筋肉と破獄
「……でも、牢から出る以前に、この縄をどうにかしないと……」
と、パームが顔を曇らせて、恨めしげに身体に巻き付いたロープを見た。
「――あん? ああ~……」
ヒースは目を落として、己を拘束するロープをチラリと見て、小さく頷いた。
「坊ちゃん、お前はこの紐の事を言ってるのか?」
「ひ――紐?」
「こんなモン……こうすりゃ!」
ヒースはニヤリと笑うと、息を止めて、全身の筋肉に力を込め始めた。
「むうううううううう…………んんんっ!」
赤黒い血管が全身に浮き上がり、モリモリと筋肉が膨張する。膨れ上がった筋肉に耐え兼ね、身体を雁字搦めに拘束する太いロープが、悲鳴のように軋みを上げ始めた。
「ちょっ! ヒースさん、大丈夫ですか? これには、確か……拘束強化術が……」
パームが、ヒースを気遣って叫ぶ。彼の言う通り、ヒースを縛る縄が白く輝き、ギリギリとその締め付けを強める。
ヒースの顔が真っ赤に充血し、彼の身体には、まるで成形されたハムを縛る紐のように、ロープが食い込んでいく。
だが、ヒースは筋肉に力を込めるのを止めない。
拘束強化術式縄とヒースの筋肉の我慢比べ――
――その軍配は、ヒースに挙がった。
「ぬううううううううううううううんんんッ!」
ヒースが、渾身の力を筋肉に込めると、その膨張力に耐えられなくなったロープは、乾いた音と共に、遂に千切れ落ちた。
数ヶ所に渡って破断され、もはや力無く身体に纏わり付くだけのロープを、自由になった腕で払い除けながら、ヒースは肩で息をしながらも、ニッカリと豪快な笑いを見せた。
「――ほら、カンタンだろ?」
「カンタン……って、そんなん出来るのはアンタだけやっちゅーねんッ!」
涼しい顔で言ってのけるヒースに思いっきり突っ込むジャスミン。
彼は、肩を揺すって、自分の身体に食い込む縄を示した。
「まあ、いいや……。オッサン、自由になったんなら、俺達の縄も外してくれ」
というジャスミンの言葉に、ヒースは悪戯っぽく笑いながら答える。
「あー? 自分でやれよ。ちょいっと力を込めて、縄が食い込んでくるのを我慢すればカンタンに――」
「で・き・る・かっ!」
「ちっ、しゃーねーなー」
ヒースは、やれやれと肩を竦めて、ふたりの縄の結び目を解き始める。
「……あー、くそっ。結び目が小さすぎて、外し辛えっ!」
「……いや、それはオッサンの指がデカすぎるから……」
と、10分ほど悪戦苦闘しながらも、やっとの事でふたりの拘束は外れた。
「あー! スッキリしたぁ! もう、肩とか手首とかがバッキバキに痛えよ!」
ジャスミンは、せいせいした顔で、ぐるぐると腕を回しながら叫ぶ。
パームは顔を顰めながら首を回し、牢の分厚い鉄扉に触れた。
「――縄を外せたのはいいんですが……、この扉を開けられないと、外には出られませんよね……」
彼は暗い顔で言う。
「どれどれ……ちょいと見せてみな」
と言うと、ヒースは四つん這いで(牢内の天井が低い為、ヒースの背だと、頭を天井にぶつけてしまうのだ)扉まで寄ると、その巨大な拳で、ゴンゴンと軽く叩いた。
「ほう……思ったよりも分厚い鉄扉だな。ここをぶち破るのは、ちいとばかし骨かもしれねえな」
「おいおい、天下のヒース様ともあろうものが、もうギブアップかい?」
「誰もそんな事ぁ言ってねえぜ? 俺は、『ちいとばかり骨だ』と言っただけよ。――ただ、無駄な労働はしないに越した事は無いだろ?」
ヒースはそう言って不敵に笑うと、鉄扉の横の石壁をゴツゴツと叩いた。
「――こっちの方が楽そうだな……っていうだけの話よ」
「え――! ヒースさん、まさか、その石壁を……?」
驚愕の表情でパームが発した言葉に、ヒースはニヤリと笑って頷いた。
彼は、ふたりに向かって軽く手を振って、
「色男と坊ちゃんは、隅っこの方で見てな。欠片が飛んできて当たっちまうからな」
と言い、四つん這いのまま真っ直ぐ後ろへと下がっていく。そして、背後の壁まで行くと、両手を床に付けて腰を上げた。
「おいおい、マジかよ、オッサン! まさか、体当たりで石壁をブッ壊そうってんじゃ――!」
「ジャスミンさん! 伏せた方が……!」
引き攣った笑いを浮かべるジャスミンの頭を手で押さえ込んで、パームは顔を伏せた。
「――うおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉっ!」
次の瞬間、ハテナシクロヤシャオオザルの咆哮をも凌駕するような轟哮を上げたヒースは、脚の筋力を全解放し、放たれた矢の如き勢いで前方の石壁に向かって突進した。
万雷が一斉に落ちた様な凄まじい轟音が響き渡り、大小さまざまな瓦礫が飛び散り、濛々とした土煙が牢の中に充満し覆い尽くす。
身体を伏せたふたりの背中や後頭部にも、細かい礫がパラパラと降りかかった。
「ゴホ、ゴホ! だ……大丈夫ですか、ジャスミンさん」
「ゲフ、ゴホッ! 大丈夫なんかじゃ無いわっ! 目ぇ痛えし、口ん中に埃が……ペッ、ペッ!」
「……うん、大丈夫そうですね」
そう言って、パームが半分呆れ顔で顔を上げる。濛々と舞い上がる土煙はようやく収まりつつあった。
「あ――……」
そして、パームは、目の前の光景に茫然として言葉を失った。
鉄扉の左の石壁に、丸々と巨大な穴が開いていて、松明の光に照らし出された、薄暗い廊下が見える。
「よお……」
そして、穴の外側に堆く積もった瓦礫の山の中から、太く逞しい腕が突き出た。そして、巨大な影が、ガラガラと音を立てながら起き上がった。
頭から一筋の鮮血を流し、体中埃まみれの巨漢が、真っ黒な顔を綻ばせ、白い歯を見せながら手招きした。
「さて、牢は破ったぜ。――サッサと行こうぜ。銀の死神と……姐ちゃんの所へよっ!」