神官長と指輪
「だ――誰だ、お前達は!」
薄暗い牢舎の奥から、警戒心たっぷりの叫び声が響く。
「誰と言われて、名乗るも烏滸がましいですが……、『天下無敵の色事師』と世にも名高い色男、ジャスミンと申しまーす!」
ジャスミンは、にっこり笑って大見得を切る。そして、横に立つジザスを指差し、
「――で、こっちのオッサンが、トイレの鍵から戸棚の鍵までお任せあれ! 鍵屋のジザスさんでーす!」
「って、トイレから戸棚って、スケール小っちぇえよ!」
ジザスは、ジャスミンの後頭部をシバく。
「ジャスミン……? 天下無敵の……色事師……? 全然知らん……」
牢の中からは、戸惑う声が……。
「――ま、俗世を離れた神官の皆さんは、し、知らなくて当然……ですよね……ハハ」
自分の知名度に、地味に傷つくジャスミン。
「――で、お前ら傭兵風情が、何の用だ!」
「……ま、まさか……いよいよ私達を処刑しようと――?」
「嗚呼――! アッザムよレムよブシャムよ! 我々にどうぞ深い御慈悲を……!」
中の囚人達はざわめき、各々が神への祈りを捧げ始める。
そんな彼らに、ひらひらと手を振りながら、ジャスミンは言う。
「あー、違う違う! その逆! 俺たちは、アンタ達を解放しに来たんだ!」
「――か、解放? ――そうか! 現世からの魂の解放という事か……おのれ、傭兵風情が小洒落た表現を――!」
「違えよ!」
何を言っても悲観に繋げる神官達に業を煮やして怒鳴るジャスミン。溜息を吐くと、手にした鍵束から、鍵を一本選び出して、鍵穴に挿し込む。
牢舎に、金属が擦れ合い、ぶつかる音が響く。
「……これは違う。――これでも無い……これ……じゃない……」
鍵束には膨大な数の鍵がぶら下がっている。なかなか当たりを見付けられず、ジャスミンは苦戦する。
「……おい、もういい。オレがやる」
見かねたジザスが、ジャスミンの肩を引っ張って退かした。
そして、自分が牢舎の扉の前に陣取り、上着の袖口から、先が丸まった針金を取り出し、扉の鍵穴に挿し込む。
――数十秒後、鍵穴の奥でカチリという乾いた音が聴こえた。
「ホラ、開いたぞ」
涼しい顔でそう言ったジザスは、懐からシケモクを取り出し、口に咥えた。
ジャスミンが、牢舎の扉のノブを回すと、固く閉ざされていた筈の扉は、実にあっさりと開いた。
「おお~! さすがの腕前! 鍵屋のジザスの名前はダテじゃ無いね!」
「鍵屋は止めろ! 何か、スケールが小せえんだよ……。――オレを呼ぶんなら“鍵師”と呼べ……」
「あーはいはい」
「……」
ジザスのお願いに、気のない返事を返したジャスミンは、牢舎の扉を大きく開け放った。
「さあ! お待たせしました! 出ちゃって出ちゃって~!」
――が、意に反して、牢の中の者たちは、身を縮こまらせて、怯えた目をふたりに向けるだけだ。
「……どうしたの? 出たくないの?」
「……騙されんぞ! 貴様らはそうやって、我々をぬか喜びさせておいてから、一気に嬲り殺しにしようというのだろう! この卑劣な傭兵どもが!」
中から投げつけられた言葉に、ジャスミンとジザスは顔を見合わせた。
「……だってさ。非道いね、アンタ達」
「いやいやいや! いくらオレたちでも、そこまで無体な事はしてねえぞ? ちょっと妄想力強すぎだろ、そりゃ!」
ジャスミンの非難めいた視線に、慌てて首を振るジザス。
ジザスの抗議にジト目で返してから、ジャスミンは牢の中に向き直り、ニコリと微笑む。
「ダイジョーブダイジョーブ! 俺たちは、本当にアナタ達を助けに来たんだよ。……そうだ、これなら信じてくれるかな?」
そう呟くと、ポケットから何かを取り出し、牢の中に一歩踏み込む。――と、彼は思わず顔を顰めた。
牢の中は、凄まじい異臭が充満していた。糞尿と饐えた体臭、そして食べ物が腐ったような臭い――それらが混ざり合った、息が詰まる悪臭。
ジャスミンは、思わず咳き込み、目に涙を滲ませながらも、ゆっくりと牢の奥へと進み、囚人の代表らしき、汚れと垢まみれの青い神官服を纏う、白髭を蓄えた老人の前で膝をついた。
