8話 告げる本音
エルルの傷がすっかり良くなり、ネツキ達は緋刃と共にカトレアへ戻る。結界のある里の入り口までマナと緋媛、イゼルの三人が見送りに来ていた。
「大変お世話になりました。このご恩、忘れません」
二人が深々と頭を下げる。恋人のエルルの傷を、傷痕が残らないように無償で治療をしてくれたのだから。
「この国で見聞きした事は他言無用の約束……それは守ります。ですが、俺が国王となったら歴史調査解禁の為に動き、この世界を変えてみせる」
彼の瞳の奥には強い意志が宿っていた。江月にいた数日間、民がどんな目をしていたのかを感じ取ったのだ。余所者に怯える江月の民。子を護る両親の姿。隠れる民。そして気になった点も幾つかある。
「閉鎖された国とされ、今まで接点がなかったもので気づきませんでしたが、この国は随分お若い方が多いのですね。老人が少ない。帰国する前に、それだけ教えて頂けませんか?」
マナもやってきた当初、同じ事を考えていた。しかしそれは、江月が龍族の里だと知った事で解決したのだ。彼らの寿命の影響だろうという推測で。イゼルは答えるのだろうか、江月が何なのかを。
「……知りたくば国王になる事だ。王子だろうと知ってはいけない真実が、この世界にはある。それは代々、国王にのみ伝えられているんだ。その時に全てを打ち明けよう」
答える事はない。マナが江月に来る時と同じように、条件を出したのだ。思わず緋媛の顔を見上げるマナ。しかし彼はそれが当たり前のような表情をしている。
「……分かりました。ならば俺はカトレアの国王になりましょう。その際、各国の王と会談をしたい」
「ダリスの王とも?」
頷くネツキに、イゼルは首を横に振った。ダリスが軍事大国だからだろうか。それは違うらしい。
「理由は言えんが、あの国は今の国王になってから狂い出した。本来の形に戻るまで、カトレアやレイトーマと接触させたくない」
「本来の形とは? お父様もその王の名を教えてくれず、誰一人として姿を見た事がないダリスの国王に何か秘密がある――」
「えっさー、ほいっさー、えっさー、ほいっさー」
マナも同じ事を聞いた時、その声は聞こえた。右を向くと、木や斧などを持もった大きい体に髭を生やした数名の男がドスンドスンと歩いている。片手で軽々と大木を持っている姿に、マナ達は唖然とした。するとその男達と視線が合う。
「に、人間さー!」
「逃げるさー!」
目が合った途端に走り出した彼らは一体なんだったのか。人間が、人間から逃げたように見えたネツキはそれを問おうとしたが――
「ねえ、いい加減行かないと船出ちゃうよ」
「あ、あぁ」
緋刃の一言で諦めざるを得なかった。エルルも彼の服の袖を引っ張っている。
「……緋刃、彼が国王になったら教えてくれ。マトと彼とで会合を開こう。その時にダリスの事も、この世界の事も教えよう。国王にはその資格がある」
「わかった。俺の可愛い鷹飛ばすよ。マトにもね」
ネツキはイゼルに感謝の意を伝え、緋刃、エルルと共に自国へ戻った。必ず国王になり、目的の歴史調査解禁をするために――。
この日マナは、イゼルから縁談の話の続きをされるのだった。だがその前に部屋で一休みをしている。緋媛と共に。縁談相手の候補に彼も上がっているという緋倉の話から、彼女の心は決まっていた。
「随分機嫌がいいな」
「だって私のお相手が――」
彼が話していたのは猫だった。いつの間にか招き入れた黒猫が、胡坐をかいた緋媛の膝の上で寝て撫でられている。自分の事ではなかったと、ぷぅと頬を膨らますマナは猫にヤキモチを焼いてしまった。
「この前はマトに城から追い出された理由を知って泣いてたくせになあ。単純な奴だな」
今度はマナに話している緋媛。単純だと言われても、世界の王になるという突飛した話は未だ信じられない。人間の寿命を考えても百年生きる事など不可能。作り話にしては良く出来ているが、イゼルは嘘はつかないだろう。
「単純じゃありません。私はもうお相手を――」
「それより姫、香水か何かつけた? 甘い桃のような香りなんだけどよ」
話を遮る緋媛は、じっとマナを見つめる。猫を撫でながら、少し離れた彼女の匂いをその場で嗅ぐように。
「いえ、特には何も……。そんな事より、私はもう心に決めた殿方がいるのです!」
この話題を変えようとした緋媛だが、見事に巻き戻されたので舌打ちをした。思い切って打ち明けたマナは頬を桃色に染め、髪を弄っている。
「私、緋媛の気持ちが嬉しくて、その……」
「あー、それ、なんだけどよ……」
言いづらそうにしている緋媛は、喜んでいる彼女に本音を伝えて傷つけていいのか悩む。しかしここではぐらかしても彼女に触れられてはおしまいだ。何も言わなければ逃げる事など出来ず、望まぬ婚姻をさせられてしまう。
「俺、あんたと結ばれる気なんてねえんだ。最初から」
「え?」
彼女の浮かれていた表情が消える。空気を察したのか、緋媛の膝の上の黒猫は部屋から出て行った。
「嘘、ですよね。だって、私を貰ってくれるって、俺の所に来いって、そう言ったじゃないですか」
涙目になっていないが、今にも泣きそうだ。ここで甘やかしては互いの為にならない。
「あれは俺の里に来いって意味。俺の仕事はあんたを護って、この里に連れてくる事だ。一度もそういう目で見た事ねえんだよ。あんた人間だし、異種族婚はしたくねえ」
そろそろイゼルの元へ行かなければ。立ち上がった緋媛がマナの方を見ると、やはり彼女は涙を流していた。彼女の甘い香りが先ほどより強く感じ、惑わされそうなる。
マナは涙を拭うと、何も言わず緋媛の前を通ってイゼルの待つ部屋へ向かった。





