9話 暖かい匂い
バタバタと暴れる緋倉の口を緋紙が抑え、マナと共にイゼルの部屋の前でちょこんと座って聞き耳を立てる。ゼネリアは正座しているのだろうが、どうやら不貞腐れているようだ。
「……ゼネ悪くないもん」
「なら何故人間を氷漬けにした? 脚を傷つけて動けないようにして」
「氷はお母さんの敵討ち。脚は知らない」
「知らないだと? ならあの刀傷は何だ。お前、時々俺に黙って短刀を持ち出しているだろう」
刃物を持ち出しているのか。マナが緋紙に知っているかと視線で訴えると、彼女は首を横に振った。緋媛は知っていたらしく大人しくなる。種族問わず、子供は正直だ。
「今回もそうしたんじゃないか?」
「そんなのしてないもん。ゼネじゃないもん」
「ゼネリア、正直に言えば怒りはしない。人間相手に母親の敵討ちをしたい理由も分かっている。だが、その人間と同じ事をしては、お前も同類になってしまうと何度も言っただろう?」
思えばゼネリアの母親を見た事がない。敵討ちという事は、人間に殺されたのだろうか。マナの胸が苦しくなる。
すると、ゼネリアが急に声を張り上げた。
「正直に言ってるもん!! ゼネやってないの!! 氷漬けにしただけだよ!!」
「刀傷は他の誰かがやったとでも? 何にせよ、お前がやったことは――」
「イゼルの馬鹿あああ!」
逃げ出すように勢いよく部屋の襖が開く。敷居に躓いてビタンと転び、すぐ起き上がったゼネリアは泣きながらバタバタと廊下を走って行った。緋倉はすぐに駆け出し、マナもその後を追いかけていく。
残された緋紙は、部屋の中でため息をついて落胆するイゼルの話し相手になるしかなかった。
「……難しいな、子供は」
「ん~。あの子、嘘ついてるとは思えないのよね……」
「何故そう思う」
「感」
子供達を追いかけているマナは、あっという間に息が上がってしまった。子供とはいえ龍族。なんて素早いのだろう。だがまだ視界に入るところにいる。北の外れに向かっているようだ。
着物に下駄では走りづらく、首にかけて着物の内側に入れていたロケットが出てしまった。ロケットは現代の司が首にかけたもので、なぜか外す事が出来ないのだ。そのロケットをぐっと握りしめ、再び走り出す。
五分、いや十分ほど走っただろうか。すっかり荒れ果ててしまった土地の東寄りにいる子供達に、ようやく追いついた。――が、息が苦しくて声を掛けられない。汗が額から流れ落ちる。
「何でイゼル信じてくれないの」
「俺は信じてるよ」
「はぁ、はぁ、私も、信じ、て、ます……」
汗まみれになっているマナは、途切れ途切れに言いながらゼネリアの隣にしゃがむ。ところが彼女は飛び退いて緋倉の後ろに隠れてしまい、警戒している。
「……すっかり、はーっ、ふう。……嫌われてしまって、ますね」
大きく深呼吸をしながら呼吸を整えながら、しょんぼりと頭を下げてた。来ない方がよかったかもしれないが、子供達の面倒を見るようにイゼルに命じられたのだから役目を全うしなくては。その使命感もあるが、単に泣いている子供が心配だったのだ。
「ゼネリアちゃん、このお姉ちゃんいい人間だよ。お父さんとお母さんがね、人間には良いのと悪いのがいるって言ってたんだ」
「人間は人間だもん」
まだ警戒されている。どうすれば心を開いてくれるのだろう。否定してはますます遠ざかってしまう。ならば肯定しつつ自ら心を開けばいいのだ。
「そうですね。人間には悪い方もいます。……私のお兄様のように」
そしてマナは、地面に座って自分の家族の事を話し始めた。兄が私利私欲の為に両親を殺害してレイトーマ王国の王位の座についたこと、その兄から国をあるべき姿に戻すために、弟が兄を殺害して国王となったことを……。
「お兄様がなさった事は、今でも悲しい事です。そして弟のマトまで同じ事をしてしまいました。国民は弟のした事を否定してはいません。むしろ正しいと思っているのです。ですが私は、王族同士で、家族で恐ろしい事をして……どう表せばいいのかもわからないのです」
兄と弟がした事は許される事ではない。だが弟がその身を長い間隠して立ち上がらなければ、国は衰退の一途を辿っただろう。ずっと軟禁されていて権力すら持たなかった自分自身も悔しい。
込み上げてきた想いが、マナの瞳からこぼれ落ちる。
「……じゃあ、ゼネのやった事は正しいの?」
ゼネリアが口を開いてくれた。子供に聞かせる話ではなかったが、これは大きな前進だ。
「それは、私にはわかりません。でも貴女は、お母様の為にしたのですね?」
緋倉の後ろで小さく頷く。
「私のお母様は、お兄様と弟のした事を天国で悲しんでいると思っているのです。ですからきっと、貴女のお母様もそうではないでしょうか。まだ小さい貴女が復讐なんて……、心が痛みます」
言葉の通り、マナの心の奥がズキンと痛く。それは表情にも表れた。
ゼネリアは緋倉を盾にするようにマナの前まで押し出し、じっと観察すると、ようやく身を乗り出して動き出した。下から目を合わせて覗き込むと、体をクンクンと嗅ぎ始める。
「何してるのゼネリアちゃん」
「……他の人間みたいな嫌な匂いしない。お母さんとイゼルみたいな暖かい匂いする」
ぱっと明るくなったゼネリアはぎゅっとマナに抱きついた。「ずるい」と緋倉も飛びかかり、マナは地面に背中を打ち付ける。
「いたた……。暖かい匂い? 私から、そんな香りがするのですか?」
「うん。お姉ちゃんは違う暖かい匂いで、お母さんとイゼルの匂いは似てるの」
「俺はゼネリアちゃんの匂いの方が好きだよ」
匂いの想像が全くつかないが自分を受け入れてくれたのだと確信したマナは、子供達の頭を撫でた。
「お屋敷に帰りましょう。イゼル様の誤解も解けるはずです。それにお腹も空いたでしょう? 緋紙様……緋紙さんも美味しいお料理をご用意していらっしゃいますよ、きっと」
体を起こして立ち上がり、子供達と手を繋いだ。
――その時だった。何かが後ろから覆いかぶさり、ドスッと地面から音が聞こえた。網だ。四方の重りが鉛で、音はそれが地面に突き刺さって聞こえたのだろう。
覆いかぶさった衝撃で転んでしまったマナ達は、飛んできた後ろに視線を送った。
「ガキ二匹と女が一匹か。北側に船を付けて、森に沿ってきて正解だぜ」
屈強な男とその配下らしき人間の男達、約五名が森から出てきた。
マナはダリス人が女子供を攫うという話を思い出し、振るえる手でぎゅっと緋倉とゼネリアを抱きしめた。





