3話 江月からの使者
一週間後、江月の使者がやってくる日。
窓から吹く風が気持ち良いような、この日は雲一つない快晴となった。
マナは王女として謁見の間にある二つの椅子のうちの、向かって右側に座っている。
彼女に部屋から出るなと命じたマライア自身、マナが顔を出す事すら許しがたい事であったが、王女の婚姻である事、何より国の体裁を考えると出すわけにはいかないと周囲から言われ、渋々承諾したのだ。
マナにとって自身の婚姻に関する会談が、王女として初めての仕事。初めてでも王女としての品格はなくてはならない。薄い桃色掛かったドレスを身につけていたマナは、やや緊張して深呼吸をしていた。
これを見たマライアが、フンと鼻を鳴らす。
「お前は何も喋るな」
この発言に苛立ったマナは、何も言い返さずそっぽを向いた。その態度に怒りを覚えたマライアもそっぽを向き、謁見の間の空気は重々しくなる。
心の中でツヅガと見張りの兵士達が狼狽え、「お願いだから早く使者を連れてきて!」と心から祈っていた。
丁度その頃、城門では江月の使者を迎えいてた。
使者は二名。黒髪で赤い瞳をした長身の爽やかな笑顔の男は、栗色のスポンに白いシャツのボタンを一つ外して黒のジャケットを肩に掛け、両手をポケットに突っ込んでいる。もう一人は灰色の髪をした小柄で愛想のない女で、茜色のふわりとしたシャツに漆黒のパンツを履いていた。両名とも、腰に刀を下げている。護身用、という訳ではなさそうだ。
その場にはレイトーマ師団長の四人が揃っているので、何かあっても問題はない。しかし、第四師団長のユウ・レンダラーは、面倒くさがりの為その場にいない。
「ようこそレイトーマ城へ! 長旅でお疲れだと思うのネ!」
「休ませたいのですが、国王陛下がすぐにでも謁見をと仰るんです♪」
両手を広げて歓迎するように挨拶をしたのは、ケツ顎とアフロが特徴の第一師団長のアックス・レックス。黒髪の男に上目使いをし、猫撫で声で続きを言ったのはカレン・コリータだ。
黒髪の男がそのカレンの手を取り、跪く。
「そうですか。私達は平気ですよ。特に、可憐なお嬢さんの声が聞けたから……」
男が手の甲に口付けをしようとした時、野次馬のように集まっていた兵士達から雄叫びのような悲鳴が上がった。彼女も顔を真っ赤にし、満更でもなさそうだ。
この男は正体を隠している。それが誰か検討が付いた緋媛は「この野郎斬ってやろうか」と思いながら緋媛が腰の刀に手を掛けた。
……と、急に肌寒くなってきた。どうやら共に来ている灰色の髪をした女が寒さに関係しているらしい。凍てつく程の冷たい視線を女から送られた黒髪の男は、カレンの手を放して立ち上がると、頭を撫でて離れた。
「……こちらへ」
歩む方向へ手を伸ばし、先導を切る緋媛。「どうも」と言って使者の男がもう一人の女のに手を差し伸べたが、ばしっと叩き落とされた。簡単にエスコートさせてくれないらしく、仕方ない、といった表情で手を擦りながら歩み出した。
「いいなー、紳士って感じ~♪」
そんなカレンの言葉が緋媛の背中から聞こえると同時に、兵士達の恨めしい視線が使者の男に向けられる。俺達の隊長に馴れ馴れしく触りやがって、女連れのくせに……と。
それに紛れて、シドロの視線がただ黙って使者を探るように見つめていたのだ。抑えきれない殺気を放って。
これに反応した使者の女が勢いよく刀を抜きかける。――が、もう一人の男が刀の柄を押さえ込み、彼女の耳元で「しーっ……」と気づかないふりをして静かにするよう牽制した。女が渋々刀から手を放す。
「こちらで国王陛下とマナ姫がお待ちです」
謁見の間の前に緋媛が案内すると、使者の男は肩に掛けていたジャケットの袖に腕を通す。ジャケットのボタンを留める気も、ポケットに突っ込んだ手を出す気もないらしい。女は女で嫌そうな表情をしたままだ。
この状態で小煩い国王の前に出るのは宜しくないが、待たせるのはもっと良くない。扉の両側にいる兵士に緋媛が「開けろ」と言うと、ギイィィ……と大きな扉から奥にの王座に座るマライアとマナを使者の瞳に映した。あの娘か――と、彼らの視線はマナに向けられる。
緋媛が「こちらへ」とマナ達の近くの立ち位置まで使者の二人を案内し、自身はマナの斜め前に立った。この場で不安なのは男の方ではなく女の方であるため、緋媛は内心落ち着かない。余計な事を言うかもしれない、女は人間嫌いである為この場から逃げ出すかも知れない、暴れるかもしれないという漠然とした不安があった。
マナは使者の女性と目が合い、何となくだが何とも言えない不思議な感覚が体中を巡った。初対面だが気になる――そんな感覚に。
「お目にかかれて光栄です、マライア国王陛下。私は江月から参りました、ルティス・バローネです。我が主であるイゼル・メガルタ様の命で参りました」
すっと頭を下げるルティスと名乗る男に、緋媛はピクリと苛立ちを見せた。
