11話 発情
里の西側にいても、マナの匂いがはっきりと判る。時間が経つにつれて濃く、目の前にいるかのように。
人間を斬りつけたのは退ける為だけではなく、その匂いを血で誤魔化したかったから。
欲しい、欲しい、欲しい
次その顔を見た時、何をするか分からない。発情という欲求が収まるまで、里に戻らない方がいい。
そう思った時、マナの血の匂いが鼻腔を通ったのだった。脳が命令する。喰われる前に喰え――と。
「よくも……よくも俺の腕を……!!」
気付いたら瞬時にマナの血の匂いのする場所にいて、彼女を傷つけようとした人間の右腕を斬り落としていた。
前にも同じ事があった気がする。現代のダリス城で父親の腕を斬ったのだ。その時はマナを助ける事で必死だったが、今は違う。
「……んを、……ずつけ……って」
意識が朦朧とする。マナから漂う誘われるような甘い香りで、理性と、本能と戦ってる。
緋媛の後ろ姿からもその様子は伺えたのだが、マナにとっては具合が悪いのかもしれない程度にしか見えない。自分が原因とは思いもしないのだ。
大男が左腕を大きく振り、体重をかけるように殴り掛かる。
「俺のモンを……」
「ぬぇい!」
「傷つけやがって!!」
一瞬で大男の懐に入り、炎を纏わせた刀で脳天から真っ二つに切り裂く。刀が地に付いた瞬間、ゴッと炎が吹き上げる。その炎は虫の息だった人間さえも巻き込んだ。
熱風がマナを襲い、肩の傷口が焼かれるような痛みが増す。
そんな彼女の前に、息が荒くなっている緋媛がやってきた。目がおかしい。細めて眉が寄っている。
ここまで全力で駆けつけたから疲れているのだろう。そう予測したマナは、それでも緋媛の行いを叱りつけるべきだと判断した。
「や、やりすぎです……。何も殺さなくても良いではありませんか! シドロの事だってそうです! 人間は話し合えば改心するのです! なのにこんな……こんな恐ろしい事……! 貴方は獣です!」
叫ぶマナの前で、自身の腕を斬る緋媛。ボタボタと流れる血を口に含み、彼女の前にすっとしゃがむ。がしっとその体を掴み、背を向けるようにくるっと回転させた。
「何をするのです! 私の話を聞いて――」
傷口のある肩の着物を引き裂き、牙を立てた。激痛が走る。
――が、それも一瞬だけ。緋媛に舐められる度に痛みが和らいでいく。
龍の血には治癒力がある――。
そんな話を聞いた事を思い出した。傷を治すための行為なのだという考えがマナの頭を過る。ならばわざわざ血を口に含まなくてもいいはず。
「あ、あの、もう結構ですから……。痛みはなくなりましたので」
「……っ、に、げろ」
苦しそうに言いながら、彼女を抱きしめる腕は緩まない。
「緋媛、あなたやはりどこか具合が――」
「カレンから貰った短刀、あれで俺を刺して、逃げろ……!」
息が荒く、体が震えている。体温も高く感じる。風邪を引いて熱が出ているのかもしれない。いや、周りの熱風でそう感じるだけではないだろうか。だから彼らしくない考えを口にしたのだろう。
そんな事を考えているマナは緋媛の忠告を聞かず、逃げずにすっぽりと腕の中に納まっている。
「放っておけません。緋倉とゼネリアを探して、共に里へ戻りましょう。戻ってこの時代の薬華に治療をして頂きましょう」
「もう、限……界」
生暖かい何かがマナの首筋を這う。びくっと体を震わせ、緋媛に舐められているのだと気づく。
――気持ち悪い。
何が起こっているのか、冗談をしている場合ではないというのに。
「やめて下さい! お願い、やめて……!」
懇願してもやめる気配などなく、エスカレートしていく。首にちくりとした痛みを感じる。
どうしてしまったのだろう。こんな彼は見た事がない。
「いやっ、嫌ですこんな……」
身をよじって逃れようにも逃れられない。逃すまいと緋媛の力が強くなる。
言いようのない恐怖込み上げた。
「誰か……誰か助けてー!」
――その時。
「あはぁん。いい実験台がいるじゃないか」
聞きなれた声が前方から聞こえてくると同時に、何かが飛んでくる。それはドスッと音を立ててマナを抱きしめる緋媛の腕に刺さった。
――注射器だ。中の液体が緋媛の体に入っていき、腕の力が弱まる。
それと同時に空から大量の水が降り注ぎ、周りの炎をかき消した。蒸気が熱い。
マナを抱いていた緋媛は腕からズルリと落ち、氷が解けた水へバシャンと沈む。
反射的に音の方を見たマナだが、緋媛への心配する心はない。恐怖で心臓の鼓動が速い。
「んー? この雄、司そっくりだねえ。まさかこの人間の小娘に発情したのかい?」
震えて涙ぐむマナをちらりと見る。
「や、薬華……」
「何であたしの名を知ってるんだ」
薬華が怪訝そうな表情を浮かべていると、蒸気の中から緋刃が緋倉とゼネリアを捕まえて両手でぶら下げている司と共に現れた。
「あ、ヤッカ姐さんだ。全っ然変わんねー!」
「何だいこのガキ。初対面のはずなんだがね」
薬華はまだ未来からやってきたマナ達の事を聞いていない。故に、彼女らが自分の事を知っている事も知らないのだ。馴れ馴れしい緋刃の様子に若干の苛立ちがあっても致し方ない。
「おい、何でクソガキがここいんだ。こいつ里の西側にいるはずだろ。それにこの有様……。何が起こったんだ? 緋倉、ゼネリア、あとでじっくり話を聞かせてもらうぞ」
ギロリと睨みつける司。怒られると思いしょんぼりと落ち込む緋倉と、自分は悪くないとそっぽを向くゼネリアは、まだ司の両手で持ち上げられているままだ。
「媛兄!? 何で倒れてんの!?」
「殺されかけたところを緋媛が助けに来てくれたんです。でも急におかしくなって……」
説明しようにも、傷口と首を舐められたなどと気持ち悪い事は言えずにカタカタと震えるマナは口を閉ざしてしまう。
「……いまいち状況が読めないねえ。その発情した雄が何かしたってのは分るけど。人間の娘はアタシと一緒に来てもらうよ。司、アンタはそのガキ共連れてイゼル様のとこ行った方がよさそうだねえ」
緋媛をひょいと持ち上げて担いだ薬華は、すたすたと里の方へと歩み出す。腰が抜けたまま立ち上がれないマナは、腕を司に持ち上げられてようやく立ち上がる。
その時、彼女の瞳が金色となっていたのだった。





