7話 片桐司
何年かに一度、緋媛達の父親がふらりと帰ってくる時がある。緋媛は父親が普段何をしているかも分からない。聞いても世界を見て回っていると答えるだけ。緋刃に至っては父親の顔を見た事がないく、緋倉が父親代わりだったのだ。
その父の名は片桐司という。
「ええええ!? 緋媛達のお父さん!? ……カッコイイ」
瞳をハートにさせてキラキラと輝かせているリーリは、ユズとフィリスの下に来ているルティスに話を聞いている。イゼルは歓迎していたが、リーリには不審者に見えたのだ。
「緋倉様はともかく、緋媛は親父を毛嫌いしてるからよ、あいつにはあまり司様の事言うんじゃねーぞ」
「あいさー!」
ビシッと敬礼をするリーリは、司に茶菓子を持って行こうと、ユズのいる部屋から飛び出して行った。
「……緋媛様がお父様をお嫌いな理由は何なの?」
「母親絡みなんだよ。もう死んでっけど」
あまり聞いてはいけない話らしい。ユズはこれ以上は何も聞くまいと口を閉ざし、既に座る事の出来るフィリスと遊び始めた。
緋媛とマナが帰って来たのは、それから数時間後の事。イゼルに会合が二週間後になった事を報告しに行くと、彼の他にゼネリアと誰かがいる。その見覚えのある後ろ姿がマナ達の方を振り向く。
「親父……」
誰かと思ったマナは、緋媛の一言に驚いた。顔を見比べると、確かに良く似ている。違いがあるのは髪の色で、それは緋刃の髪の色そっくりだ。
「変わらず元気そうだな、緋媛」
「あんたは相変わらずフラフラしてんだな」
微笑ましい司に対し、睨みつける緋媛。まるで火花が飛び散るように対立しているが、すぐに視線を逸らした。
「イゼル様、例の件いつでもいいそうです」
「そうか、ご苦労。姫もすまなかったな」
「いえ、久しぶりに城の皆に会えましたので。ありがとうございます」
ふわっと微笑むマナを司はじっと見つめる。何かあるのだろうか。その視線に気づいたマナに緊張の汗が流れた。
「この可愛い娘が例のマナ姫か。ふーん、なるほどな……」
すっと立ち上がった司はじろじろとマナを見ると、彼女の首筋に顔を埋めようするが――
「司!」
「姫から離れろクズ親父!」
イゼルに首を掴まれ、緋媛は剥がすようにマナを自身の後ろに下がらせた。何をされるところだったのか、マナは真っ赤になりながら心臓がバクバクと音を立てている。
「ただの挨拶じゃねーか。そうカッカすんなよな」
「お前のは挨拶じゃなく、味見だろう! その癖何とかならんのか」
「いやー、雌を見るとつい……」
マナは思う。緋倉と緋刃の女好きはこの父親に似ているのだと。そんな彼らを見ていたので、緋媛はまともなのだろう。それにしても、味見という事は――
「わ、私は美味しくありません!」
食べられてしまう。とっさに出た一言に、一同はきょとんとなる。すると、司は腹を抱えて笑いだした。
「そっちの喰うじゃねーよ! 鈍くて純粋な人間だな」
こんなマナに手を出されてはたまらないと、イゼルは頭を抱える。マナがその意味を分かっていない事に、僅かながらに緋媛は安堵した。
(なんで俺、安心してんだ?)
