“ヒト”と“モノ”
時は少し遡る――。
「……行くのか?」
本部の建物内へ向かおうと背を向けたパームとヒースに、低い声がかけられた。
ふたりは、声の方へと振り返り、パームが小さく頷いた。
「――ええ。アザレアさんとジャスミンさんの助勢に向かわないと……」
「何だ? まだやる気かい? 死神……!」
犬歯を剥き出して構えようとするヒースに、蹲ったままのゼラは、僅かに微笑んだ。
「……いや。私には、もうその気はない。――もっとも、やる気だったとしても、さんざん掻き乱された瘴氣が、動ける程度まで安定するには、まだ時間がかかりそうだしな」
彼女はそう呟くと、頭を押さえながら、ヨロヨロと身を起こす。
そして、パームの目をじっと見つめながら言った。
「……神官、これからあいつの所へ行くというのなら、ひとつ覚えておいた方がいい事がある」
「……覚えておいた方がいい事……ですか?」
怪訝そうな顔で首を傾げるパームに、小さく頷きかけるゼラ。
「――ああ。……シュダの事だ」
「……!」
彼女の言葉に、パームの顔が緊張で強張る。
ゼラは、一呼吸吐き、静かに言葉を続けた。
「あの男には気をつけろ。アレは、もうヒトではない。――どちらかというと、私に近い……生物の理から外れてしまったモノだ――」
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「……ゼラさんの言葉の意味が、今、繋がりました」
パームは、夜の湖色の目を大きく見開き、茫然とするフジェイルに向かって、静かに言った。
「あの大広間で、貴方に初めて会った時に感じた、言いしれぬ恐怖と違和感……そして、痛みを伝えない神経、血を流さない身体……その全ての辻褄が合うんです。――貴方が、幽氣と尸氣、そして瘴氣を以て活動する屍人形だと……そう考えれば――」
「……私が……私自身が――屍……人形?」
フジェイルの掠れ声に小さく頷き、パームは言葉を継いだ。
「つまり、貴方は、死の間際……無意識の内に、自分自身にダレムの呪句をかけたんです。自らの死体を己の屍人形とする……。その事によって偶然にも、屍の中に残った貴方の魂の残滓が、貴方の屍自身を操り動かすという、実に歪な形の使役関係が成立してしまったのです。――そう、まるで大道芸の操り人形芸のように……」
「……ま……まさか……」
「……それは多分……姉様がお前を焼いた時……ね」
アザレアがボソリと呟いた。その目から一筋の涙が零れる。
「……良かった……。姉様は、キチンとアイツに借りを返して逝ったのね……。哀しいけど……少しは救われた……」
「……アザリー……」
静かに涙を流すアザレアを、複雑な表情で見つめるジャスミン。
彼は、フジェイルの頭を両手で抑えるパームに促す。
「……パーム、頼む。こいつの……そしてアザリーの十年を――終わらせてくれ」
「……はい」
ジャスミンの願いに、パームは表情を引き締めて頷いた。
そして、目前のフジェイルの貌を、ジッと見据えた。
彼の表情を見たフジェイルは、顔を引き攣らせながら、身を捩ろうと藻掻き、必死で逃れようとする。
「や――止めろ! 止めるのだ! 私は――こんな所では終われんのだ! 放せ――っ!」
「……その、貴方の妄執が、自身をそのような異形の身に堕とし、数多の人々を苦しめ続けた。――もう、終わらさなければいけないのです。貴方は、貴方のあるべき所へ――逝かなければならないのです!」
パームがそう叫ぶや、フジェイルの頭を押さえる彼の右手は紅く、左手は蒼く輝きはじめた。そしてパームは、額のアッザムの聖眼をフジェイルの額へと押し付ける。
そして――、
『――ブシャムの聖眼 レムの聖眼 アッザムの聖眼 三つ聖眼にて 穢レを浄めん!』
「あ――ああああああああああああっ!」
パームの口から、厳かに“ノリト”の聖句が紡がれると同時に、紅と蒼と黄金の入り混じった目映い光が部屋中に溢れた。同時に、フジェイルの口から、苦悶と恐怖と憤怒の入り混じった絶叫が発せられる。
「ウアアアアアアアッ! ああああああああああああっ!」
「……ッ――!」
フジェイルの背後で彼を羽交い締めにするジャスミンは、至近で発せられたフジェイルの絶叫に、思わず顔を顰めて首を竦めた。彼の叫びは――正に、断末魔の叫びと呼ぶに相応しい……心がささくれ立ちそうな、陰惨な響きを含んでいた。
「あああああぁぁぁあああっ! あああああああ……!」
もっと至近でフジェイルの断末魔に晒されているパームの顔には、ビッシリと脂汗が浮かぶ。時折眉間に皺を寄せ、歯を食いしばって、襲いかかる苦痛と嫌悪と忌避感と必死に戦っていた。
今、彼はフジェイルの心の奥底に侵入し、彼の変質し偏執した瘴氣を浄めようと戦っているのだ。
――と、
「ああああああああああああっ――――!」
「――ぐっ!」
「うおあっ!」
一際大きな絶叫と共に、フジェイルの全身から、夥しい瘴氣が放たれた。その凄まじい負のエネルギーに、彼を押さえ拘束していたジャスミンとパームは弾き飛ばされる。
「ジャスッ! ――パーム君!」
ハッと我に返ったアザレアが、慌ててふたりの元へと駈け寄る。
「……う、うう……」
「大丈夫? ふたりとも――!」
倒れ込むふたりの肩を揺すりながら、必死で声をかけるアザレア。と、彼女の手を、ジャスミンの手がしっかりと握り締めた。
「――ジャス……」
「……マズいな、こりゃあ……」
「……すみません」
うつぶせに倒れていたパームが、ゆっくりと身を起こす。蒼白になった顔に、絶望の表情を浮かべながら、夥しい漆黒の瘴氣を、霧のように全身から噴き出しながら佇む白装束の男を凝視して言葉を続けた。
「……僕の力が及ばなかったせいで……あの人を浄め切る事が――出来ませんでした……!」