三人娘と化粧
ジャスミン達が、ファジョーロ村の村長から、湖賊退治の依頼を受けてから、2日後の夜更け――。
漆黒の夜空に、紅き月は新月で姿が見えず、蒼き月も肉の薄い三日月。月の光は殆ど地表を照らす事は無い、ここ数ヶ月でもっとも昏い夜となっていた。
分厚いビロードのカーテンに覆われたかのような濃密な闇の中、ナバアル湖は、星空を映し出すほどに穏やかな湖面を湛えていた。
――と、その静寂を引き裂くように、湖面をオールで交互に叩く音が聴こえてきた。湖の中央から、赤く燃える松明の光が、漆黒の闇を駆逐するように煌々と辺りを照らしながら、どんどん湖岸へと近づいてくる。
やがて、耳障りな音を立てながら、船首に松明を焚いた一艘の舟が湖岸に乗り上げた。
「おしゃあ! 着いたぜ! 野郎ども、さっさとブツを積み込めい!」
下卑た声を上げながら、舟から数人の髭面の男どもが飛び降り、湖面をバシャバシャ音を立てて乱しながら、次々と上陸してくる。
彼らの向かう先は、入り口を二柱の篝火によって照らされた、一棟の小屋だった。
男達は、入り口に取りつくと、その引き戸を勢いよく開け放った。
「ちっ! まーた、貢ぎ物の量が少なくなってやがる……」
「……しかも、殆どがサチモ豆じゃねえかよ……。あの村、一回派手に燃やしてやった方がいいんじゃねえか?」
湖賊達は、小屋の中に堆く積み上げられた麻袋の山を見るや、舌を打って悪態を吐く。
と、遅れて屋内に入ってきた恰幅の良い男が、他の湖賊どもを怒鳴りつけた。
「――んなモンは後回しだ! 今日のメインは、他のモンだ! さっさと引きずり出せ!」
「へ――ヘイッ! 分かりやした、アニキ!」
怒号に首を竦めて、部下の湖賊達は松明を掲げ、部屋の中を物色する。
「――アニキ! いましたぜ! ……三人います!」
麻袋の裏に回った湖賊のひとりが叫んだ。
「おう! そんなところに隠れてやがったのか……どうせ無駄だってのによぉ」
アニキは、ニヤリと下品な笑いを浮かべると、舌なめずりしながら声の方へと向かう。
「おうおう、そんな所にいつまでも隠れてねえで、さっさと出てきな。――今更逃げ回っても、もう遅え――」
そう言いながら、顔を覗かせたアニキは、途中で声を詰まらせる。
「――ほほう……コイツは……大したモンだ――」
思わず感嘆の声が漏れた。
彼の目の前で、三人の若い女が肩を寄せ合い、お互いの手をギュッと握って震えていた。
「……えらいべっぴんさんだなぁ……」
アニキの前で松明を翳した湖賊が、思わず溜息を吐く。
彼らの前の娘達は――今まで彼らが見たどんな女よりも――美しかった。
真ん中で、黒曜石を思わせる漆黒の瞳で湖賊達を睨みつける、茶褐色の長髪を後ろで束ねた気の強そうな女は、口紅を引いた口元と切れ長の瞳が、ゾッとするほど妖艶だ。
彼女の右肩の後ろに隠れて不安そうな顔をしている娘も、大層美しい。小ぶりな鼻の周りに薄いそばかすが浮いているが、寧ろそれが彼女の美しさをより際立てるアクセントとなっている。
はしばみ色の瞳を潤ませて怯える様子が、男達の心をうずうずと刺激する。
そして、左で、恐怖でブルブルと震える少女――。着ている粗末なワンピース姿が、逆の意味で全く似合わない、実に可憐で儚げな顔立ちをしている。大きな濃紺の瞳は、夜の湖面のようにキラキラと輝き、スラリと伸びた鼻梁と形のいい唇、仄かに赤い頬――彼女が王宮絵師の手がけた壁画から抜け出てきた妖精だと言われても、容易に信じられる。