発情を抑える薬の効果が切れ始めたのだろうか。しかし薬は一週間効果があるとフォルトアから聞いている。自身の気持ちを認めたくない緋媛は、父親とマナから逃げるように部屋を出ようと踵を返した。
「どこへ行くんだ、緋媛」
「あんたに関係ねえだろ」
「難しい息子だな。まあいい。外に出るならついでにこれを緋倉に渡してくれ」
司が取り出した物は小さな袋。その中に丸い玉が入っているようだ。何故こんな信用出来ない男の物を兄に渡さなくてはならないのか。自分で渡せと言ってやりたいのに、奪い取るようにその袋を手にした緋媛は、何も言わずに部屋から出て行った。
「あっ、緋え――」
「姫、フォルトアと婚約したんだってな」
「え? は、はい……」
座るようにと畳を指で二回叩く司に促され、空いている座布団の上に座るマナ。何故婚約の話をするのだろう。
「俺の息子を選ばなかった理由は?」
直線的な質問にマナは口を塞ぐ。緋媛にその気はないから、と父親である司に言ってもいいのだろうか。まるで緋媛のせいだと言っているように聞こえるかもしれない。彼を悪者にしたくない、ならば――
「……言えません」
何も言わない方がいいだろう。それがきっと互いの為である。しかし、イゼルと司は違う。特に司は、やはり父親でなのだ。
「どうせあいつが人間に興味ねぇって言ったんだろ? ゼネリア程じゃねーが、緋媛も人間嫌ってるしな」
「人間を? そうは見えませんが……」
人間が嫌いならば物心ついた頃からずっと共にいない。マナに見せる顔と隊士に見せる顔は全く違うが、比較的良好に過ごしていたように見える。
「そりゃ緋媛とあんたとは付き合いもそれなりにあるからな、悪くないとでも思ってんだろ。最初はレイトーマに行くの嫌がっていたけど、代わりに緋倉にしようかと言い出したら渋々引き受けてたなぁ」
緋倉がレイトーマに行くと、カレンやメイド達女性に声をかけまくるのだろう。そんな光景が浮かんだマナは、何となく納得した。
「緋媛が心の底から嫌がっていたら、やむを得ず緋倉にしようとしたんだが、緋倉が俺に訴えに来てな。これ以上ゼネリアと離れたら死んでしまうと」
当時の事を思いだしたイゼルの口から、それはそれは深いため息が出る。マナが生まれてからの一年間は、女の子の赤子であり、少しでも人間に対する情が湧いてくれるようにというイゼルの心境から、ゼネリアをレイトーマに遣わせたのだ。小さな命に触れる事で確かに情は沸いたが、それは赤子だから。大きな人間相手では上手くいかず、やはり城内でも孤立していたらしい。ずっと逢えない一年が百年に感じた緋倉は、彼女が淋しがっているのではないかと日々気にかけていたのだ。
「どっちが死ぬってんだよ。まー、とにかくあれだ。緋媛もゼネリアも素直じゃねーんだよ。あいつらは鉄壁の心持ってっからな。姫、イゼル(こいつ)はあえて言わねーが、フォルトアのはあくまで婚約だからな。いつでも解消して緋媛に走ってもいいんだぜ」
「それは、彼らに失礼です。そんな取り換えるようなマネ、私には出来ません」
「……換えてもいいんだよ。一生を共にする相手を決めるんだ。人間の寿命は短い。どうしても俺達龍族より先に死んじまう。……俺らはもう嫁に聞く事は出来ねーけど、今生きている姫が幸せだって思う相手を選ぶといい」
確かに司の言うとおり、緋媛もフォルトアより先に逝ってしまう。彼らを残して。自分の幸せだけを考えていいのだろうか。夫婦となる以上、やはり互いに幸せを感じていたい。
「お言葉、ありがとうございます」
今すぐ答えは出せないマナは、丁寧に手を付いて頭を下げると部屋を出て行った。
残った司は首から下げているロケットを開けて中の写真を愛しそうに、哀しそうに見つめる。その中には、愛しい妻の写真があるのだ。
「カトレアで手に入れたカメラだったか、いいものだな。そうして絵にしていつでも会える」
「もっと昔に出来ていれば良かったのにな。そうすればお前も――」
帰ってきた緋媛達の父親、司はこの後二週間超滞在する事になる。その頃ダリスでは、六華天の一人が大きく動き出そうとしていた。