その名は緋媛にとって大嫌いな男の名。この男、わざわざ偽名をも使って使者としてやってきたのだ。更に言えば姿は周りにそう見せているだけで実際の髪の色も顔も違う。そこまでしてレイトーマに使者として来たかったのか、又は来させられたのか、緋媛には分からない。
ルティスと名乗る男がちらりと隣の女の方を見ると、名前だけポツリと不愛想に咳をしながら言った。
「……ゼネリア・アンバーソン。ケホッ、ゴホッ」
「王座の前で咳など………無礼な小娘め」
「申し訳ありません。彼女、少々緊張しているようです」
微笑みながら誤魔化そうとする偽名の男と眉間に皺を寄せるゼネリアに、マライアは鼻を鳴らし、更に「江月では礼儀もなっていない者を使者にするのか」と見下した。
なぜ人間嫌いのゼネリアが使者なのか、という謎については緋媛も同意である。イゼルの真意が分からない。マナはそんな人を見るのが初めてだと、くすっと笑った。
申し訳ございません、と一言言った使者の男が咳払いをする。
「……さて、あまりお時間を頂けないようですので、早速本題に――」
「答えはノーだ! マナはやらん!」
本題入る前に結論を出されてしまい、鳩が豆鉄砲を食ったような顔になった男は言葉が出ない。
王都でマライアの悪評――自己中心的、国民の事を考えてくれない――を聞いてはいたが、話すら聞かないとは思いもしなかった。
国家間の話だというのに「これはいかん」と思ったツヅガがフォローをしようと「国王陛下」と口を開きかけた時、マナが身を乗り出して反発した。
「お兄様! これは私の――」
「国王陛下と呼ばんか!!」
他国の使者の前だというのにマライアの怒声が城中に響く。体を震わせて驚いたマナは、私の縁談という言葉を飲んだ。
哀しそうな彼女の表情を見たゼネリアは、怒りを露わにしてマライアを睨みつけた。
もし暴れるのであれば、押さえつけて止めなくてはと身構える緋媛。
「なんだ、その目は。家族の問題に文句でもあるのか」
マライアの言葉に歯をきつく噛み締め、今にも手を出しかねないゼネリアの服の裾を掴み、男は二度引っ張り「落ち着け」と呟いた。男の手を振り払ったゼネリアは、不満が残りながらもその場で大人しくする事にした。
安心した緋媛の口から小さなため息が零れ、肩の力が抜ける。マライアが言葉を続ける。
「マナは渡さん。これはこの国のものだ」
「愛らしい姫君はレイトーマ王国の宝……と仰るのですね?」
「そんな事は言ってない。この国は私のモノ、つまりマナも私のモノだ。婚姻も生活も、私に決める権利があるのだ!」
言い切ったマライアに、謁見の間にいる全員が呆れ返ってしまった。
他国の使者に向かって何という事を言うのか。心のどこかで兄が改心する事を期待していたマナだったが、いよいよ信じられなくなった。彼女は立ち上がり、静かに使者の元に歩み寄る。
「何を勝手に動いているのだ!」と怒るマライア。
「使者の方々。私を江月に連れて行ってください。私がこの目で見て判断致します」
マナの独断に騒めき謁見の間でマライアだけが「勝手な事を言うな!」と声を上げた。
「使者の方を蔑にし、相手の方と直にお会いせずにお断りするのは失礼でしょう。たった二人でレイトーマまでいらっしゃったのです。結婚するのは私です! 国王陛下ではありません。私のお相手は、私自身が決めます!」
しかしこれはマナにとっては建前でもある。本音は、歴史の真実を知る事のついでに婚姻の判断をするといったものだ。
レイトーマやカトレアでは歴史を調べる事が叶わないため、唯一希望のある江月へ行く必要がある。次いつ外に出られるかも知れない為、この機を逃す訳にはいかないのだった。
「私をすぐ江月へお連れ下さいませ。すぐに旅支度を致します」
「勝手な行動は許さんぞ! 大体お前は部屋から出る事すら禁じているのだ! 許したのは今回だけだぞ!」
王座から立ち上がり、マナの元へどすどすと近寄るマライアに「国王だからとお兄様の命令全てに従う理由はありません!」とマナが振り返って反発をした。使者の前だというのに兄妹喧嘩を始めてしまい、さてどうしたものかと使者の男が困って頬をポリポリかく。
これでは謁見の続行は不可能と判断したレイトーマ総師団長ツヅガは、コツコツと使者達の傍へ歩み寄り、丁寧に詫びた。
「申し訳ございません、使者の方々。後程、あの片桐緋媛という者から詳細を伝達させます。王都一の宿を用意させますので、今宵はそちらにお泊り下さい」
「申し訳ない。ではその宿でお待ちしております。後ほどお会いしましょう、片桐緋媛殿」
厭味ったらしくその男に言われ、少々苛立つ緋媛。どうやら緋媛が男の正体に気付いていると知っているらしい。
使者の二人は踵を返し、兵士の一人に案内されて謁見の間から出て行った。
問題は喧嘩を続けているマナが無茶を言うかもしれないという懸念だが、緋媛の予想はすぐに的中したのだった。