色事師と復讐者
舞台は再び王都チュプリへ移ります。
「それにしても、突然だよな。いきなりサンクトルまで行って来いなんてさ」
夜闇に覆われたチュプリの裏街路を行きながら、ジャスミンは呟いた。
「……ええ、まあ。すぐ出発させられましたし……。何かあったんでしょうかね……?」
答えるパーム。
灯りもまばらで、そこかしこに転がる酔漢と、居酒屋のゴミ箱を漁る野良犬を避けながら、急ぎ足で歩く二人は、神殿の御仕着せから、動きやすい旅式神官服に着替えていた。
……もっとも、ジャスミンは、早くも自分流に着崩しているが。
彼らは、大きな背嚢を背負い、その中には野宿用のテントセットやヤカン・鍋、携行食料がパンパンに詰め込まれている。
彼らが向かっているのは、チュプリの東の外れ。街と外界をつなぐ四つの関門の一つ『エルード東大門』だ。
「……というか、ジャスミンさん」
「ん〜、何?」
「あの、何で、大通りを通らないで、こんな裏道をコソコソ歩いて行くんですか……?」
「……そりゃもちろん、見つかると面倒な奴がいるからだよ」
ジャスミンの脳裏に、先日対峙した凶悪な髭面が浮かぶ。
「……ああ、前におっしゃってたレイタス・ファミリーの幹部の方……。でも、その件は大教主様が収めていらっしゃるのではないですか?」
「まあ、そうなんだけど。多分それじゃ収まんない。ねちっこそ〜な奴だったから、こっそり復讐とかしたくてしたくてたまんなくて、チャンスを窺ってそうなんだよね~。あーヤダヤダ、しつこい男は。いい迷惑だぜ」
「……ジャスミンさん、僕はむしろ、その方に同情しますよ」
ため息をつくパーム。
「それにしても、何でアナタなんでしょう? 別にコドンテ街道を通るだけですから、治安も問題ないですし。護衛自体も必要無いと思うんですが……。というか、そもそも護衛になるんですか、ジャスミンさん?」
「――前から薄々感じていたけれど、何気に毒舌だよね、君」
苦笑を浮かべるジャスミン。
「……まあ、そこそこは自信あるよ。伊達に『天下無敵の色事師』として、数々の修羅場をくぐり抜けてきてないぜ!」
「……その修羅場って、大抵女性関係の碌でもない事が原因なんでしょう?」
「まーね☆」
「……はぁぁ」
何故か得意げに頷くジャスミンをジト目で睨みながら、パームは深い溜息を吐いた。
――パームとジャスミンが、大教主の執務室で「サンクトル壁外地区のラバッテリア布教所から、奉納されている宝具を一本回収してきて下さい」と命じられたのは、つい2時間前。その場で予め用意されていた旅装に着替えさせられて、神殿の裏門から、半ば放り出されるように、こっそりと出発したのだった。
本来なら、神殿からエルード東大門まで、徒歩でも40分くらいなのだが、“敵”の襲来を警戒するジャスミンにより、大通りを避け、辺りを窺いながら慎重に歩いてきた為、通常よりも大幅に時間がかかってしまった。
が、そこまで慎重に進んできた甲斐あって、何とか無事にエルード東大門に辿り着いた二人は、意外な光景を目の当たりにする。
「……オイ、あれって」
「え……関門封鎖?」
普段開け放たれている門扉が、今まさに固く閉ざされようとしており、門の前で多数の人間・馬車が行く手を阻まれて立ち往生していた。
「オイ! 何してくれてんだよコレは! 通れねえじゃねえかよ! さっさと開けろ!」
「ダメだ! 国王陛下からの勅令である! サンクトル付近で不測の事態が発生の為、暫くの間エルードの扉を閉じよ、との事だ! よって、開門の命あるまでは、通行は罷りならぬ!」
「カンベンしてくれよ! 俺はこの荷を10日以内にサンクトルのギルドに納めなきゃならねえんだ! 国王様は俺に破産しろとでも言うつもりかよ!」
「アタシはクルジツに帰りたいだけなのに、どうして通してくれないの? 子どもたちが待っているんです!」
「冗談じゃないよ! こちとら持ち合わせもほとんど無いってのに……。こんな所で足止めを食っちゃ、宿に泊まる金も無くなっちまうよ!」
「ええい! 何と言われても通せぬと言っておろうが! あくまで一時的なものだ! 事態を確認できれば封鎖は解除される予定である! おとなしく待っておれ!」
「予定っていつだよ! 何時何分何十秒?」
「子供か、おのれはぁ!」
巨大な門扉の前では、門の開放を求める人々と、それに応じない警備兵の間で、激しい押し問答が続いている。
ジャスミンとパームは、その様子を物陰から窺い、小声で囁きあう。
「……んー、やっぱり、何かあったっぽいな」
「そ、そうですね。『不測の事態』って、何でしょう?」
「さあな……ま、今回の俺達のおつかいの内容とは無関係じゃないのは確かだろうけどな」
「ど……どうしましょう?」
不安そうに尋ねるパーム。ジャスミンはやれやれといった表情で、
「どうするもこうするも、行くしかないだろ? あの爺さん、どうやらこの城門封鎖の件、先刻ご承知だったみたいだしさ」
素早い動きで、パームの上着の隠しから、一通の書状を抜き取る。
「だからお前に通行許可証を手渡してんだろ?」
「あ――」
掏摸顔負けの早業に反応できず、硬直したパームを尻目に、通行許可証を片手にスタスタと城門に向かって歩き出すジャスミン。
「さっさとコレ使って街の外に出ようぜ。こんな所でもたついて、あいつらに見つかりでもした――」
――と、
彼の足が止まる。一人の影が、彼の前に立ち塞がったからだ。
「『あいつら』というのは――俺の事か?」
「……あ……らららぁ~」
ジャスミンは思わず顔をしかめた。そのシルエットと、ドスの効いた声に覚えがあったからだ――無論、悪い方の。
「あー、お久しぶりですね……先日はお世話になりまして……奥様に。派手にのびてらっしゃいましたが、あれからお元気でしたか……えーと……バブ様?」
「モブだ! このクソ野郎!」
額に青筋を立てて怒鳴るモブ。
「ずっと神殿に見張りを付けておいた甲斐があったぜ! あの時は大教主のクソ爺が邪魔しくさりやがったが、今日はそうはいかねえぞ! この前の借りと女房の恨み、纏めて利子つけて、地獄行きの片道切符にして返してやらあ! 楽には逝かさねえぞ、ゴルァ!」
そう叫ぶと、懐から大型ナイフを抜き放つ。
「うわぁっ! な、何ですか、この方は?」
突然の事に状況を呑み込めないパームは声を裏返らせる。
ジャスミンは、青ざめた顔に引きつった笑みを浮かべて、
「いやぁ~、まさしく『噂をすれば影』ってヤツ……。いや、サブ……じゃないやモブ様、冷静になりましょ? ここはひとつ、文明人らしく話し合いで折り合いをつけましょうよ。どうやら俺とアナタとの間で、深刻な認識の齟齬があるようだ。まず、その誤解の溝を埋めて、それから――」
口を休むことなく動かしながら、周囲に目を走らせる。
彼らを周囲から取り囲む様に、複数の人影が闇の中から浮かび上がってきた。その各々の手には、銀色が鈍い光を放っている。
ジャスミンの端正な顔が焦燥で歪み、額には冷や汗が滲む。
彼は、黒曜石の瞳を縦横に動かし、活路を探る。
(やっばいな……この前より人数多いぞ、こりゃ)
今回は大教主の救いは期待できない、どうしたものか――