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色事師と看板娘

 サンクトルの町を、夜の(とばり)がとっぷりと覆う。

 閉店した『飛竜の泪亭』の店内では、カウンター席に座ったシレネが、帳簿をつけながら一人ニマニマとしていた。

 今日、『飛竜の泪亭』は、過去最高の売り上げを記録したのだった。しかも、それまでの最高売り上げをダブルスコアでぶっちぎる、圧倒的な数字。シレネの顔が緩むのも致し方なかろう。

 その売り上げの立役者である、新人の()()()()は、隣の席に座ったまま、カウンターに突っ伏して寝こけている。

 慣れない仕事(給仕)で、心身共に疲れたのであろう……。その美しくも幼い顔に、ふっと微笑むと、シレネは彼女にフェーンにそっと毛布を掛けてあげた。

 と、


「お疲れちゃーん♪」


 カウンター裏から、一人の男がふらりと現れた。

 彼は、カウンター裏の棚から、手慣れた様子でワインボトルとワイングラスを2脚取り出し、シレネの右隣に座る。


「……ちょっと、ソレ、ウチの売り物なんだけど」


 帳簿をつけながら、視線も上げずにシレネは言う。


「まあまあ、固い事言うなって」


 ジャスミンは、シレネの小言も意を介さず、ボトルのコルク栓を開け、2脚のグラスに、真っ赤なワインを注ぐ。

 カウンターに、熟成されたワインの芳香が漂う。


「良かったじゃん。物凄い客の入りだったな」

「……どうも」


 ジャスミンは、ワイングラスを掲げて微笑む。シレネも、やれやれという顔をしながらも、満更でもないような様子で、グラスを持つ。


「……乾杯」


 チンッと、グラスが触れる音が、だだっ広い店内に響く。

 ジャスミンは、グラスを揺らして香りを楽しんでから、一気にワインを口に含んだ。

 シレネは、一口だけ口をつけて、グラスを置いた。


「――んー、美味い。さすが、エキセロ産赤ワインの84年もの。味の深さの底が違うわ~」


 ジャスミンは、満足げに言うと、ボトルから2杯目を注ぐ。


「だから、他人の店のお酒を勝手に飲まないでよ」


 シレネが嗜めるが、責めるような口調でもない。


「……ねえ、あなた、知ってたんでしょう?」


 帳簿に売り上げを書き込む手は止めずに、シレネはジャスミンに尋ねた。


「――ん? 何を?」


 また一口ワインを呷ってから、ジャスミンは聞き返す。

 シレネは、帳簿から目を離すと、左隣を指さして言った。


この子(パーム)が、メガネを外したらこんな(美貌)の持ち主だったって事」

「――まあね」


 ジャスミンは、ニヤリと笑う。


「――でも、キチンと化粧をしたら、ここまで化けるとまでは、さすがに思わなかったよ」

「うーん……。この子に関しては、メイクはあんまり関係無いかも」


 苦笑しながら、シレネは言った。


「おでこの『アッザムの聖眼(入れ墨)』だけは、しっかりファンデーションで消したけど、それ以外は、簡単なベースメイクと口紅を引いてあげただけだもの。まだ若いから、肌の瑞々しさが半端なくって、女の私でも羨ましくなったわ……」

「――もし、コイツが女だったら、どうなったかな?」


 ジャスミンの問いに、シレネは困った様に微笑(わら)った。


「う――ん、多分、国のひとつやふたつは傾けられたかもね」

「おいおい……それじゃまるで、女版『傾城の色事師』じゃないかよ……」


 そう苦笑すると、ジャスミンはグラスを呷り、言葉を続けた。


「――俺も同意見だよ」

「そういうあなたは? ――もし、この子が神官じゃなくて、あなたと同じ色事師だったとしたら、何処までいけると思う?」


 いたずらっぽく笑うシレネ。ジャスミンは、目を心なしか逸らしながら答える。


「ま――まあ……『天下無敵の色事師()』の次くらいにはなれるだろうな……」

「『天下無敵の色事師(あなた)』にそこまで言わせるって事は、相当なのね、やっぱり……」

「……」


 ジャスミンは、苦い顔をして、また1杯、ワインを注いだ。


「……まあ、だからなんだろうな。大教主が、コイツに伊達メガネを付けさせてまで素顔を隠そうとしたのは……」

「――でしょうね」


 シレネは、頷く。


「こんな綺麗な顔じゃ、パーム君本人はもちろん、周りの神官達も、修行どころじゃないでしょうからね……」

「そう考えると、コイツも大変な星の下に生まれたと言えるのかな……?」


 涎を垂らして、寝こけているパームの顔を見ながら、ジャスミンは呟いた。


「――まあ、俺としては、コイツ(パーム)が俺と同じ道に進まないでくれて良かった……と、心から思うよ」


 ◆ ◆ ◆ ◆


 「さて……帳簿もつけ終わったし、私はもうそろそろ寝るわ」


 シレネは、帳簿を片付けながら言った。


「悪いけど、灯りとパーム君をお願いしてもいい?」

「おう」


 手を挙げて応えるジャスミン。

 シレネは、飲みさしのグラスを左手に取ると、右手の指でグラスの縁を擦ってから、くいっと一気に呷った。


「ごちそうさま――って、どうしたの、ジャス?」


 シレネは、ジャスミンが目を見開いて、彼女の指先を見つめているのに気付いて、何気なく尋ねた。


「――あ、いや。……別に」


 ジャスミンは、声をかけられた事に、一瞬遅れて気付き、上の空という感じで答えた。

 シレネは、彼の様子に首を傾げながら言った。


「ちょっと……。あんまり飲み過ぎないでよ? 大丈夫?」

「あ――ああ、大丈夫……ちょっと考え事をしてた――」


 ジャスミンは、そう言うと微笑んだ。


「お休み、シレネ」

「お休みなさい、ジャス」


 シレネが、あくびを噛み殺しながら立ち去った後、ジャスミンは難しい顔でグラスを呷る。

 そして、小さく呟いた。


「……あの飲み干す時のクセ……まさか……な」

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