液体とメモ
「ジャ――ジャスミンさん!」
小袋を手にしたパームは、思わず大声で叫んだ。
「ん? 何だよ……、そんな素っ頓狂な声を出し――て、そりゃあ、確か……」
苛立たしげな顔で振り返ったジャスミンだが、パームの掌に載せられた小袋を一瞥すると、その表情を変えた。
「そうです! サンクトルで、ジザスさんから渡された、大教主様からの餞別です! 『きっと役に立つ』って言っていた――!」
「そうそう! すっかり忘れてたぜ、ソイツの存在を!」
ジャスミンもパームと同様に、興奮しながら、上気した顔を見合わせる。
「……これは、いわゆるひとつの“切り札”ってヤツだろ! いつ使うの? ――今でしょ!」
「そ……そうですよ! 大教主様の事ですから、きっと、こういう事態になる事も見越して、持たせてくれたんですよ、きっと!」
「……え、そうなの?」
熱に浮かされたような顔で、興奮を隠せないふたりの男とは対照的に、小袋に懐疑的な視線を送るアザレア。
「あの大教主さんでも、さすがにこの事態は想定できないと思うけど……」
「ダーメだよ、アザリー! よく言うじゃん、“信じる者は足を掬われる”ってさ」
「……いや、掬われてるじゃない、足」
「……それを言うなら、“信じる者は救われる”ですよ、ジャスミンさん……」
「あ? い……いいんだよ、細かい事はさ!」
ジャスミンは、誤魔化すように言って、パームの手から小袋をひょいっと持ち上げる。
「あ……ちょ、ちょっと、ジャスミンさん?」
「時間がないんだ。さっさと中身を開けて、役に立ってもらおうぜ? この、餞別様にさ!」
そう言うと、取り返そうと伸ばされたパームの手をひょいっと躱して、小袋の紐の結び目を解き始める。
「アザリー! その鞭で、屍鬼たちの足止めシクヨロォ!」
「――もう! 分かったわよ! ……でも、タダの鞭じゃ長く保たないから、早くしてよっ!」
ジャスミンの指示に、小さく舌打ちをしながら、アザレアは手にした長鞭を振るう。風切り音を立てながら縦横無尽に跳ね回る長鞭が、屍鬼たちを強かに打ち据えるが、既に痛覚を喪っている屍鬼たちは怯む事なく、緩慢な前進を続ける。――彼女の言うように、長くは持ち堪えられそうもない。
ジャスミンは、「へいへい」と軽い口調で返事をしながら、固い結び目を解く。小袋の中から取り出されたのは、仄かに黄色がかった色の液体で満たされた小瓶だった。
「え……何ですか、これは……? ポーションか何かでしょうか……?」
「さあ……?」
ジャスミンは首を捻るが、その表情には、アリアリと失望の色が浮かんでいた。
「切り札が、タダの回復薬だったら、意味ないなぁ……。ちょっぴり回復できたところで、この状況下じゃあ、寿命が数分延びるだけの話だ、ぜ……て、あれ? ――まだ何か入ってる……」
愚痴りながら、思わず小袋を握り締めたジャスミンは、袋に違和感を感じ、もう一度、袋の中を覗き込む。そして、中に入っていたそれを摘まみ出した。
「……これは、手紙……いや、メモ帳の切れ端……?」
怪訝な顔で、首を傾げるジャスミンは、小さく畳まれたそれを広げた。
「なになに……『汝、躊躇するなかれ。一気に小瓶の中身を呷るべし』――?」
「躊躇するなかれ……? 飲む事を……ですか?」
「つーか、結局、この小瓶の中身って何なんだよ? ……ひょっとして、犬のションベンか何かなのか……?」
「い――犬の……おしっこ……?」
ジャスミンの言葉に、顔面を強張らせるパーム。
「……真に受けるなって。冗談だよ…………多分」
苦笑しながら、小瓶のコルク栓を抜くジャスミン。
そして、瓶の口に鼻を近づけて――、
「――うっぷ!」
突然、弾かれたように顔を背け、激しく噎せた。
「じゃ、ジャスミンさん! だ、大丈夫ですかっ?」
驚きながら、彼の背中をさするパーム。心配そうな顔で、彼に訊く。
「や……やっぱり、相当危険な薬品だったんですか……それは?」
が、ジャスミンは首を横に振る。
「い……いや、そういう類のヤバいモンじゃないよ、コイツは」
「そ、そうなんですか?」
「ああ。――に、しても」
と、ジャスミンは苦笑を浮かべた。
「……さすが、大教主というか何と言うか……とんだ狸ジジイだわ……」
「は? た、狸ジ……ジジイ?」
「なあ、パーム……」
不意に、ジャスミンはパームの事を呼んだ。パームは、目をパチクリさせながら、彼に顔を近づける。
「どうしました、ジャスミンさ――」
「――ゴメンな!」
「は――ふえっ?」
パームの不意を衝いて、ジャスミンが彼の首を抱え込み、その口に小瓶を突っ込み、一気に傾けた。
「ぶふっ! ぐっ? ――っ!」
パームは、咄嗟に抗おうと藻掻くが、小瓶の液体は、彼の口中に注ぎ込まれ、彼はそれを呑み込んだ。
次の瞬間、彼の身体が、雷にでも打たれたかのように激しく痙攣する。彼は、目を白黒させながら、顔色を赤くしたり青くしたりした後に、糸の切れたマリオネットのように力を失って、ジャスミンへとしなだれかかった。
「ちょ――ちょっと、ジャス! あなた、パーム君に何を飲ませたのっ?」
屍鬼たちに向かって長鞭を振り続けながら、仰天してジャスミンに叫ぶアザレア。
だが、ジャスミンは涼しい顔で、パームを引き剥がすと――、何と、蠢く屍鬼たちの群れに向かって蹴り出した。
パームは俯いたまま、よたよたと力無い足取りで、屍鬼たちの方へと歩み行く。
「ジャ――ジャスッ? い――一体、何を? 頭でもおかしく……?」
「いいや? 俺は正常だよ」
ジャスミンは、声を荒げるアザレアの方へ振り向くと、ニヤリと薄笑んだ。
顔色を変えたアザレアは、その真紅の目を剥いて、彼に食ってかかる。
「正常? どこがよ! パーム君に変な薬を飲ませた挙げ句、屍鬼たちの方へ蹴り飛ばすなんて――」
「変な薬? いやいや、薬なんかじゃないよ~、アレは。……ああ、でも、ある意味薬か……」
そう言いながら、したり顔で、手にした空の小瓶を振ってみせるジャスミン。
「この中に入っていた液体……あれは――」
屍鬼たちは、背を丸めて不気味な沈黙を保ったままのパームに向かって、涎の零れる口元から、汚れた歯を剥き出しながら一歩一歩近付く。
そんな危機的状況のパームを、余裕の表情を浮かべて見守りながら、ジャスミンは片目を瞑って言葉を続ける。
「いわゆる“百薬の長の長”……最高純度の溶岩酒――さ」
「は――?」
ジャスミンの言葉を聞いたアザレアが愕然としたのと同時に、背中を丸めた若草色の神官服がピクリと身体を震わせる。
次の瞬間、真夏の太陽のような黄金色の光が、まるで爆発したかのように、辺りを目映く照らし出したのだった――!




