哄笑と憤怒
「――と、言う訳だよ、アザレア」
そう言うと、実に愉しそうに十年前の顛末を語った、ダリア傭兵団団長シュダ――否、フジェイルは、十年前から年月を経た右側の顔を歪めて哄笑した。
と、ふっと真顔に戻り、焼け爛れ引き攣れた左頬に手を当てた。
そして、一瞬前までとは打って変わった、憎悪に塗れた表情で呪詛の言葉を吐く。
「まったく……あの阿婆擦れにはやられたよ。あの女に重度の火傷を負わされた私は、ゼラに助け出され、隠れ家へと潜伏したものの、数ヶ月は動く事も叶わなかった。その間に、アケマヤフィトにおいて、公国騎士団によるアケマヤフィト住民の大量粛清――所謂“赤き雪の降る日”が発生してしまった……」
“赤き雪の降る日”という単語が耳に入り、それまで、へたり込み、茫然とするばかりだったアザレアの肩がピクリと動く。
「本来だったら、公国騎士団とアケマヤフィトの総督軍の衝突に介入し、アケマヤフィト住民諸共、ゼラが全ての人間を喰い尽くす予定だったのだがね……。この忌々しい火傷のせいで動く事も能わず、みすみす機会を逃してしまった……。それどころか、それまでコツコツ造った、私の可愛い屍人形達も戦火に焼かれ、全て灰になってしまった……! お陰で、私の計画が十年は遅れてしまったという訳だよ!」
瞼が焼け落ち露わになった眼球を飛び出さんばかりに剥いて、顔面を歪めるフジェイル。
「実に忌々しい! キミの姉君は、私から十年というかけがえのない時間を奪い去ったのだよ! ……結局、ようやく身体を動かせるようになったのは、あの日から1年以上経ってから……。おまけに火傷の痕は全身に残り、特に顔面はこの有様さ!」
そう絶叫すると、フジェイルは焼け爛れ、肉が損なわれた左半面を指さした。
「…………でしょ?」
「……ん? 何か言ったかい」
俯いたまま、小さく呟いたアザレアの声を聞き咎めたフジェイルは、彼女の顔を覗き込む。
彼女は、虚ろな目でうわごとのように同じ言葉を繰り返していた。
「……ウソでしょ? ……私は……今までずっと……姉様の仇の横で……」
「――ああ、そうだよ」
フジェイルは、彼女の言葉を聞き取ると、大きく頷いた。
「君は、今日までずうっと、姉を手にかけた男に仕え、慕っていたのだよ。実に愚かで哀れな娘だ」
そして、嗜虐的な薄笑みを浮かべ、俯くアザレアの耳元に口を近づけ、彼女にとどめの一撃を与えんとする。
「――私は、ずっと笑いを押し殺しながら、君と接していたのだよ。――やっと、大っぴらに嘲笑い飛ばす事が出来る。……ふふ……クククク……クハ――ハッハッハッハッ!」
「嗤うなァッ!」
アザレアは絶叫して、腰に提げた長鞭を抜き放ち、脇に立つフジェイルに向かって打ちつけんとした。が、フジェイルは身軽に飛び退き、彼女の憤怒の一撃を躱す。
アザレアは、その紅玉の瞳に煉獄の炎を宿し、狂ったように輝かせながら、ギリギリと歯噛みする。
「――赦さない……。貴方……お前は、姉様に変わって、この私が灰にしてやる、シュ……いや、フジェイル!」
「ふふ……果たして、君に出来るのかな? 君の姉上……“紅蓮のロゼリア”ですら斃し切れなかった、この私を。世間知らずで甘々で、利用されている事にも気付かずに仇を慕うような、鈍感で愚かな君ごときに――!」
「黙れェッ! 『火を統べし フェイムの息吹 命の炎! 我が手に宿り 全てを燃やせ』ッ!」
絶叫するように聖句を唱え、アザレアの手にする長鞭が忽ち燃え盛る。その轟炎を目の当たりにしたフジェイルは、焼け爛れた顔を顰める。
「……あれ以来、炎は見るのも嫌だが……。特に、君の繰り出す炎は、あの女の炎とそっくりで、見る度に虫唾が走るんだよ……!」
そう忌々しげに吐き捨てると、目の前に手を翳して、目を逸らす。
「燃え散れッ!」
そんなフジェイルの動きに構わず、彼女は炎鞭を、目の前の憎き仇に向けて、思い切り振るう。
フジェイルは身体を捻って、炎鞭の巻き起こす火炎を躱し続けるが、炎鞭の苛烈な攻撃は絶える事無く、遂に彼を部屋の隅へ追い詰める。
『地を奔る フェイムの息吹 命の火! 我が手を離れ 壁を成せッ!』
すかさず、アザレアが新たな聖句を唱える。フジェイルの前に、高さ2エイム以上の燃え猛る炎の壁が築かれた。
「トドメだ! 今度こそ燃え尽きろ、この焼け損ないめッ!」
絶叫と共に、振り上げた炎鞭を、フジェイルの脳天に向けて振り下ろした。
――と、フジェイルの唇が、のろりと動き出す。
『――ダレムノチ チギリカワセシ シカバネヨ ヤドリシタマシイ ワレニシタガエ!』
呪句を唱えた彼はニヤリと嗤い、右手の指をパチンと鳴らす。
――次の瞬間、轟音と共にフジェイルの背後の壁が粉々に爆ぜ散り、そこから飛び出した何者かの影が、フジェイルの前に立ち塞がった。
ビシィッ!
乾いた音がして、アザレアの必殺の一撃は弾かれた。
「!」
意想外の事に、一瞬体勢を崩されたアザレアだが、すぐさま立て直し、彼女の邪魔をした者を睨みつけ――、
「――!」
絶句した。
彼女の炎鞭を弾き飛ばした大剣を右手に持ち、ユラリと立つ漆黒の甲冑の壮年の騎士。
あが、彼が放つ雰囲気はあまりにも異様――。
その顔は土気色に染まり、目は虚ろで焦点が定まっておらず、口の端にはどす黒く固まった血の筋がこびり付いている。
――明らかに、生者の佇まいでは無かったのだ。
「――そう言えば、君は初めて見るんだね、彼の事は」
フジェイルは、闖入者の背後で、ニタリといやらしい笑いを浮かべた。
彼は一歩踏み出すと、炎に囲まれた中、芝居がかった仕草で高々と呼び上げた。
「紹介しよう。彼こそが、私の新しいコレクション。元バルサ王国最強騎士団団長――ロイ・ワイマーレくんだよ」