけないだろう。彼は叫んだ。
「マナレス、お前がいながら、なにイザドラを攫われてんだ!? 早く追え!」
だが、マナレスは逡巡していた。
イザドラを追いかければ、村人15人を助けることはできない。逆に今彼女を見捨てて森から脱出した後に追いかけても、取り返しのつかないことになっているかもしれない。
アルセストが起きて参戦してくれたことで状況は変わったが、それでもマナレスには不安要素があったのだ。
「炎の中で、任せて大丈夫なのか?」
竜の炎で焼かれた苦痛と、愛するものを失った悲痛――アルセストにとって炎はそのトラウマを呼び起こす最大の弱点ではないのか? なにしろ未だに現実からも逃避している男なのだ。
アルセストの過去を知るマナレスは、少し心配そうな表情を浮かべて、走ってくる妄想戦士を見つめる。
アルセストは一瞬だけ手に持つ盾を見やる。その脳裏には竜の炎に巻かれながら微笑んでいたプリウェンが浮かぶ。
あの時なぜ彼女が笑っていたのか、その答えを知りたかった……。そのためには挑み続けるしかないのだ。
不安げな表情を向けるマナレスに対し、アルセストは手で払うようなしぐさをすると、
「任せておけ。俺は守るのが専門だ。それにドラゴンスレイヤーが火を怖がってどうするよ。竜の炎の中だって笑って守り続けてやるよ」
そう言って決意の笑顔を向けた。
「まだ一匹もドラゴン倒したことないくせによく言うよ」
アルセストは未だに戦い続けている――ならば信じて任せよう。マナレスはニヤリと笑い返すとアルセストに背を向けて、イザドラを連れ去る騎士たちを追って矢のように駆け出すのだった。




