聖眼と聖眼、そして聖眼
「――打ち合わせは、終わったか？」
立ち上がったふたりを前に、銀の死神は、その怜悧な美貌に無表情を貼り付けたまま、静かな口調で訊いてきた。
「――ええ、お待たせしました」
パームは、鋭い目で彼女を見ながら、律儀に頭を下げる。
「へん！ 坊ちゃんが俺の傷を治している間や、話し合っている間に攻撃する隙はいくらでもあっただろうに……！ 随分と余裕だな、死神！」
一方のヒースは、苦虫を噛みつぶしたような表情で、唾を吐く。そして、右手の大棍棒を軽々と担ぎ上げた。
「その余裕が、てめえの命取りだぜ、死神ぃ」
「……」
ヒースの言葉にも沈黙を貫いたまま、死神は左腕を真っ直ぐ横に伸ばす。黒い左腕は、たちまち霧散し、瞬時に反りの浅い長刀へと形を変えた。
――それが、合図だった。
「……行くぞ」
今度は、ゼラが仕掛けてきた。音も無く地を蹴り、風のような速さで、ヒースに向かって斬りかかる。
咄嗟に、ヒースは大棍棒を縦に構えて、ゼラの黒い長刀の一撃を受け止める。
ギィン、という鈍い音が中庭に響いた。
「うらああアッ！」
ヒースはすぐさま、渾身の力で大棍棒を押し返す。ヒースの並々ならぬ膂力には勝てず、ゼラの軽い身体は、鞠のように吹き飛ぶ。
吹っ飛んだゼラは、空中でクルクルと身体を回転させて勢いを殺し、音も無く地面に着地するや、すぐさま前方――ヒースの方へ向かって、再度跳躍する。
だが、ゼラのその行動を、ヒースは既に読んでいた。
「行くぜエエエエッ！」
万雷の如き声をあげて、ヒースが力を籠めて大棍棒を振り下ろした――目の前の地面に向かって！
ヒースの渾身の一撃を受けた地面は深く抉られ、夥しい土砂や石が礫弾となって、ゼラに襲いかかる。
「――！」
思わぬ反撃に、ゼラは思わず立ち止まり、黒い長刀を形作った左腕を前に掲げる。黒い長刀は霧と化し、一瞬で黒い楯へと、その姿を変える。
黒い楯に、礫弾が当たり、バラバラと耳障りな音を立てた。
――と、
「おおおおおおっ！」
礫弾に紛れて、ひとつの巨大な影がゼラに襲いかかる。それは大棍棒を振り上げたヒースだった。
「食らいやがれえええいっ！」
雄叫びと共に、血管が浮き上がり、はち切れんばかりに筋肉が盛り上がった両腕を、死神の掲げる黒い楯に向けて振り下ろす。
ヒースの渾身の一撃を受け、さしもの防御力を誇る黒楯が、木っ端微塵に砕け散った。
そして、楯を打ち砕いた大棍棒は、勢いそのままに、ゼラの左肩に炸裂する。
「ぐッ……！」
初めて、ゼラの口からくぐもった呻き声が漏れた。大棍棒の一撃は、まるで板に打ちつけた釘のように、彼女を地面深くめり込ませる。
――それだけではない。ヒースの並外れた膂力を以て放たれた一撃は、死神の肩口から鳩尾に到るまで、一気に断ち割った。
しかし、彼女は平然としている。僅かに顔を顰めただけだ。
断ち切れた傷口から溢れたのは、真っ赤な鮮血ではなく、夥しい黒い霧。黒い霧が断面に纏わり付くと、傷口から肉が盛り上がり、食い込んだ大棍棒を押し返しながら、どんどん再生されていく。
普通の人間相手ならば、十二分に致命傷――だが、この“銀の死神”にとっては然に非ず……！
しかし、そんな絶望的な状況で――ヒースの口元には、不敵な笑みが浮かんでいた。
「――今だ！ 行けぇいっ、坊ちゃん！」
「！」
ヒースの声と共に、彼の背中がムクリと動いた。
次の瞬間、しがみついていたヒースの背中からゼラに向けて飛びかかってきたのは、金髪の神官だった。
死神は、完全に不意を衝かれ、目を見開くが、大棍棒が深く食い込んだ身体は動かす事もかなわない。
驚愕の表情を浮かべるゼラの側頭部をがっしりとパームの手が掴む。
彼の口から、静かに聖句が紡がれる。
『――ブシャムの聖眼 レムの聖き眼 アッザムの聖眼 三つ聖眼にて 穢レを浄めん！』
パームは、聖句を唱え終わるや否や、勢いをつけて、アッザムの聖眼が刻み込まれた額を、ゼラの額へぶつける。
次の瞬間、パームの右掌から紅い光、左掌からは蒼い光、そして額からは黄金の光が溢れ出し、ゼラの頭を鮮やかに照らし出す。彼女の銀髪が光に照らされて、キラキラと眩しく光った。
――と。
「――ア、アア……アアア――アアアアアアアア――――ッ！」
ゼラの口から、今までに無く苦しそうな絶叫が漏れ出る。同時に、何とかパームを振り払おうと必死に藻掻くが、大棍棒を彼女の傷口に押し込み続けるヒースの怪力によって、その動きを阻害される。
一方のパームは、激しく振り回されながらも、死神の頭を挟み込んだ両掌を決して離さず、その額は彼女の額に密着させたまま、じっと目を閉じたままだった。
「……ああ……止めろ！ 止めろぉおっ！ 私の――私の中に入ってくるなあああああああっ！」
ゼラは目を剥き出し、口から泡を吹きながら――やがて、眼から溢れ出てきた黒い涙を、滂沱の如く流し続ける。
「…………！」
ヒースは、ゼラの様子を目の当たりにし、彼らしくもなく気圧されて、思わず大棍棒にかける力を緩めてしまった。――が、ゼラは最早藻掻く事も忘れたかのように、力無く立ち続ける。
ヒースは、ふと、気付いた。
（……傷の再生が――！）
ゼラのパックリ割れた傷口から、活火山の噴火口のように止めどなく溢れ出ていた黒い霧が、ピタリと止まっていた。そのせいで、傷口の再生も殆ど進んでいない……。
――明らかに、今、パームが彼女に対して行っているそれの影響だろう。
ヒースは、ゼラに張り付いているパームの背に向かって、小さく呟いた。
「――頼むぜ、坊ちゃん。――『死神を御せるのは僕だけ』と吐いた言葉を、証明してみせろよ……！」
