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【回想】少女と少年

 翌朝――。

 アザレアは、乱暴なノックの音で目覚めさせられた。

 眠い目を擦りながら起き上がると、姉が扉の閂を外して、扉を開けようとしているところだった。


「――姉様、誰が来たの――?」


 彼女の問いに、振り返ったロゼリアの顔は、雪の様に真っ白だった。


「……アザリー。お客様が来たから、あなたは早く着替えなさい」

「……は、はい……」


 いつもと同じ、優しい姉の声。しかし、その中に、隠し切れない焦燥と恐れの感情が含まれているのを察したアザレアは、不安な表情を浮かべて、姉に重ねて問う。


「――姉様、お客様って……一体だ――」

「いいから早くッ!」


 彼女の言葉を遮って投げつけられた姉の言葉の中には、いつもの優しいそれではない、氷の様に厳しく冷たく、必死な響きが内包されていた。


「は……はい!」


 恐らく生まれて初めて、優しい筈の姉から投げつけられた激しい言葉に、アザレアは驚きとショックを受けた。彼女は、涙目になりながら寝間着を脱ぎ、暖かい毛皮の日常着に着替える。


「……き、着替えたよ……」


 恐る恐る、ロゼリアに話しかけるアザレア。ロゼリアは、厳しい顔付きのまま妹を見つめたが、ふと表情を緩めると、妹をギュッと抱きしめた。


「ね……姉様……?」

「……ごめんね、アザリー。怒鳴ってしまって……ごめんね……」


 ロゼリアは、声を震わせながら言った。


「今日は、ジャス君の所に行ってなさい」

「うん……分かった」

「……いい子ね」


 ロゼリアはニッコリと微笑んだ。その笑みは、いつもの姉の笑顔で、アザレアは少しだけ安心した。

 ロゼリアは、もう一度アザレアを抱きしめた。妹の柔らかい頬に、自分の頬を擦り寄せながら、ロゼリアは静かに言った。


「……愛しているわ、アザリー」

「……わたしもよ。姉様」


 戸惑いながらも返された妹の言葉を聞くと、ロゼリアは立ち上がり、アザレアの手を引いて、扉を開けた。

 扉の向こうは、一面の銀世界――この街に住んでいる者にはウンザリする景色が広がっている――。

 そして、そんな白の色彩の暴力に抗うように、フード付きの黒いローブを纏った若い男が、彼女たちの扉の前に佇んでいた。


「やあ、おはようございます。ロゼリアさん。気持ちのいい朝ですね」


 黒いローブの男は、にこやかな笑みを湛えて、朗らかに挨拶をする。

 顔を見ると、彼が思ったよりも若い事に気が付いた。まだ二十歳にも満たないくらいではないか? 濃炭色の長い前髪の隙間から、凍てついた川の色を思わせるような青灰色の瞳が覗いている。

 彼を一目見たアザレアは、思わず姉の後ろに隠れた。一見礼儀正しい所作の男から、何とも言えないドス黒い雰囲気を感じたからだ。

 ――男がアザレアに気付いた。男は、柔らかな笑みを浮かべて、アザレアに会釈する。


「これは、可愛らしいお嬢さんですね。妹さんですか?」

「――ええ」

「いや、目鼻立ちがそっくりでいらっしゃる! この()も、将来は貴女そっくりの美しい火術士になるのでしょ――」

「妹には関わらないでっ!」


 男の声を、金切り声に近い叫びで遮ったロゼリアはハッとして、背後で身を固くするアザレアの背中を押す。


「――ほら、行ってらっしゃい、アザリー」

「……で、でも」

「早くッ!」

「! ――はい……」


 再び、姉に凄まじい剣幕で促され、アザレアは瞳に一杯の涙を溜めて、歩き出す。

 その背中に、何か言いかけて――ロゼリアは言葉を飲み込んだ。


「…………どうぞ」


 ロゼリアは、表情を消して、男を家へ招き入れた。





 ――アザレアは、背中で家の扉が閉まる音を聞くと堪えきれずに、雪道を歩きながら嗚咽を漏らす。


(ひどいよ、姉様……)


 どうして、いつもは優しい姉様が、今日に限ってあんなに怖かったんだろう――。アザレアは泣きながらも、その疑問がどうしても頭から離れなかった。


「……わ!」


 涙を拭いながらの上に考え事をしながら歩いていた為、彼女は道の脇に停めてあった何かに衝突してしまった。


「痛たた……」


 鼻柱をしたたかにぶつけて、先程とは違う原因による涙を流しながら、アザレアは衝突したものを見上げた。


「凄い馬車……」


 それは、二頭立ての大きな有蓋馬車だった。雪道を走る為、車輪の代わりにそりを取り付けてある。

 側面の扉には、鎌を咥えた鷲の紋章が刻まれている。


「この紋章は……総督さ――!」


 彼女の言葉が中途で止まる。いや、心臓が止まるかと思った。扉の窓から、何かが彼女をじっと覗いていたからだ。


「!」


 その目の光に尋常ならざるものを感じたアザレアは、踵を返し、足をもつらせながら、一目散にその場から逃げ出したのだった。





 「何だよ、急に押しかけてきやがって……。急に来られても、お前に出せる朝飯なんて無えぞ」


 少年は、玄関先で黒パンを食いちぎりながら、不機嫌そうに言う。


「何よ、ケチ! じゃあ、アンタがもそもそ食べてるそれは何なのよ!」

「これは、もちろん朝飯だ。()のな。……つーか、入るんだったら、サッサと入れ。冷気が家に入って、せっかく暖めた空気が逃げちまう」

「へん! どうせすきま風だらけで、外にいるのと変わらないんでしょ?」

「……分かった。じゃあな。他を当たってくれ」

「あーっ! ウソウソ! お邪魔しまーす!」


 不機嫌そうに扉を閉めようとするジャスの脇の下をくぐり抜けて、アザレアは家へ侵入する。

 少年は、大きくため息を吐くと、後ろ手で粗末な扉を閉める。


「……何なんだよ、まったく」


 忌々しげに黒パンをもう一口頬張りながら、毒づく少年はまだ若い――否、まだ幼いといっていい。何せ、まだ十を超えたばかりだ。

 短く切りそろえた黒髪に、黒曜石を思わせる黒い瞳が印象的な少年だった。


「――って、オイ! 勝手に他人ん家の台所を漁るんじゃねえ!」

「……ジャスん家って、本当に何も無いんだね……」


 心底ガッカリした声で呟き、しょげ返るアザレアを前に、ジャスはハア……と大きなため息を吐くと、手にした黒パンを差し出した。


「……ほれ。食べかけで良ければ、やるよ」

「ありがとー!」


 ジャスの声を食い気味に礼を言って、アザレアは受け取った黒パンに齧り付く。


「うえ~、固いよ……」

「文句言うなら食うなよ」

「やだ」

「…………」


 黒パンをガッチリと掴んで離さないアザレアに呆れながら、ジャスは仕方なく椅子に座り、冷めたお茶を啜るのだった――。

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