19話 龍の神殿①~過去の体験~
神殿の内部、入口を初めて見た緋媛と緋刃。緋媛は感心していたが、緋刃は目を輝かせてはしゃいでいた。何故なら中に入ると一面に草木と花畑が広がっていたのだから。
「すぅっっげー! 雲の上にこんな生きてる大地があるなんてさ、姫様が見たら喜ぶんじゃね?」
「あら、貴方って意外と乙女心が分かりますのね。子供だと思っていたのに」
「俺、子供じゃねーよ!」
童顔のうえ、およそ十五歳ぐらいで成長が止まってしまった緋刃は、やや機嫌を悪くした。その様子が可愛いと思った流王は、彼の頭を撫でる。嫌がると思いきや、美人に撫でられた緋刃はまんざらでもなさそうだ。すると、右手の遠くから楽しそうな声が聞こえてくる。
「えっさっさー、ほいっさっさー。えっさっさーほいさっさー」
ドワーフだ。木を加工し、一枚一枚板を作っている。右手には何かあるのかと目を向けると、エルフが黙々と畑仕事をしていた。その目の前を、羽の生えた妖精が飛んでいる。緋媛は目を見開いた。
「エルフと妖精、初めて見た……」
「ああ、お前達には話だけだったからな。実際に見てみると違うだろう」
「エルフの耳、もっと長いと思っていましたし、よく探すといろんな姿の妖精がいるんですね」
「それでも彼らの数も随分と減った。エルフとドワーフは約四十名ずつ、妖精はもう指で数えられる程度しかいない。異種族狩りが行われている時代に比べれば、それでも多少は増えたんだ。それより昔は、我々と同じぐらいだったんだよ」
緋媛は思う。地上で暮らしている自分達と、人間の歴史から抹消されて神殿で隠れて暮らしている他の異種族達のどちらが幸せなのだろうと。龍族がいるかもしれないとナン大陸に入ってくる密猟者を相手にしているうちは、地上より神殿の方が安全と推測した。
「あら、中にはまだ入れないみたいですわ。見て、扉が赤いでしょう? あれは異界からのお客様がいらっしゃっている証ですの。元の青白い扉に戻るまで、見学してみてはいかが? フォルトアと司の息子達はここに来るの初めてでしょうし。ね?」
中に入れないのであれば仕方がない。緋媛達はそれぞれ異種族達と戯れる事にしたのだが、緋媛だけは花畑にあるベンチでマナに膝枕をして目覚めるのを待っていた。
その彼女は、夢の中で様々な体験をしているのだった。
まずはイゼルが龍族の長になる頃――
「イゼルよ、わしの跡を継いでくれ」
人間で言うと七十ぐらいだろうか、老人の男性が屋敷で胡坐を掻いてマナの目の前に座っている。互いに湯飲みに入っている茶を手に取って。
「急に俺の耳が遠くなったらしい。長老の声が聞こえませんが」
声が低い、自分の声ではないと思うマナは、イゼルになっているのだと察した。長老と呼ばれるその老人は、イゼルの横に移動する、大声で同じ事を言う。耳が恐ろしく痛く、イゼルの感情は「そこまでやらなくてもいいだろう、爺」という今の彼とは想像できないものである。
「……俺よりあなたの息子の司の方が合っていると思いますが」
「あやつは裏で動く方が良い。それにアレが長になったら里の雌はどうなる」
頭に浮かんだのは司に口説き落された雌の顔だった。緋紙は発狂し、平和な里が雌の争いで血の池と化すだろう。それだけは避けなくてはならない。
「引き受けます……!」
「そうかそうか、いい返事だ。これでわしもババアの雌に気軽に声を掛けられる」
「いい加減にしてくれ、片桐一族!!」
イゼルは長老に湯飲みを投げつけた。緋倉と緋刃の女好きは司からではないと知ったマナ。彼らの祖父、いやその前からだろう。緋媛のようなまともな者は軌跡的に生まれたのかもしれない。
場面が変わり、次に緋倉だ。
