民と謀議
「ここね……」
街がすっかり寝静まった午前2時。サンクトル東地区の『カセイヤル石材商会』の巨大な門の前に、シレネとフェーンは立っていた。
「……あの、シレネさん……僕はまだこの格好じゃなきゃいけませんか……?」
と、フェーン……パームが、スカートの裾をモジモジといじりながら訊く。
「……ダメよ。男装で傭兵団の奴らに遭遇したらどうするのよ」
「『男装』って……元々僕は男ですよぉ」
パームの願いをつれなく却下して、シレネは、手に握り込んだ金貨を見る。
「サンクトルで『石屋』と言ったらここしかないんだけど……」
手がかりは、金貨に殴り書きされた『午前2時 石屋』の文字だけ。来てみたはいいが、これから何が起こるのか分からず、シレネとパームは不安を覚えた。
と、
「お。来た来た。コッチだ、二人とも!」
辺りを見回す二人に、門の陰から聞き慣れた声が掛けられた。
「ジャスミンさん!」
「しーッ! 大声出すな。警衛に気付かれる」
人差し指を唇に当てて、ジャスミンは言って、「こっちだ」と、手招きをする。
シレネとパームは、顔を見合わせて頷き、彼の招く方へ向かう。
ジャスミンは、カセイヤル石材商会の門……を素通りし、物陰を縫うように隠れながら、どんどん先へと進む。
――どの位進んだろうか。ジャスミンは、崩れかけた大きな荒ら屋の前で立ち止まり、振り返った。
「……ここなの? 目的地って……」
訝しげに訊くシレネに軽く頷き、ジャスミンは半壊した扉を4回叩いた。
「……『白き日は沈み、紅き月は昇る』そして――?」
「そして『蒼き月は静かに欠ける』――」
扉からの低い声で掛けられた謎めいた言葉に、ジャスミンは同じく謎めいた言葉で応える。
少しの間、沈黙があたりを包む。――と、扉の閂を外す音が聞こえ、微かに軋む音を立てながら、ゆっくりと扉が開いた。
「おう……ジャスミンか。――早く入れ」
中から出てきたのは、青々とした髭面の中年男だった。
ジャスミンは頷くと、二人を扉の中へ招く。
「――大丈夫でしょうか……。何かあるのでは……」
「何かはあるでしょうね。この警戒っぷりだと……。でも、もう引き返せそうもないわ」
不安そうな顔を見せるパームに対して、シレネは落ち着いたものだ。さっさとジャスミンの後に続いて、扉の中へと進んでいく。
パームは、少し逡巡したが、ぐっと覚悟を決めて、ドアを潜った。
扉の奥には、短い廊下があり、その奥には、小規模なダンスパーティーなら開けそうな広間があった。
その中央には大きな丸テーブルが置かれ、十数人の人間がそれを囲んで座っている。
テーブル中央で心細く燃える、燭台の蝋燭の光に照らし出された彼らの顔は……、昼間のサンクトル街区で見知った町人達の顔だった。
「オイオイ! コイツは、『飛竜の泪亭』の女店主じゃねえか!」
シレネ達が部屋に入るなり声を荒げたのは、見事に剃り上げた頭が印象的な、ちょび髭の男――肉屋のセネルだ。
「やべえんじゃねえか? 傭兵団と懇意なコイツらを仲間に加えようなんてよ! 最悪、傭兵どもにタレ込まれでもしたら、俺たちはみんな仲良く晒し首だぜ!」
「……そうですよ。『飛竜の泪亭』は、傭兵のおかげで大繁盛なんですから……。どちらかといえば、傭兵団側の人間と考えるべきでは……?」
セネルの声に賛同したのは、単眼鏡を左目にかけた痩せぎすの男――魔道具屋のターナーだ。
「まあまあ。そんなに殺気立たないで。この二人は、こちら側の味方になってくれる。それは、この俺が保証するよ」
二人を庇ったのは、ジャスミンだった。
「保証するって、根拠はあるのかい?」
肉屋のセネルの隣に座るふくよかな女性が、懐疑的な目で尋ねる。
「……ぶっちゃけ、根拠は、無い!」
ジャスミンの言葉に、場にいる者たちはどよめく。彼は、その様子に苦笑すると、言葉を続けた。
「強いて言えば、この俺――『天下無敵の色事師』としての直感だな。シレネは、確かに上っ面では笑顔で傭兵達に接しているけど、心の底では剣を隠している――そういう目の色をしていたのさ」
「直感だと……そんな適当なモノで判断しているというのか、君は?」
ターナーは、単眼鏡をいじりながら、ジャスミンを睨む。
ジャスミンは、肩を竦める。
「俺は、自分の直感は絶対的に信じてるからね……。それで、いくつもの修羅場をくぐり抜けてきた訳だしな!」
彼は、そう言って胸を張る。
「……とはいえ、ココは本人に訊いてみた方が確かかな?」
と言うと、彼はシレネに視線を向ける。
「――シレネ。君の真意はどうなんだい? このままチャー傭兵団の本拠として、支配を受け続けたいか……、それとも、傭兵団の支配を脱して、昔のサンクトルを取り戻したいか……」
「――その前に聞かせて」
ジャスミンの言葉を受けて、シレネは静かに言葉を紡いだ。
「――貴方達は、何をしようとして、人目を忍んでここにいるの?」
「そ……それは……」
シレネの問いに言い淀むセネル達。
「それはもちろん、町の民衆が力を合わせて、チャー傭兵団を追い払い、町の自由を取り戻す為さ」
皆に代わって、ジャスミンが答える。
シレネは、フッと微笑む。
「――なら、私の目的とは違うわね」
「――!」
やはり、この女は傭兵団側の人間か――!
椅子に座っていた人々が、血相を変えて一斉に立ち上がり、傍らの武器――と言っても、包丁や槌や斧だったが――を構えた。
そんな彼らを、片手を上げて制して、シレネは静かに言葉を続けた。彼女のその目には、メラメラと揺らめく憎しみの光が煌々と宿っていた。
「――私の目的はただ一つ。団長のチャー……奴の命。――目的は違うけど、貴方達のはかりごとが、私がチャーの命を奪う助けになってくれるようなら、貴方達に協力してあげても……いいわよ」