「――何となくだけど……アンタが神官のトップかい?」
「……いかにも。ラバッテリア布教所サンクトル支部神官長ボークガンダである」
老人は、頷くと前髪を上げて見せる。その額には、装飾紋付きの『アッザムの聖眼』が刻まれていた。
「……なら、この指輪が何かは分かるな?」
ジャスミンは、そう言うと、掌に載せた指輪を彼に見せた。
暗闇で目が弱っているのだろう。ボークガンダ神官長は、目を細め、ジッと指輪を見る。――と、その目が驚愕に見開かれた。
「――こ、これは……! だ、大教主様の印章――!」
「そう。これは、大教主の爺さんから受け取って――」
「ま、まさか! 大教主様から無理矢理奪い取って――!」
「ちっげえよ! 俺が、あのバケモノ爺さんから、無理矢理奪い取れる訳が無いでしょうが!」
とんでもない勘違いで身体を震わせる神官長に、思わずツッコミを入れるジャスミン。
彼は、息を整えると、噛んで含めるように言う。
「いい? ――大教主の爺さんは、今この上で戦ってる。その大教主本人から託されたのが、コレだ。『俺の言葉じゃ信用されないから』――てね」
上を見上げた神官達を見ながら、言葉を続ける。
「いいかい? これは、大教主からのお願い……命令だ。――『囚われた神官達は、解放後、地上にて町の住民達の援護と救護の任に当たる事』。……分かったかい?」
「……あの大教主様から直々に……そんな事を……!」
「我々の力をお求めなのか……!」
「おお……勿体ないお言葉――!」
ジャスミンの言葉を受けて、神官達の淀んだ瞳が、キラキラと光を湛え始めた。
その様子を見て、ジャスミンは、彼らに静かな声で問いかける。
「――どうだ、やってもらえるかな?」
――その返事は、牢舎を轟かせる万雷のような雄叫びだった。
◆ ◆ ◆ ◆
「――上手く発破をかけたな。ジャス公」
奔流のように、士気が最高潮に上がった神官達が飛び出していき、空っぽになった牢の中に向かって、ジザスが声をかけた。
「――――」
ジャスミンは、彼の問いかけに答えず、黙って歩き、扉の外へ出たところで、
「――ぷ、はあああああああーっ!」
詰めていた息を、思いっきり吐き出した。
「やべええって! 鼻がもげ落ちるかと思った! ――お前ら、ホント非道いな! こんな所にずっと閉じ込めておくなんて……!」
ジャスミンは、そう言うと、涙目でジザスを睨み付けた。
ジザスは、その視線に辟易しながら、目を逸らす。
「い……いや、オレがやった訳じゃねーし……。オレをそんな目で睨むんじゃねえよ……」
ジャスミンは、新鮮な空気を求めて――とはいえ、この地下では黴臭い淀んだ空気しか無い訳だが……、何回か大きく深呼吸をする。
そうしたら落ち着いたのか、彼はニヤリと微笑って、ジザスの肩を軽く叩いた。
「――よし、じゃ、次行こうか」
「……は? つ、次?」
ジザスは、ジャスミンの言葉に対して、戸惑いの声を上げる。
「だって……、地下牢の神官を解放するだけだった筈だろ……?」
「いやいやいや。これはただの前菜。寧ろ、メインディッシュはこれからよ♪」
ジャスミンは、そう言うと、いたずらっ子っぽく瞳を輝かせ、ジザスは、彼の言っている事がよく分からないと、首を捻る。
「……分からないかな~? その為に、アンタに話を持ちかけたんだけどな~?」
「……だから、何の話だよ? 回りくどいのは好きじゃねえ。さっさと言え!」
ジャスミンの言葉に焦れたジザスは、思わず言葉を荒げる。
「鈍いなぁ。地下で、アンタの腕前が必要な事と言えば、一つしか無いでしょ?」
「――だから、それが何か――て、ま、まさか……?」
怒鳴りつけようとしたジザスの脳裏をある考えが掠め、彼は驚きの表情を浮かべた。
「ちょ……、おま……、まさか――?」
「あ、やっと分かった?」
目を見開くジザスの表情に、してやったりと含み笑いを浮かべ、ジャスミンは言った。
「――俺のメインディッシュは、『完全絶対無敵安全金庫室 あんしんくん』に収められてるという、金銀財宝一切合切だよ。さ、張り切っていってみよ――ッ!」