【回想】姉と妹
今から遡る事、十年前――
クレオーメ公国首都バスツールから、北へ150ケイムほど行った峻険なザナト山脈の麓に、アケマヤフィトと呼ばれる地方都市があった。
政令機構を設置されている地方都市といえど、アケマヤフィトは周囲の九割方を針葉樹林に覆われた、所謂辺境の地であった。
『アケマヤフィト』とは、現地の言葉で『雪の中で生きる者たち』という意味であり、その言葉通り、一年の半分以上を雪に覆われ、閉ざされるという過酷な環境だった。
そんな都市では、針葉樹林帯に広く生息するヤフィトヘラジカが、町に住む者たちの食糧であり、その頭に生えた立派な角や骨から作った加工品が、貴重な収入源ともなっていた。
逆に言えば、ヤフィトヘラジカ無しでは、この町は物理的にも経済的にも干上がる。人々の暮らしは、ヘラジカの狩猟量次第で多分に左右される、とても不安定なものとなっていたのだ。
当然、治安も良いとは言えない。町の雰囲気は退廃的で、鬱屈した澱みが降り続く雪と同じように、しんしんと降り注ぐ――。
そんな貧しい都市の中でも最貧のスラム地区に、ある姉と妹が懸命に生きていた――。
真冬のアケマヤフィトには、今日も白い雪が降り続く。
「アザリー。火が弱くなってきたわ。薪をもう少しくべてちょうだい」
竈にかけた鍋のスープをかき混ぜながら、赤毛の若い女は、優しい声でお願いする。
「はーい、姉様!」
玄関の扉の向こうから、元気な声が上がった。
少しして、両手一杯に薪束を抱えた8歳くらいの少女が、頭に沢山の雪粒を載せて、建て付けの悪い扉をこじ開けて屋内へ入る。
「お待たせ、姉様!」
「……そんなに沢山はいらなかったけど……でも、ありがとうね」
姉は苦笑しながら、優しくお礼を言って、少女の炎色の髪の上に付いた白い雪を払ってやる。
「でも、ジャスが言ってたわよ。『大は小を兼ねる』って!」
「ま、確かにそうね。ジャス君の言う通りかもしれないわね」
姉は、妹の言う事に軽く頷いて、優しく微笑む。
「ジャス君は確か10歳だったかしら……。さすがに物知りよね」
「でも! アイツ、やってる事はまだ全然ガキだよ! アザレアの方がずっとおねえさんよ!」
「えー? アザリーも、まだまだお子ちゃまよ」
姉は、無邪気な妹の言い分に顔を綻ばせた。アザレアは、不満そうにぷうと頬を膨らませる。
姉は膨らんだ頬を突っついて、また微笑んだ。
「ほら、そうやってすぐ頬を膨らませちゃう所が、お子ちゃまの証拠よ」
「もうっ! 姉様ったら!」
「ごめんごめん」
怒って、たしたしとゲンコツで叩いてくるアザレアを軽くいなして、姉はほったらかしにしてしまっていた竈に向き直る。
「じゃあ、早速……て、あら……」
「火……消えちゃったね」
竈の火は、二人がじゃれ合っている内に、すっかり消えてしまった。
「ごめんなさい、ロゼリア姉様……。アザレアが――」
「大丈夫よ。ちょっと待ってて」
しょげる妹の頭を優しく撫でて、ロゼリアはニッコリと笑う。
アザレアの持ち込んできた薪をいくつか竈に放り込んで、その内一本の薪を両手で握り、目を閉じる。
そして、息を吸い込み、
『火を統べし フェイムの息吹 命の炎 我が手に宿り 全てを燃やせ』
と、聖句を詠唱する。――次の瞬間、彼女の手にした薪が真紅の炎に包まれた。
ロゼリアは、火の点いた薪を竈に投げ込むと、パチパチと爆ぜる音を立てながら、瞬く間に竈の中は赤い炎で満ちた。
「……凄いなあ、姉様は。あっという間に火を点けられるんだもんねぇ……」
傍らでその様子を眺めていたアザレアが、感心した様子で呟く。
「あなたも、キチンと練習すれば出来るようになるわよ」
妹の呟きに、苦笑してロゼリアは返した。
姉の言葉に、アザレアは再び頬を膨らませる。
「ダメだよ……アザレアはサイノーが無いから……姉様みたいな火術士にはなれないよ……」
「そんな事無いわ。アザリーには、私なんかより、ずっと恵まれた才能があるのよ。上手く出来ないのは、マジメに練習していないから」
「……そうかなぁ?」
首を傾げるアザレアの肩をポンと叩くと、優しく微笑みかけるロゼリア。
鍋をかき混ぜ、匙で一口掬って、味見をすると満足げに頷いた。
「よし、美味しい! アザリー、お皿を用意してちょうだい」
「はーい、姉様!」
ロゼリアの言葉に元気いっぱいに返事をするアザレア。
木製の平皿に、ロゼリア特製のタボ芋のスープがよそわれる。
二人は、ガタガタと揺れるテーブルにスープ皿を並べ、椅子に掛けて手を合わせた。
「「天上におわします、お父様、お母様、今日も守ってくれてありがとう。――いただきます」」
ぐ~……
「……お腹が鳴っちゃった」
アザレアが顔を赤らめる。
ロゼリアは、思わず吹き出す。
「あらあら。じゃあ、早く食べましょう」
「はーい!」
――二人の、貧しいながらも楽しい食事の時間。
ロゼリアとアザレア。この瞬間、二人は間違いなく、この世で一番幸せな二人だった――。