どこかに向かって走っているのだが、随分と視界が低い。幼少期のようだ。それにしてもいくら走っても息切れをしない。やはり龍族の体力は凄まじいのだ。しばらく走っていると、ある小屋に着いた。小屋の横には花が咲いているのだが、それは人の形をしている。木の十字架を立てているので、誰かの墓だろう。緋倉は両手を合わせてペコリと頭を下げると、小屋の中に入った。
「ゼネリアちゃん、里に戻ろ」
「やだ! あんなとこ行きたくない! ずっとここで暮らすの!」
ベッドに突っ伏してぐすぐすと泣いているゼネリアが里で何をされたか、マナの頭に浮かぶ。里の子供達に出て行けと石を投げられたのだ。泣いて逃げたゼネリアを追ってきた緋倉は、自分が護るから戻ろうと説得し続けたが断固拒否。
「じゃあ俺もここにいる。ずーっとゼネリアちゃんの傍にいるんだ」
それは里に連れ戻したい一心ではなく、ただただ一緒にいたいから。理由はそれだけだった。何故彼女が苛められていたのかマナには解らなかったが、少なくとも緋倉は幼い頃から彼女を護ろうとしていた事だけは解った。
また場面が変わり、次は緋媛。
これは見慣れたレイトーマ城だ。緋媛の目で見て、足で廊下を歩いている。それだけでマナの心臓の鼓動が高鳴る。愛しい彼と共有している気がして、嬉しいのだ。着いたのはマナの私室。中に入るとそこには幼い彼女とメイド二人がいた。一歳ぐらいだろう。
「姫様~、お上手ですよ。掴まらずに立って歩けるようになるまであと少しですよ~」
緋媛の目にはベッドに掴まって歩く練習をしているマナが映っている。彼女の表情は笑顔。マナは自分自身だが可愛い、と思ってしまった。緋媛はというとそんな感情は全くなく、力をどこまで加減すれば傷つけずに済むのかを考えていた。
「あら? あなたは?」
「今日から姫様の専属護衛になりました、特別師団長の片桐緋媛です」
とりあえず初対面の人間には外向けの笑顔でも見せておけばいい。緋媛がにっこりと笑うと、二人のメイドは顔を赤くして恋する女になった。うぜえ、と思う緋媛の心がマナに流れてくる。この時緋媛は、例え流王となるマナであろうと、人間の護衛に仕事を嫌っていたのだ。
四年後のマナの誕生日、彼女が五歳になる時だった。掃除をしていたメイドの一人が廊下で転んでしまい、国王の私室に運んでいたマナの誕生日ケーキに汚れた水を盛大に掛けてしまったのだ。メイドの顔は青ざめているどころか、真っ白になっている。
「どどど、どうしよう、姫様の大切なケーキを台無しに……」
他のメイドは彼女を落ち着かせながら、てきぱきと片づけをしている。しかし困ったことにこれではケーキだけ食卓に出せない。国王にどう説明すればいいか悩むが、そんな事をしてはメイドが首になってしまう。
「ったく、面倒くせえな。別に白くてでかいケーキじゃなくてもいいだろ。誕生日パーティは二時間ぐらいを予定してんだろ? その間にどうにか用意すりゃいいんだよ。お前らは国王陛下にこう言っとけ。姫が喜ぶケーキ作ってっから待ってろって、俺が言ってたってな」
マナははっきり覚えている。兄や弟の誕生日の時のケーキは大きな白いケーキなのに、五歳の誕生日は別のケーキが出てきた事を。そしてそれは、マナの大好きなレアチーズケーキだったのだ。パーティに参加した国内外の貴族からは、可哀そうだと憐みの言葉が多かったのだが、マナにとっては一番幸せで忘れられない誕生日。あれは緋媛が作ってくれたのだと知り、彼の中で涙が溢れそうに――
「片桐隊長、ご提案ありがとうございます。おかげで間に合いました」
「俺は姫の好きなもんを言っただけだからな。頑張ったのはあんたらだろ。
それにしても、二度とこんな面倒事は御免だな」
ならなかった。思えば甘いものが嫌いな緋媛がレアチーズケーキを作るはずがない。全くの勘違いだったが、それでも普段の緋媛は頼りになる。彼と一緒になれたらどんなに幸せだろう。そんな事を思いながら、マナは世界の過去の体験をしていたのだった。





