被雇用者と解雇通告
「おい……。悪いが、ちょおっと声が小さいみてえだ。もっとハッキリ言ってくれねえかな?」
ヒースは、眉間に深い皺を刻み、口元の牙を剥き出しにして、屈み込むようにゲソス副団長の顔を覗き込んだ……いや、メンチを切ったという方が正しいか。
「え……ええと……そ、そのだな……」
萎縮しきって、足をガクガク震わせながら、必死で言葉を紡ぎ出そうとする哀れな副官。ダリア傭兵団の本拠に、独立……もとい、分派を宣言しに行き、見事交渉を成功させた功績で副団長に昇進したが、今の彼の様子では、とてもあの団長を説き伏せる胆力を持っている様には見えない。
「……だから、お前はもう……く、クビだ……と……」
「だーかーらー! 聞こえねえっつってんだよッ!」
「ひ、ひいいいっ!」
ヒースの、百の雷を落としたかのような怒声に、哀れなゲソスは失神して、絨毯が敷かれた床の上にへたり込んだ。
じわあ……という微かな音と共に、彼の下半身から湯気が漂い、彼の周りに水たまりが現れる。
「うわ、きったね! コイツ、チビりやがった!」
慌てて、ゲソスから距離を取るヒース。
そして、彼は階の上にふんぞり返る醜怪な男を睨み付けた。
「副団長殿がこうなっちゃ仕方ねえ。お前に聞こうか……」
呟くと、全身から怒気を迸らせて、ゆっくりと階を登る。
そして、悪鬼羅刹もかくやという、憤怒に満ちた表情で、チャーに顔を近付けて訊いた。
「もう一回聞くぞ? ――あと十日で、俺がどうなるって?」
「あらあん、もう耳が遠くなったの? アンタもう寿命なのかしらんねえ?」
チャーは、そんなヒースの威圧も物ともしない様子で、骨付き肉に齧り付きながら言った。
彼は、鷲掴みにしていた骨付き肉を皿に置くと、
「だから……、アンタは今月いっぱいでクビだって言ってるのよん!」
大声で叫んだ。その拍子に、チャーの口中から吹き飛んだ肉片が、まともにヒースの顔にくっついた。
「うおっ! きったねえ!」
思わずのけぞり、傍らのビロードのカーテンで顔を拭く。
「あ――っ! アンタ、何やってるのよん! そのカーテンにどれほどの価値があると思ってんのよ! アンタの給料から差し引くからね!」
チャーは、その醜悪顔を朱に染めて、足を踏み鳴らす。
「うるせえ! つうか、てめえ、何で俺がクビなんだよ!」
こちらも、魁偉な顔を真っ赤にして、チャーに詰め寄るヒース。
チャーは、ヒースの剣幕にビビりつつ、強気な態度は改めない。
ビシッと、その短い指を伸ばして、ヒースを指差す。
「何でもクソも無いわよん! アンタ、カネ食いすぎなのよ! 今の勢いで、アンタの給料と食費を払い続けたら、いくらチャー傭兵団でも、屋台骨が傾きかねないのよん!」
「んだよ、ケチくせえな! そんなん、金庫室の中の財宝を切り崩せば、いくらでも補填できるだろうが!」
「アレは、全部アタシのよ! あの金庫の中身は、傭兵団の為なんかに金貨1枚だって出す気は無いわよん!」
「ええ……? お前、そりゃ、いくら何でも問題発言だと思うぞ……」
組織の長として、あまりにそぐわない発言に、怒り心頭のヒースすらドン引きした。
「フン! それに、ぶっちゃけ、アンタもう用無しなのよ!」
「……用無し、だと?」
ヒースの太い眉がビクリと動く。こめかみには太い青筋が浮かぶ。
チャーは、ブフン! と、激しく鼻を鳴らした。
「独立した当初は、情勢次第で、ダリア傭兵団とバルサ王国両方とコトを構える可能性もあったから、保険としてアンタを飼っておいたけど、ダリア傭兵団からは独立を認めてもらったし、バルサ王国も、近衛軍がアタカードの関に駐軍しているだけで、ゼンゼン動きがないし……」
