右掌と左掌
「な――何だ! 何が起こった……って、貴様ら!」
いつもは、虫の声さえ聞こえない重苦しい静寂に包まれているはずの、深夜のダリア傭兵団本部に突如響き渡った轟音に眠りを妨げられ、泡を食って音の源へと駆けつけた傭兵達。
彼らは、牢舎の壁が見るも無惨に崩れ落ちているのと、そこからのそのそと出てきた三人の影を見付けて、驚愕しながら叫んだ。
「やべっ! もう見つかった……っていうか、あんだけデカい音を立ててりゃ当然かぁ!」
と、しまったという顔で舌を出したジャスミンは、背後を振り返ってウインクをしてみせる。
「……つー事で、オッサン! 責任とってよね!」
「やれやれ。新しいボスは、人使いが荒いねえ」
「あ……待って下さい、ヒースさん……まだ、傷が塞がってなくて……」
立ち上がろうとするヒースを、左手を彼の額に翳しながら必死で押し止めるパーム。
彼が目を閉じて集中すると、左手から溢れる蒼い光が強まり、ヒースの額を濡らす傷口がみるみる塞がっていく。
「てめえらぁ! 何してくれてるんじゃぁあ!」
だが、傭兵達に、ヒースの治療を待ってやる理由も義理も無い。彼らは短剣やサーベルを抜き放ち、狭い廊下を一列になって、脱獄者たちへ向かって突進する。
「お……おい、来たぞ! マズいって……。俺、今、無ジンノヤイバ持ってねえんだぞ!」
そう、悲鳴を上げながら、素早くヒースの広い背中の陰へと隠れるジャスミン。
「じゃ……ジャスミンさん……、それは少しみっともない……」
「だってしょうがないじゃん! さすがに丸腰は無理無理無理のカタツムリ!」
ハラエを施しながら呆れ顔のパームに向かって、口を尖らせるジャスミン。
「やれやれ。しょうがねえなぁ」
ヒースは、苦笑いを浮かべると、足元の小さな瓦礫をいくつか拾い上げると、
「――ホラよっ!」
と、迫り来る傭兵達に向かって投げつけた。
「――ぶべらっ!」
カ――――ンと、乾いた音を立てて、何人かの傭兵の頭に瓦礫が命中し、傭兵達は白目を剥いて仰向けに倒れる。
「オイオイ、死んだんじゃないの、あの人たち……?」
ジャスミンが、ヒースの背中から顔だけ出して、思わず相手の安否を心配する。ヒースは、彼の言葉に対して、肩を竦めてみせた。
「いやいや、あれでも、最大限優し~く投げてやったぜ。あれくらいじゃ死なねえだろ……多分」
「オッサンの『優しく』は、ぜ~んぜん優しくなさそうだけどなあ……」
「――って、次、来ましたよ!」
パームの叫んだ通り、仲間の身体の陰に隠れて石礫の直撃を避けた傭兵が、昏倒する仲間の身体を飛び越えて、無謀を顧みずに突っ込んでくる。
「おっとっと……石、石……と」
ヒースは足元を探るが、手頃な瓦礫が見つからない。
「おい! オッサン、前、前っ!」
ジャスミンが悲鳴を上げて、慌ててヒースの背中の後ろに隠れる。
その時、
『ブシャムの聖眼 宿る右の掌 紅き月 集いし雄氣 邪気を滅するっ!』
ミソギの聖句が唱えられると同時に、真っ赤に輝く光球が、傭兵の方に向かって放たれ、彼の身体に到達するや、紅い光の衝撃波と化し、その身体を駆け巡った。
「が、ああああ……!」
傭兵は、くぐもった悲鳴を上げると、白目を剥いて、糸の切れた操り人形のように、その場に頽れる。
「……ふう」
安堵の溜息を吐いたパームは、左手はヒースの頭に翳したまま、“ミソギ”を放ち、仄かに紅く光るブシャムの聖眼が刻まれた右手を下ろした。
「ひゅ――、やるじゃん、パーム君! “ハラエ”しながら“ミソギ”をぶっ放すとか……成長したねえ~! 果無の樹海の頃とは見違えるわ!」
ジャスミンが、思わず口笛を吹いて、パームを絶賛する。パームは照れて、端正な顔の白い頬を真っ赤に染めた。
「……いや、からかわないで下さいよ、ジャスミンさん。――はい、ヒースさん。塞がりました……傷」
「お、すまねえな、坊ちゃん」
パームが翳した左掌をどけると、ヒースの額にパックリと開いていた傷は、嘘の様に消えていた。
「大したもんだな、坊ちゃん。負傷してなんか無かったみてえに、痛みが引いたぜ」
「もう……ヒースさんまで……」
パームは、耳の先まで顔を真っ赤にして照れている。
「――っと、いつまでもこんな所でマッタリしている訳にもいかない。……まずは、得物だ。ずっと石礫で戦う訳にもいかないからな……」
ジャスミンは、そう言うと、スックと立ち上がった。
「行こうぜ。牢舎の詰め所に向かうぞ。……アザリーが、言ってた通りにな」