業火と最期
フジェイルの左目から噴き上がった紅蓮の炎は、彼の歪な身体を舐めるように燃え広がる。
更に、表面だけではない。
彼の口や鼻からも次々と炎が噴き出し始めた。
フジェイルの身体は、外からも内からも、猛烈な火炎によって灼かれ続ける。
「アアアアアアァァッ! ギャアアアアアアアアアアアァァッ!」
彼の口から、この世のものとも思えないような絶叫と悲鳴が、炎と共に吐き出される。
「アヅイイイイイイイッ! アヅイ……アヅイヨオオオオオオ!」
フジェイルは、目から夥しい涙と炎を同時に流しながらのたうち回り、遂に、その巨腕に抱えていたアザレアの身体を放り出す。
「ア――アザリーッ!」
宙を舞ったアザレアの身体を、足を引きずりながら駈け寄ってきたジャスミンが、倒れ込みながらも受け止めた。
「痛てててて……、て、アザリーッ! 大丈夫か?」
「……あ、ありがとう、ジャス……。私は大丈夫……」
心配そうに顔を覗き込みながら訊くジャスミンに、軽く頷くアザレア。――だが、彼は、アザレアを固く抱きしめると、その頭を優しく撫でた。
「ちょ――! じゃ、ジャスッ? な……何をするの――」
「……大丈夫じゃないだろ、お前。――泣いてるぞ」
「……え?」
微かに震えているジャスミンの言葉に驚いたように、アザレアは、己の頬に触れた。――確かに、掌がしっとりと濡れた。
アザレアは、心配するジャスミンを安心させようと、微笑みを浮かべようとして――あえなく失敗した。その貌を涙でくしゃくしゃにしながら、アザレアはジャスミンの首にむしゃぶりつく。
「あのね……、私、夢を見たの」
「……夢?」
問い返すジャスミンの言葉に、コクリと頷くアザレア。
「……その夢の中で、姉様と会ったの。――優しくて、昔と変わらない綺麗な姉様と……。とっても嬉しかった。……ただの夢なのかもしれないけど……」
「……夢なんかじゃないさ、アザリー」
アザレアは、ジャスミンの言葉に、ハッとした顔をする。
「……あの時、ロゼリア姉ちゃんは、俺にも声をかけてくれた。――それに、今も……」
そう囁くと、ジャスミンは、スッと指を伸ばした。
「アアアアアアアアアアアァァッ……アアアアアアァァッ!」
その指さす先には、紅蓮の炎に全身を苛まれながら藻掻き苦しむ、彼らの仇敵の姿があった。
アザレアは、彼の言葉の意味を悟り、小さく頷いた。
「うん……。あの炎は、姉様の炎よ……。きっと、姉様が最期の時に放った炎は、消えていなかったのね。……ずっと、屍人形になったアイツの身体の中で燻り続けていたんだわ……」
「……結局、最後も、ロゼリア姉ちゃんに助けられたって訳だな……」
ジャスミンは、顔を伏せて、目を閉じる。そして、小さく呟いた。
「――本当にありがとう……ロゼリア姉ちゃん」
(熱い熱い熱い熱い熱い熱いぃぃぃぃっ!)
一方、猛火に包まれ、全身を灼き苛まれている真っ最中のフジェイルは、気が狂わんばかりに悶え苦しむ。
屍人形と化し、莫大な瘴氣を身体に貯め込み、生物としての限界を遙かに超えた彼の身体は、熱さや痛みとは無縁のモノとなったはずなのに……この炎は、確かに、熱いし、痛い。
(何故だ何故だ何故だ何故だ――?)
猛炎によって煮えたぎり、沸騰し始める脳の片隅で、彼は答えの出ない問いを発し続ける。
(何故……私は苦しんでいる……? 生物の限界を超え、生死の概念をも超越した、この私が……?)