そこまで言うと、チャーはゴブレットの真っ赤なワインをグビグビと飲み干し、臭そうなゲップを一つ吐いてから、先を続ける。
「ぶっちゃけ、ウチらが手を出さなければ、このまま動かなさそうなのよねん。……そうなると、居るだけでカネを喰うばっかりのアンタは、タダのお荷物!」
そう言い切って、骨付き肉を骨ごとバリバリと噛み砕く。
「アンタの解雇は、傭兵団にとっての、リストラの一環なのよん」
「……り……リストラだと? この俺を、リストラだぁ?」
あまりの言葉に、ヒースの顔色は真っ赤を超えて、もはや青黒く変色しつつあった。巨木に絡みつく蔦のように、血管を青々と浮かび上がらせた彼の巨大な握り拳は、怒りでブルブルと震えている。
チャーは、ブフンと鼻を鳴らして、言葉を続ける。
「……あ、退職金は言い値でキチンと払ってあげるわよ。――その代わり、ダリア傭兵団やバルサ王国には再就職しない、って内容の誓約書にサインしてもらうけどねん」
「……一つ聞きてえ」
ヒースは、大きく息を吐くと、静かにチャーに尋ねた。
「もし、ダリア傭兵団が、分派の合意を破って攻めかけてきたら、どうする?」
「は? そんな事ある訳ないじゃない。ダリア傭兵団には、アタシに手が出せない理由があるのよん」
「……果たしてそうかねえ……?」
ヒースの脳裏に、あの日の深夜に、回廊で撃退した暗殺者の事が浮かんだ。彼女は、あの夜以来現れていないが、このサンクトルの何処かに潜んでいるに違いない。
しかし彼は、その事をチャーに教える気にはならなかった。次の質問の答え次第では。
「まあ、仮の話として考えてくれや。ダリア傭兵団……銀の死神が攻めにかかったら……どうする?」
「はぁ? そうなったら、さっさと降伏するに決まってるでしょ! あのバケモノには勝てる訳無いんだから!」
「……なるほどね」
ヒースの確認したかった答えは得られた。
コイツは、銀の死神と一戦交える気などサラサラ無いらしい。それは、『銀の死神と本気の殺し合いをしたい』と切望するヒースの望みとは相容れない。
(――ならば、俺がココにいる理由も無い……な)
ヒースは、頭をボリボリと掻き、頷いた。
「あー、分かったよ。そこまで言うなら、辞めてやるよ」
「ブ、ブフン。分かれば良いのよん」
得意気に鼻を鳴らすチャーの顔面に拳骨で穴を開けてやりたい衝動を抑えながら、ヒースは踵を返して、謁見の間の巨大な扉を蹴り飛ばした。
分厚い鉄扉が、まるで飴細工のように、くの字に折れ曲がる。
「あ――ッ! 何すんのよアンタァ!」
逆上するブタの鳴き声を無視して、ヒースは大股で謁見の間を出ていった。
◆ ◆ ◆ ◆
「よお、オッサン。何かあったのかい?」
回廊の角で声をかけられ、ヒースは振り返った。
「何でい、色男」
ジャスミンに憮然とした表情を向ける。
「……どうしたもこうしたもねぇよ。あと二週間でクビだとさ」
「おいおい、マジかよ!」
驚くジャスミンに、苦笑いするヒース。
「チャーは、この先ダリア王国にもダリア傭兵団とも戦うつもりは無いようだぜ。だから、高給取りの俺はもう用済みなんだとさ……。悪いな、色男。俺はちょっと気晴らしに行ってくるわ」
「……ああ。気晴らしという名の解体工事な。……いってら〜」
へらへらした表情で、立ち去るヒースを見送るジャスミン。
ヒースの巨大な背中が回廊を曲がって見えなくなった……。
――すると、ジャスミンはニヤリと口を歪めて微笑い、ぼそりと呟く。
「……これで、計算どおり」