「……おい、本当にお前達が、あの村長の娘達――か?」
アニキは、驚きのあまり、舌を縺れさせながら、オズオズと訊いた。
「は――はい。左様でございます……」
真ん中の女が、か細い声で答え、小さく頷いた。
アニキと湖賊達は、思わず顔を見合わせる。
「……でもよ、あの寂れた村にこんな別嬪が居るって……聞いた事あるか?」
「三人の娘がいる話は知ってるが……美人だとは……いや、寧ろ――」
「平均ギリギリの娘だという噂は聞いてるが……」
「おかしくねえか? 俺はチラッと見た事あるけどよ……こんな美人じゃなか――」
「な――何言ってんのよ!」
チラチラと娘達の顔を見ながら疑いを強めつつある湖賊達に、はしばみ色の瞳の娘が、彼らの声を遮るように大声を上げた。
「私達は、どこからどう見ても、村長自慢の三人娘よ! アンタ達の目は節穴かしら?」
「い……いや、前に見かけた時とは全然――」
「そ――そりゃ当然でしょ? お化粧すれば、女の子は誰でもこのくらいは見た目が変わるのよ!」
「――け、化粧ってレベル――なのか、それ? もう、全然違うんだけどよ……! まるで別じ――」
「おほほほ、女の化粧力をナメないで頂きたいですわ」
尚も疑う湖賊の言葉を遮って、一番年長と思しき、黒い瞳の女が高い声で笑い飛ばした。――その顔には、うっすら冷や汗が浮かんでいる。
「ま――マジかよ? い――いや、いくら何でも無理あるだろ! こんな美人がいたら、村中どころか、国単位で話題にならなきゃおかしいだ――」
「ほ――本当にぼ……私達は、村長の娘なんです! 貴方達の言いつけに従って、差し出された……」
末の少女が、疑いを強める湖賊達に向かって、必死に訴えかけ、顔を覆って泣き崩れた。
湖賊達は、困惑した顔を見合わせる。
「……この娘が言うなら、そうなのかもな……」
「つかよ、攫う娘が、思ってたより上玉だからって、オレたちに不都合な事って無くね?」
「確かに――。寧ろ、得でしかないな……」
「あれ……? そもそも、何でオレたちはこんなに揉めてるんだっけ……?」
「そりゃ、コイツらが思ってたより器量よしだったから――って、アレ?」
「だ――っ! もういいっ!」
首を傾げる湖賊達を一喝したのは、アニキだった。
「ボヤボヤしてるヒマもねえ! サッサと荷物を積み込んでトンズラするぞ! コイツらも連れてけ!」
「あ――へ、ヘイッ!」
アニキの声に、弾かれたように仕事に戻る湖賊達。ある者は麻袋を担ぎ上げ、ある者は豆酒の入った樽を転がして運び出し始めた。
「……だーから、もっと落ち着いたメイクにしろって言ったんだよ……アザリー」
湖賊達の注意が逸れたのを見て、黒い瞳の女は、背中の後ろの娘に文句を言う。
「――いいじゃん、結果的に上手くいったんだから……。というかね、貴方達の顔が素で華やかすぎるの! ……これでも目一杯地味メイクにしたのよ……」
娘は、不満そうに口を尖らせる。
「……まあまあ、こんな所で言い争いしないで下さいよぉ。作戦が台無しになっちゃいますよ……!」
末の少女が、小声で嗜める。
「もう……僕は、演技でなく泣きたいんですからね……何で、よりによってワンピースなん……」
「んん? 何か言ったか、てめえら?」
その時、背中を向けていたアニキが、ひそひそ話を聞き咎めて振り返る。
「あー……これからどうなってしまうんでしょう~……私達」
「――怖いわ……助けて、お姉様っ!」
「――え、と……ふ、ふええええ~ん!」
慌てて表情を取り繕い、怯えた演技を再開する三人であった――。