超克と十年
ジャスミンは、ニヤリと笑うと、無ジンノヤイバの光刃を消した。
フジェイルは、黒く濁った瞳をグルリと廻らせ、ひび割れた声を発する。
「……色事師。君の生氣は、既に限界ヲ超えていルのでは無かったのカイ?」
「ああ、さっきまではな」
ジャスミンは、フジェイルの問いに涼しい顔で答えて、ウインクしながら、そっと自分の唇を指さした。
「ご心配ドーモ。安心しな、団長さんよ。補充したから」
「……補充?」
「そ。お陰で、今の俺は、雄氣百倍! ギンッギンだぜ!」
「――言い方っ!」
自慢げに胸を張るジャスミンを、顔を真っ赤にしながら窘めるアザレア。
フジェイルは、そんなふたりの様子を、無感動な表情で眺め、その顔を歪めた。
「……どこまデモ、ふざけタ男だ、キミハ」
「へっ。ふざけてるのはどっちだよ。屍体を喰って、そんな歪な姿に成り果ててさ。死人は黙って土に還ってろって話だよ」
ジャスミンは、ヘラヘラした表情のまま、フジェイルを嘲笑する。――その薄笑みを浮かべる彼の目は、笑っていない。
「死人……それハ、私のコトかイ?」
「他に居るかよ、屍鬼野郎」
「――屍鬼……私が? く……クク……クハハハハハァ~ッ!」
と、フジェイルは突然狂笑し始めた。
「屍鬼……違ウ違ウ! 全く逆だヨ! 私は死ヲ克服シ、更なる進化ヲ果たしタ! 言うなレバ、全く新しイ人間……、あのゼラの様ニネ!」
「……ち、違う……!」
「――ン? 何カ言ったカイ?」
足元から聞こえた弱々しい声に、フジェイルは首を捻って、視線を下に落とす。
「――神官」
「あなたと……ゼラさんは……違います……。今のあなたは、タダの瘴氣の塊でしかな――ガッ!」
パームの言葉は、無情に蹴り上げられたフジェイルの脚によって遮られた。彼の身体は、風に吹き上げられたシーツのように宙を舞い、床に叩きつけられた。
「か……は……」
「パーム君っ!」
「人間を超克しタこの私に対しテ、随分と無礼ナ口を叩クジャないか? まあ――安心しタマエ。神官のキミハ、殺してモ喰う気は無いかラネ。代わリに、ギリギリまで意識を保たせタまま、長く苦しませセてから殺しテやるから」
そう言って、その顔を醜悪に歪めるや否や、彼の身体に顕著な変化が現れた。
身体の至る所が脈打ち、盛り上がり、そして白服を中から突き破って、何本もの手足と苦悶に歪んだ頭が生え出た。
もはや、完全に異形と化したフジェイルの姿を目の当たりにして、ジャスミンとアザレアの顔は引き攣る。
「……完全にバケモノに成り下がったな」
というジャスミンの呟きに、フジェイル――いや、嘗てフジェイルだったモノは、ケロイドの残る左半面を歪めて嘲り笑う。
「ダカラ、言ッテイルダロウ? 成リ下ガッタンジャアナイ。進化シタノサ、人間ノ……イヤ、全テノ生物ノ向コウ側ヘ、ネ!」
彼は、そう叫ぶや、太く肥大化した6本の脚で床を蹴り、ジャスミンの方に向かって突進する。
「――そんな不細工になるんだったら、進化なんてするモンじゃないな!」
ジャスミンは、無ジンノヤイバの柄尻を叩き、マゼンタ色の光で、巨大な掌を顕現化させる。そして、突進するフジェイルの身体を掌で押し包んで、勢いを止める。
「――アザリー! 今の内に、パームを!」
脂汗を流しながらのジャスミンの叫びに、頷いたアザレアは、部屋の端で蹲っているパームの元へと駈け寄る。
倒れたパームの元へ、緩慢な動きで数体の屍鬼が集り始めている。
『火を統べし フェイムの息吹 命の炎! 我が手に宿り 全てを燃やせ!』
アザレアは聖句を唱え、手にした長鞭を炎で包む。
彼女が炎鞭を一閃し、群がる屍鬼たちを一掃する。
そして、パームの身体を抱き起こし、軽く彼の頬を叩きながら、その耳元で呼びかける。
「パーム君! 大丈夫? しっかりして!」
「……う、うぅーん……」
パームが、固く閉じられた瞼を開き、体中の痛みに、その顔を顰めた。
「痛たたたた……」
「……大丈夫? ……どこが一番痛む?」
心配そうな顔で覗き込むアザレアの問いに、パームはこめかみの辺りを押さえながら答える。
「そう……ですね……。頭が……割れるように……」
「頭……! それは――」
アザレアの顔が曇る。頭を強く打って痛むとは、良くない兆候だ――。
が、パームは、弱々しい微笑みを浮かべながら手を振った。
「いや、そうじゃなくて……多分、さっき飲んだ……」
「…………あ、溶岩酒――」
つまり、度数の高い酒を一気に呷ったが故の……
「二日酔いって事? ……心配して損した」
「……ひど……あ、いや、すみません……」
呆れ顔のアザレアに、かなり理不尽な事を言われ、釈然としない顔をしながらも、素直に彼女に謝るパーム。
アザレアは、パームが比較的元気そうな事に、安堵の表情を浮かべた後、表情を引き締めて、フジェイルを食い止めているジャスミンを見て、眉を顰めた。
――ジャスミンの無ジンノヤイバの掌に捕らわれながらも、フジェイルの身体は膨張を続けていた。全身の至る所から歪な手足が無秩序に生え続け、身体の表面に浮かび上がる死に顔も、その数を増やし続ける。
体長は3エイムを超えているだろう。しかも、その膨張は止まる様子を見せない。
その姿は、もう、人としての姿をとどめていない。それはまるで、死体を丸めて混ぜて作り上げた、巨大な肉団子のようだった。
「……おぞましい」
アザレアは、嫌悪と憎悪と、ほんの少しの憐憫を込めた言葉を、複雑な表情を浮かべながら呟く。そして、口をきりりと結ぶと、炎鞭を構えた。
「……パーム君、動けそう?」
「え? ……あ、はい! ――万全では、ないですけど」
そう言って頷いたパームに、一瞬だけ表情を緩めて頷き返したアザレアは、再び表情を引き締めた。
彼女の口から、断固とした決意に満ちた言葉が、静かに紡がれる。
「……これで、終わりにするわ。私と、ジャスと、……姉様と――、そして、アイツの十年を」