1話 素直になれない
ゼネリアによる惨殺から一夜が明けた。緋倉は司がミッテ大陸から連れ戻したのだが、抜け殻のようになっているという。やはり体調が芳しくなく、薬華の診療所で眠っている。
「すまんな、朝早くから」
彼女の死により緊急事態が発生し、イゼルは朝一で緋媛達を集めた。緋媛、司、ルティス、フォルトア、薬華だ。その中にはマナもいて、彼女の隣には婚約者のフォルトアが座っているが、緋媛とは少々距離がある。何も知らないリーリは、せっせせっせと茶を出すなり朝食作りに取り掛かった。
「さて、昨日の事で問題が発生した。お前達も気づいての通りだが――」
沢山の人が亡くなったというのに、なぜ緋媛もイゼル達も、顔色一つ変えないのだろう。過去の話を聞いた時は、心を痛めていたはずなのに。
「ミッテ大陸を覆う柱と、この里の結界が消えた」
「ミッテ大陸の柱って、あの炎と氷ので覆われている、アレの事ですよね」
マナがひそひそとフォルトアに聞くと、彼は頷く。そんな巨大なものが何故消えたのか。江月の周りの結界もどのような仕組みになっているのか解らないマナには、疑問でしかない。
「ミッテ大陸はまだいい。問題は里の結界だ。これまで人間の密猟者が里に入ろうとした時、結界でその存在を知ることが出来たが、これからはそうはいかない」
「里の中に入ってきたら、滅びたはずの俺達異種族の存在が知られるって事っすね」
「ダリスはとっくに知ってるからそうじゃねえよ、ルティス。昔と同じ事が起こるってこった。……異種族狩りがな」
マナと緋媛を除く全員の顔が曇る。彼はナン大陸に移住してから生まれたため、昔の話は聞いているが実感が湧かないのだ。
「それは……、困りますね。僕とルティスはまだ小さかったのすが、思い出したくもない」
「俺達が今こうしていられるのは、緋倉様とゼネリア様のお蔭なんすけどね……。まあいいや。どう動くんすか、イゼル様。こうなったらそろそろダリスの王に居座ってるあの野郎も動くと思うんすけど」
「破王か……」
破王がどう動くは大体の予想は出来る。それ故に、戦力を分散させては里の護りに欠けてしまう。戦力をどのように分けるか考えていた時、マナが手を挙げた。
「あの、国に張っていたその結界をもう一度復活させる事は出来ないのでしょうか」
「姫は知らなかったな。あの結界、ミッテ大陸のもゼネが張ってたんだよ。あいつ力だけは有り余って――」
その時、緋媛の鼻に桃のような甘い香りが、ふわりと飛んでくる。思わず鼻を抑え、何も言わずに急いで部屋を出て行ってしまった。追いかけようとするマナの腕を、フォルトアが掴む。
「いけません、姫様! 緋媛に襲われます!」
「緋媛はそんな事しません! 離してください!」
フォルトアの手を振り払い、マナは緋媛を追って部屋を出て行った。彼女は自分の命を狙っているという意味だと思っているが、実際は違う。
「……なあ、もしかして緋媛の奴、発情期か?初めてだよな、あの歳じゃ」
「あいつは認めたくないみたいだけどねぇ。そういうところはあんたより緋紙に似たんだろうね」
様子を見てくる、と薬華も出て行く。発情を抑える薬を渡しているとはいえ、それは一時的なもの。後にずらしているだけなのだ。効果が切れると急激に発情する場合がある。
「緋媛が発情してんのに、何でフォルトアが婚約者なんだよ。いい加減理由教えてくれてもいいだろ?」
イゼルはマナに婚約者を付けた事は司に話していたのだが、それは不本意だと伝えていた。なのになぜフォルトアにしたのか、疑問でしかない。マナに発情しているならば、緋媛を相手にするべきだ。
「緋紙に似て素直じゃないからな。フォルトアを付ければ本心に気づくと思ってたんだが、あそこまで頑固だとは思わなかった……」
「――このまま緋媛が姫様を避け続けるなら、僕は本気で姫様の心を奪いにいきます」
突然のフォルトアの発言に、イゼル達は驚きを隠せなかった。彼もマナと緋媛が結ばれればいいと思っていたのだから――
その頃、緋媛は鼻歌を歌いながら料理を作っているリーリのいる台所へ来ていた。薬を飲む為の水をもらう為に。台所に入るなり扉に寄りかかる緋媛を見たリーリは、熱でもあるのかと思いながらも水を出す。
「……助かる」
下から見える彼の頬は紅潮し、瞳は潤んでいる。若干、目が元の龍の姿のものに戻りつつある彼を見て、リーリは思う。
(緋媛のくせに色っぽい!)
薬と共に水を飲むと、緋媛はコップをリーリに返す。
「リーリ今の緋媛になら抱かれてもいいかも〜」
「ガキのくせにどこで覚えた、そんな言葉。生意気言うんじゃねえ」
台所をふらりと出ると、ぱたぱたと走ってきたマナと遭遇する。薬は飲んだばかりで、まだ彼女の甘い匂いが鼻につく。屋敷の中の短い距離でも息を上げる彼女の香りが――
「緋媛、どこか悪いのですか?」
マナは以前、発情期の事をイゼルか聞いているのだが、緋媛が発情しそうな状態だとは思っていない。発情した雄が雌を自分のモノにしたくなるという話を聞いても、いまいち理解出来なかったのだ。
「緋媛?」
マナが首を傾げた時、緋媛は彼女の腕を引いて抱きしめる。一瞬、何が起きたのかと思考が停止したマナだが、すぐに事態に気づき、赤面した。
(俺、何やって……。よく分かんねえけど、心地いい)
少しずつ薬が効いてきたのだが、それでも体が本能で勝手に動いてしまう。
「ダメです! 離して下さい!」
「もう少し、このまま……」
「リーリが見てます!」
「……構わねえよ」
抱きしめる緋媛の力がわずかに強くなる。
薬華が台所に着いたのはその時だった。目を見開いてじーっと見ているリーリと、離れようとするマナを本能のままに抱いている緋媛を見比べて、鼻で笑う。いい加減、自分の気持ちに素直になれば、苦しむ必要はないのに、と。