と、炎に炙られ、とうに盲いたはずの彼の目に、ある人影が映った。
粗末な上衣に、ロングスカートを穿いた、銀の髪留めが挿さった深紅の長い髪が印象的な少女――。
「……ロ――ロ……ゼ――」
彼の口から、たどたどしく言葉が紡がれる。
「……ロゼ……ロゼ――リ……」
――と、
次の瞬間、彼の視界いっぱいにマゼンタ色の光が満ち――彼の意識は唐突に途切れた。
「赦さねえよ……。お前が、その名前を呼ぶ事も……その姿を目に浮かべる事も……!」
ジャスミンは、憤怒の表情を露わにしながら、静かに無ジンノヤイバを持つ手に力を込めた。
フジェイルの顔面を貫いた無ジンノヤイバの光の刃が一際太くなり――次の瞬間、その頭を粉々に吹き飛ばした。
弾け飛び、千々に分かれたフジェイルの頭部は、無ジンノヤイバの放つ生氣に侵され、たちまち黒い塵と化し……音も無く消え散った。
そして、不規則に膨張する不安定な身体をなんとか制御していた、集合体の核たるフジェイルの頭部を失った事で、その身体はまるで糸の切れた操り人形のように力を失い、地響きを立てて床の上に頽れる。
その身体を灼き続ける業火は、その勢いを更に増し、部屋の床や壁にも燃え移り、たちまち部屋中を炎に包み込んだ。
「――ま、マズい! このままじゃ、俺たちまで……!」
「……ジャス! 掴まって――!」
右脚を満足に動かせないジャスミンに肩を貸し、半ば引きずるようにして、部屋を出ようとするアザレア。
と、部屋の一角に目を移した彼女の顔色が変わる。
「――パーム君!」
燃えさかる炎が徐々に近付く中、うつ伏せに倒れたままのパームは、ピクリとも動かない。
「おい、パーム! 目を醒ませ! 焼け死ぬぞ!」
その事に気が付いたジャスミンも、煙に噎せながら、パームに向かって必死に呼びかけるが、彼は意識を取り戻さない。
このままでは――!
「……アザリー。お前はひとりで先に行け」
「……ジャス! ――無理よ、その脚じゃ……!」
ジャスミンの言葉に、目を見開いて、激しく首を横に振るアザレア。
そんな彼女に微笑みかけて、ジャスミンは静かに囁いた。
「……大丈夫。――俺は死なないよ。……俺は死ねないんだ――何せ」
と、ジャスミンは、一呼吸置いてから言葉を継ぐ。
「何せ、俺は――まだ、色事千人斬りの目標を達成してな――ア痛っ!」
「……こんな時に、何口走ってんのよ、この――バカッ!」
鬼のような形相で、ジャスミンの頭を叩くアザレア。
「――いや、ただの冗談だって……いや、ヤバいヤバいヤバい! 止めて止めて! ……燃える! マジで燃えちゃうからぁ!」
ヘラヘラ笑いが、冷や汗たっぷりの表情に変わった。
彼を燃えさかる炎のただ中に蹴り転がそうとするアザレアに対し、ジャスミンは必死でしがみつく。
……と、その時、
「あの……アザレア様? こんな時に、何をなさっておられるのか? そこのふざけた色事師はともかく、貴女まで……」
「え――?」
不意にかけられた呆れ声に驚き、ふたりが振り返る。――だが、そこには既に誰も居ない。
「――はい! 神官殿は救出致した! ふたりとも――脱出しますぞ! そんな所でいちゃついていては……焼け死にます!」
「い――イチカ?」
倒れていたパームを軽々と担ぎ上げ、軽快に跳びながら、部屋の外へと向かう黒装束の少女の姿に、目を丸くするふたり。
だが、呆然としている暇は既に無い。
ふたりは、いよいよ間近に迫る炎の勢いを目の端に捉えると、お互いの肩を貸し合いながら、慌てて彼女の後を追うのだった。