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道化と死神

 生きるもの全てを拒絶せんとしている様に、常に硫黄の臭いが立ち込める――ダリア山。

 地形の影響により、山の上空は常にどす黒く分厚い雲に覆われ、滅多に晴れる事が無い。その為、太陽光の恩恵を殆ど受ける事が出来ず、その上、山のあちこちから有毒な硫黄ガスが吹き出ている為、動物はおろか植物でさえ、この地で生態系を構築する事は困難だ。

 その、草木も疎らな山肌の様子から、太古の昔より『死の山』『地獄への入り口』『冥界の神(ダレム)の御座所』と呼ばれ怖れられてきたが、数ヶ月前、ワイマーレ騎士団が壊滅した件によって、また一つ――その二つ名に具体的な実績が付け加えられたのだった。


 ――そんな死の象徴のような僻地の中腹に忽然と聳え建つ、四方を石造りの高い壁で囲まれた堅牢な人工建造物が、ダリア傭兵団の本拠地である。

 壁内の建物群の中で、最大の大きさを誇る主殿。その最奥部の大広間は、昼なお暗い。

 その大きさに比べて、設置された照明が極端に少ない為だ。

 篝火やランタンはおろか、蝋燭すら無い。辛うじて、夜光虫を封じ込めたガラスの管を要所に配置して照明としていたが、その青白い光だけでは、大広間全体を照らすにはとても足りない。

 その暗い大広間の(きざはし)の上に、ポツンと置かれた豪奢な玉座。そこに、ひとりの男が座っていた。

 分厚い上衣から下穿き、そしてブーツに至るまで、純白一色に統一された装いも異様なら、まるで着るものに合わせたかのように、白く厚く塗りたくられた顔面もまた異様――。

 まるで道化の如き異装にして異相なその男――ダリア傭兵団団長シュダは、微睡(まどろ)んでいるかのように、軽く目を瞑って玉座に深く腰掛けていた。

 ――と、


「――おかえり。ゼラ」


 瞑っていた目を半分開き、独り言を呟くかのように、背後の闇に向かって声をかけた。


「……」


 闇の中で、夜光虫の青白い光に照らされた銀の髪が、キラキラと音を立てるように煌めく。

 シュダは振り返ると、銀の髪を持つ美貌の死神に問いかけた。


「……私へのお土産は持っていないようだが、どうしたのかい?」

「――すまない。取り逃がした」


 ゼラは、無表情でそれだけ言った。

 シュダは、その言葉を聞くと微笑んだ。柔和な、それでいて酷薄な――極北の海のような冷たい微笑だった。


「おやおや。“(しろがね)の死神”ともあろう者が、情けない失態だね」

「……妙な男の邪魔が入った。その男と戦っている間に、果無の樹海の中に飛び込まれてしまった。――『迂闊だ』という(そし)りは、甘んじて受けよう」

「……随分嬉しそうだね。そんな弾んだ声で話す君は、初めてだよ」

「……嬉しそう? ――私が?」


 ゼラは、シュダからの意外な指摘に、僅かに目を丸くする。

 シュダは、そんな彼女の様子を見て、クックッと笑い声を上げる。


「どうした? まるで、未通女(おぼこ)のような初々しい反応じゃないか? 本当にいつもの君らしくないよ。……そんなにいい男だったのかい?」

「……」


 ゼラは、シュダの軽口に対して、何も言わずに彼を睨みつけた。


「おお怖い。……ククク……冗談だよ」


 そんな彼女に対して、大袈裟に肩を竦めるシュダ。


「――まあいいさ。果無の樹海に飛び込んだのなら、チャー君はもう死んだも同義だろう。何せ、あの魔境から生きて出てこれた人間は、古の冒険者コドンテのみだという話だからね……」


 ――さすがのシュダも、つい数ヶ月前に、コドンテ以来の樹海踏破を成し遂げた色事師と神官がいた事など、知る由は無かった。


「クレオーメ公国には、『(つつが)なく処理した』と伝えておくとしよう――最後に、あの醜い顔を思い切り踏みつけてやりたかったがね……」


 そう呟くように言うと、シュダはその白塗りの顔を僅かに歪めた。

 そして、気を取り直す様に表情を緩め、ゼラに向かって口を開く。


「……ああ、そうそう。そういえば、君はサンクトルへは立ち寄ったのかい?」

「いや。――何故だ?」

「うん? ちょっと気になっただけだよ。――私の大事な()()()()の事がね」

「……あの赤毛の娘か」

「ああ」


 シュダは、ゼラの言葉に頷く。


「サンクトルに潜伏してから、彼女から度々密書で報告を受けていたのだが、チャー一派の壊滅以来、報告がパタリと途絶えてしまっていてね……」

「――大方、王国側に我々の手の者という事がバレて、拘束されているとかではないか?」

「さすがに、そこまで迂闊ではないと思いたいがね」


 ゼラの推測に、苦笑して首を横に振る。

 ならば、と、ゼラはもう一つの推測を言葉にする。


「――或いは、あの娘が、お前のかけた記憶の呪縛を解いて、()()に辿り着いた……か」

「それは、もっと無いだろう……とは言えないかもね……()()()


 彼女の言葉に嘲笑(わら)いかけて、シュダはその表情を消す。

 ゼラは、彼の言葉に引っかかりを感じた。


「……『半分は』とは、どういう意味だ?」

「文字通りの意味だよ」


 シュダは、事も無げに言い放つ。


「彼女――アザレアには、二種類の記憶操作を施している」


 彼は、指を2本立て、先ず中指を折る。


「一つは、『自分の姉を殺したのは、チャーこと、アケマヤフィト元総督グリティヌス公である』という催眠暗示。――もっとも、これは施した時間の関係もあって、掛かりが浅い。しかも、客観的事実との決定的な矛盾も発生する内容なので、こちらに関しては、彼女自身の気付きによって――或いは外的要因によっても、破られる可能性は高いね。――だが」


 そう言うと、彼は人差し指を折る。


「もう一つ、アザレアには暗示をかけてある。『どんな事があっても、()を絶対に真犯人だと疑わない』とね」

「……要するに、あの娘が()()()()に辿り着く為の、思考の筋道自体を堰き止めた、という事か」


 ゼラの言葉に、ニコリと笑って頷くシュダ。

 しかし、ゼラは疑問を口にする。


「……それでも、もし、あの娘の過去や、当時の事件を知る者がいたら、やはり記憶の矛盾点を衝かれて、封じた思考の連鎖の堰を破る事は無いか?」

「ふふふ……随分心配性だね、君は」


 シュダは、そんなゼラの言葉を杞憂と嗤った。


「――まず、そんな奇跡的な偶然は起こらないよ。アケマヤフィト(あの街)の生き残りは、そう多くない。――居たとしても、あの未曾有の“赤き雪の降る日”の直前に起こった、たったひとりの女が()()()程度の出来事など、詳しく覚えている者は居ないさ。――それにね」


 と、そこでシュダは、まるで悪戯の種明かしをする子供のような顔で言う。


「二つ目の記憶操作に関しては、催眠術のように容易く破る事は出来ない。――()()()解るだろう?」

「……! まさか――貴様……」


 ゼラは、シュダの言葉にハッとし、彼を睨みつけた。彼女の美しい白皙の顔には、驚愕と――()()の感情が、ハッキリと浮かんでいた。


「……ククク……。まあ、()()()()()さ。――ふふふ」


 一方のシュダは、白塗りの異相を歪め、実に愉快そうに、含み笑いをしてみせるのだった。

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