羽音と風切り音
「あ……あ……ああ……あああ――」
ヒースの大棍棒が水龍の頭蓋を粉々に叩き割ったのを見た瞬間、ウィローモは眼を飛び出さんばかりに見開き、まるで餌をねだる鮒の様に口をパクパクさせる。
「あああ……ああああああァァァァッ!」
やがて、充血した目から夥しい涙を流しながら、大水龍の頭の上で地団駄を踏んで暴れ回る。
「赦さない赦さない赦さない赦さない赦さない赦さない赦さないッ! オマエたちッ、このボクの大事な道具をこんなに壊しやがって! もう容赦しない! オマエたち全員を八つ裂きにして、身体は魚の餌にして、首は塩漬けにしてから木の枝に挿して、烏共に食わせてやるゥッ!」
「おうおう、怖い怖い」
ヒースは、水龍の鮮血と脳漿がこびり付いたままの大棍棒を肩に担いで、大袈裟に肩を竦めながら軽口を叩く。彼の一糸纏わぬ古傷塗れの巨軀も、水龍の返り血を浴びて、すっかり真っ赤に染まっている。
「前菜ごっそさん。ちょっと味付けが薄すぎて物足りなかったけどな。次は、いよいよメインディッシュ……ちょっとは期待させてもらってもいいかな?」
「ぜ……前菜だとっ! どこまでも馬鹿にしやがって!」
ヒースに、自慢の水龍達を前菜呼ばわりされたウィローモは、顔色を変えた。
目を剥いた彼は、突然腰のベルトに差した細身の剣を抜き放つと、自分の足元――即ち、大水龍の額に思い切り突き刺す。
「ギャ――ギャアアアアアアアアアッ!」
大水龍は、思わぬタイミングでの急所への一撃に、甲高い苦悶の咆哮を上げ、文字通り七転八倒して暴れ回る。
ウィローモは、彼を振り落とさんばかりに、激しく振り回される大水龍の頭の上で器用にバランスを取りながら、声高らかに命じる。
「さあ、怒れ怒れ! 仲間を屠られた怒りに、ボクに傷つけられた理不尽への怒りを加えて、目の前のコイツらにぶつけてやれええっ!」
「……いや、前半はともかく、後半はタダの八つ当たりじゃねえか――?」
「ギイエエエエエエエエエッ!」
ヒースのツッコミも聞かずに、大水龍は大きく咆哮し、その巨体を捩った。
次の瞬間、ヒースの立つ床が、モコッと盛り上がった。
「――!」
ヒースが床の異常に気付き、飛び退こうとしたが、一瞬遅かった。
床の木材が、乾いた音を立てて割れ裂け、下から黒光りする大水龍の太くて長い尻尾が突き出てきた。
巨大な尻尾は、床を突き抜けた勢いをそのままに、ヒースの胴体にグルグルと巻き付き、彼を裂けた床の下――黒々としたナバアル湖の中へと引きずり込もうとする。
さすがに水龍相手に水中戦は分が悪い。ヒースは表情を引き締め、胴に絡まった大水龍の尻尾を両手で抱えて、湖中に引きずり込まれまいと踏ん張る。
「む―――ううううううん!」
たちまち、ヒースの顔面は真っ赤に紅潮し、全身から滝のように汗が噴き出し、筋肉は膨張し、血管が浮き出てドクドクと脈打った。――が、大水龍の度外れた怪力は、ヒースの力を上回った。
ヒースの身体は、床の裂け目へ向かってゆっくりと引きずられていく。
「――ヤバい! このままじゃ、オッサンが湖に落ちちまう!」
狼狽したジャスミンが叫びながら、ヒースの元に走り寄ろうとし、アザレアは長鞭を振りかぶり、パームはブシャムの聖句を唱えながら右手を掲げ――ようとして、右腕に走った激痛に表情を歪めた。
「ふん!」
ウィローモは、三人の動きを視界の隅で認めると、鼻で嗤い、口を窄めて息を吹いた。細く高い口笛が、水龍達の攻撃によって吹き飛んだ天井の向こう――漆黒の夜空に鳴り響く。
…………バサ……バサバサ……バサバサバサバサ!
「……何だ、この音――――羽音?」
「何か――飛んでくるわ! 気をつけて!」
アザレアは、空を仰いで目を凝らす。疎らな星々の煌めきを遮る、夜空よりも黒い、膜のような薄い羽――。
「――ボクが何故、“水龍遣い”では無く、“魔獣遣い”を名乗っていると思う?」
ウィローモはそう言うと、口元に左手の親指と人差し指を当て、鋭く指笛を吹いた。
「それは、ボクが操るのは――水龍だけじゃないって事さッ!」
指笛が響いた瞬間、上空の羽音が、その音を変えた。無数の風を切る音が、三人に向けて近づいてくる――!
アザレアの目が、高速で近づいてくるものの正体を捉えた。
「みんな、伏せて――!」
彼女は、そう叫び、自身も首元を押さえて床の上に伏せた。
あの、極端に横に広く、かつ薄い羽のシルエットは――!
「カミソリオオコウモリ――!」