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復仇と目薬

 「通りすがりの……元色事師?」


 そう聞いたシレネの脳裏に、茶髪の軽薄な色男の顔が浮かんだ。


「……貴方……、アイツの……ジャスの仲間?」

「――ジャス……ホッホ、ジャスミン殿の事ですかの? まあ、仲間という訳ではございませんが、今回の件では、協力させて頂いております」


 老人は、禿頭を掻きながら、暢気な声で答える。


「あ……申し遅れました。私は、ヘリアンサスと申します。――チュプリにて、ラバッテリア教の大教主を務めさせて頂いております。どうぞ、お見知りおきを」


 老人はそう言うと、彼女と取り巻く傭兵達へ深々と頭を下げた。


「ラバッテリア教の大教主……てことは、パーム君の――」

「ほほお。お嬢さん、ウチのパームをご存知ですか?」


 シレネの呟きに、大教主は声を弾ませる。


「――で、パーム神僕は、どちらに居りますかな? 大分前に行方知れずになってしまって、探しておったのですよ」

「……あの。ちょっと近いです……」

「おや。これは失礼いたしました。……弟子の消息が分かるかも、と期待のあまり、柄にも無く興奮してしまいました」


 ホッホッホと笑いながら、大教主は僅かに離れる。

 シレネは、ホッと息を吐いて、右前方の人だかりを指差す。


「パーム君は……あそこです。――その、手違いでお酒を飲んでしまったようで……酔って暴れています……」

「ホッホッホ。暴れておるという事は、元気そうですな。――何よりですじゃ。……では、迎えに行ってあげましょうかの」

 大教主は、福々しい顔をより緩めて頷いた。


「と、その前に――」


 そして、武器を構えて周りを取り囲む傭兵達に視線を移す。


「どいて頂けますかの? 出来れば、武器を置いて頂ければ、手間が省けますが……」

「ふ――ふざけるな! 大教主だろうが何だろうが、ジジイたった一人に代わりはねえ! おい、貴様ら! ジジイもシレネと一緒に、遠慮無く血祭りに上げてやれい!」


 大教主の言葉に、こめかみに青筋を立てて、傭兵の指揮官が叫んだ。それに呼応して、傭兵達は雄叫びを上げながら、ジリジリと二人との距離を詰め始める。

 大教主は、呆れたと言いたげに肩を竦めた。

 そして、右手を掲げようとして――掌に巻き付いた包帯が目に留まり、ハッとした顔で溜息を吐いた。


「……うっかりしてましたな。これでは“ミソギ”は遣えない。……難儀な事ですなぁ」


 言葉の調子とは裏腹に、その表情には焦りの表情など微塵も浮かんではいない。


「――おじいさ……大教主さん!」

「ホッホッホ。――お嬢さん、ご心配は痛み入りますが、それには及びませんぞ。……ま、見ていて下され」


 声をかけるシレネに軽く手を振って、大教主は、散歩にでも出かけるような軽い足取りで、躊躇なく傭兵達の方へ歩み寄る。


「――ジジイ! 死にてえらしいなぁッ!」


 傭兵達が群れを為して、小さな老人ひとりに襲いかかる。

 大教主は、自分に襲いかかる銀の煌きを前にしても、その柔和な表情を変えない。


「――ミソギは遣えずとも」


 ――次の瞬間、大教主の小さな身体は、傭兵達の視界から消失した。……否、消えたように見える程の瞬発力を以て、突進したのだ。


「――ウギャアアッ!」


 数多の傭兵の悲鳴が、紫色に染まった夜空に響き渡った。


 ◆ ◆ ◆ ◆


 「ホッホッホッ、お嬢さん、お待たせしましたの」


 15分後、涼しい顔で、大教主はシレネの元に戻ってきた。息一つ乱さず、背中に気を失ったパームを背負いながら。

 周囲に立っている傭兵の姿は無い。皆等しく、刈り取られた麦のように薙ぎ倒され、気を失ったまま地べたに転がっている。もちろん、全てこの小柄な老人ひとりの仕業である。


「……凄いのね、お爺さ……大教主様……」


 シレネは、まるで夢でも見ているような感覚だった。それ程までに、目の前で繰り広げられた光景が衝撃的だったからだ。


「ホッホッ、久し振りの運動のせいか、身体の節々が痛みますのぉ」


 若干、しわくちゃの顔を顰めながら肩を揉む大教主に、引き攣った笑いで答えるしかない。


「――というか、パーム君は……大丈夫なんでしょうか?」


 シレネは、大教主におぶられて、目を閉じたままのパームの顔を覗き込みながら尋ねた。


「ホッホッホ。心配には及びませぬ」


 大教主は、ニコリと微笑(わら)って答える。


「私の言葉も届かないくらい、酔いが回って暴れておりました故、ちょいと殴りかかってきた腕を押さえて、口にコイツを流し込みましたら、すぐに夢の世界へ誘われましたぞ。――ホッホッホ」


 大教主はそう言って、懐から青い小瓶を取り出しだ。小瓶は、振る度にチャプチャプ音を立てた。

 シレネは、ジト目でその小瓶を凝視して訊く。


「……ねえ、それってもしかして……」

「ええ。シュクアール製薬ギルド特製の目薬です。()()()()()()()()んですよ」

「……良く効くって、()()()()使()()()での事よ?」


 まったく、“色事師”ってヤツは……。と、彼女は頭を抱えた。

 何十年経っても、手口は変わらないのかい……。


「……ともあれ、この辺りの傭兵達は、大方倒したようですな。いや、久々に楽しゅうございました」


 背中のパームを傍らの長机の上に横たえ、大教主は、まるでカルティンで一人勝ちをしたかのような、満ち足りた微笑を浮かべている。

 ――――待てよ? ならば……

 と、シレネは思い至った。彼女の紫の瞳に、密かに昏き復讐の炎が燃え上がる。


「おじい……大教主様!」

「はい。何でしょう?」

「――ここは貴方に任せてしまって宜しいですか? 私は、ちょっと行く所が――!」

「……何をなさる気ですかの?」


 シレネの言葉に何かを察したのか、大教主の声色には、今までに無かった堅いものが含まれている……。

 自然、答えるシレネの言葉にも、険のあるものになる。


「……何だっていいでしょ? 大教主様には関係の無い事ですよ……」


 さすがに聖職者相手に、面と向かって「憎き仇のチャーに復讐して、命を奪いに行く」とは言えない。

 大教主は、じっと彼女の目を見つめていたが、ふう、と溜息を吐いて言った。


「なるほど……確かにそうですな……」


 大教主は頷いた――次の一瞬で彼女の間合いに入り、その口元に、手にした小瓶の中身(目薬)を流し込む。


「! ――な、なに……を……す…………」


 驚愕に目を見開いた彼女だが、大教主を咎める事も出来ず、たちまち深い眠りの淵に落ちていく。

 そして、力を失って(くずお)れようとした彼女の身体を、大教主はしっかりと抱きすくめた。

 彼は、意識を失ったシレネに、申し訳なさそうに言った。


「――貴方が、並々ならぬ事を胸に秘めているのは、今の目の光で察しました……が」


 大教主は、哀しげな表情を浮かべて、囁きかける。


「それはいけませぬ……。そんな濁った心で復讐を果たしたとしても、貴方の心は、本当の意味では晴れませぬ。……今はゆっくりとお休みなされ。後の事は――()()()()が、何とかしてくれる事でしょう……」

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