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国主と大教主

「まあまあ、皆様、そうはしゃがずに。陛下の御前ですぞ~」


 彼らの前に、皺だらけの好々爺が、己の禿頭を撫でながら立っていた。

 前方に広げたその右掌の『ブシャムの聖眼』は、放った雄氣の余韻で、微かに紅く瞬いている。


「……だ、大教主だ」


 誰かの呟きが一同に伝播する。次の瞬間、殴りかかろうとしていた者も、殴られそうになっていた者も、マウントをとった者も、とられた者も慌てて姿勢を正し、微笑を浮かべる老人に恭しく一礼した。

 例外は、吹っ飛んだ国務大臣と王国軍総司令官。二人とも完全に気を失い、白目を剥いてのびている。


「ほっほっほっ、あー、みなさん、こんにちは」


 大教主は相変わらず柔らかな笑みを浮かべ、状況に全くそぐわない挨拶をした。

 それだけで、周囲の殺気だった空気が薄まる。のほほんとした大教主の雰囲気に癒された――というよりは、大教主の右手の力に恐れをなしているからだが……。

 そして、壇上で立ち尽くすトロウスに向き直り、恭しく頭を垂れた。


「あ、これはこれは、バルサ二世陛下。ご機嫌麗しゅうございます」


 はじめて我に返った様子で、大教主の顔を呆然と見るトロウス。


「……だ、大教主。――聞いていたか」

「……ええ、申し訳ございませぬ。少々遅参致しまして……ホッホッホ。素知らぬ顔で列に並ぶことも叶わず、やむを得ず、柱の影にてこっそりと一部始終を伺っておりました」

「――どう見る。お主は」

「まあ、状況はあまり宜しいとは言えませぬな。しかし、全てを判断するにはまだ情報が少のうございます。まずは、性急に動く事は避けるべきかと。その点では、サーシェイル殿と同じ意見でございますな」

「――うむ、そうだな……。しかし、それではサンクトルが……」

「別に良いのではないですか?」

「へ?」


 大教主ののほほんとした声に呆けた声を上げるトロウス。否、広間に居合わせた全ての人間の口から同じ声が漏れた。


「寧ろ、ちょうど良い機会ではないですかな?ホッホッホ」


 朗らかに笑う大教主。


「半独立の自由貿易都市という、実に中途半端な存在が王国首都のすぐ隣に存在しているというのは、あまり宜しい事ではございませぬ。先王陛下の御力を以ってしても、完全に併呑する事は叶いませんでしたが、今回は、サンクトルの地を我ら(バルサ王国)が手に入れるいい機会です。この際、一度サンクトルには陥ちて頂きましょう。ダリアの傭兵の皆様には、少しの間サンクトルで我が世の春を楽しんでいていただき――そして、その後」


 大教主の糸のように細い眼が、微かに開かれ、鋭い光が射した様に見えた。


「満を持して、サンクトルの四方を取り囲む形で各方面から軍を派遣し、サンクトルの傭兵団を殲滅。まあ、無頼共から街を救って差し上げた程度の借りでは、サンクトルを完全に支配下に置く事は難しいかもしれませぬが、ギルド長には、駐屯軍を置かして頂き、ギルドへの徴税権も少しは認めて頂く位の譲歩はして頂けるでしょう。ホッホッホ」


 穏やかな顔で、冷徹で物騒な皮算用を述べる大教主。


(…………えげつねえ)


 皆、口には出さないが、目の動きが如実に心中を語っている。


「……そ、そう上手くいくものだろうか?」


 一人、口に出して懸念を表明したのは、この広間の最高権力者。


「も、もし、仮にだ。そもそも、傭兵共が我らより強かった時はその計算は成り立たないのではないか? 奴らは……」


 そのまま口をつぐむトロウス。だが、一同はその先に彼が言いたかった内容が痛いほど分かった。

 全員の視線が、床に広がる襤褸切れに集まる。


「……ええ、その可能性はございます」


 大教主はわずかに顔を曇らせ、あっさりと肯定した。

 大教主は合わせた両手を額に当てる、ラバッテリア教の鎮魂の祈りを、床の変わり果てた軍旗に向けて捧げ、その口を開く。


「であれば……尚の事、慎重を期すべきかと。まずは守りを固め、相手の情報を集め、見極める。これこそが重要でございます。されど――」


 大教主は言葉を切り、一同を見回した。


「チュプリに籠るのはおススメではありませんな。王国軍全体の士気に響きますし、国民の不信も煽ります。ここは、チュプリとサンクトルのちょうど中間、コドンテ街道の中途にあるアタカードの関まで、近衛軍を押し出し、守りを万全と致すのが最適かと。さすれば、国民の目にも消極的とは映りますまい」


 そこまで言うと、大教主はにっこりと微笑んだ。


「――分かった」


 トロウスは、その顔をまっすぐな眼差しで見据え、威厳に満ちた声で言った。


「なれば、その軍、余が直々に率い、我らの覚悟を世に示そうぞ!」

「それが宜しいかと。流石は陛下、ご英慮にございます」

「なに、余を褒めるな。これは親父の受け売りだ。親父は余に事あるごとに言ったものだ。『劣勢の時にこそ進んで先頭で戦う。それが王に課せられた使命。そして見せ場だ』とな。余にとってもチャンスかもしれぬ。我がバルサ二世の名を、世界に知らしめる……で、あろう?」


 そう言って、すっきりとした表情でトロウスは微笑んだ。その顔を見た大教主の顔も綻ぶ。


「いやいや、彼岸で先王陛下もお喜びでございますぞ。ご立派になられた。ホッホッホ……私の背中でおねしょをされていた頃とはえらい違い――」

「大教主! な、何を言うのだ? そんな古い事を……!」

「ホッホッホッホッホ」

「――と、とにかく!」


 咳払いで話を誤魔化したトロウスはきりりと表情を改めて言った。


「早急に近衛軍を再編成し、アタカードの関に向けて出陣の支度を行わなければならぬな。――で、大教主よ、バルサ王国国王としてラバッテリア教大教主に要請したいのだが――」

「承知しております。当方より、王国軍に治癒神官団を派遣させていただきます。もとより、神殿に戻り次第、神官の選定を行わせて頂くつもりでございました」

「うむ、すまんな。出来るだけ神官達には戦闘に巻き込まれる事の無いように配慮させていただこう」

「ご深慮頂き、ありがとうございます。まあ、彼らもいざとなったら己の身一つくらいは守れる者達ですからの。存分にこき使ってやってくださいませ。ホッホッホッホ」

「あ…………」


 福々しい笑顔で右手を上げてみせる大教主。広間の全ての人間が視線を向けた、気絶し、床に転がる文武の責任者が、何よりも雄弁に、その言葉を裏付けていた――。

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